多くの人たちは,どうもこう決めてかかっている――「自動運転車によって,都市の密度は下がるぞ.」 なにより,単純な理屈でいけば,こういうことになる.「車での移動がいまより楽ちんになれば――ずっと道路から目を離せない現状がかわって,通勤時間になにか作業したりテレビをみたりソーシャルメディアをえんえん眺めたりして過ごせるようになったら――勤務先からもっと離れた場所に喜んで暮らすだろう.」 だとすると,かつて車そのものの普及が果たした役割と同じように,自動運転車によって都市のスプロールが進みそうに思える――だからこそ,そこに安全面の便益があるのは明らかでも,都市計画者は自動運転車という発想そのものを好まないわけだ.
でも,実のところ,自動運転車と都市規模の経済事情は,それよりもずっと複雑で精妙だったりする.現役の都市経済学者でも指折りに優れた研究者のエド・グレーザーが新しい論文でこの主題を検討している.関連する経済理論を説明したあと,グレーザーはこう論じている――Waymo その他の自動運転車によって,人々は都市から離れるどころかいっそう都市に住みたがるようになる.
グレーザーが言うには,密な都市に暮らす人たちは,郊外暮らしの人たちよりも通勤時間が長い(2ヶ月ほど前にぼくもここで書いた話だ).そうなると,そもそもすでに通勤時間が比較的に短い(しストレスもより少ない)郊外暮らしよりも都市生活者の方が自動運転による移動で受ける恩恵が大きくなる.だから,自動運転車は郊外生活よりも都市生活の利便性をより大きく高めることになり,人々はより密な都市に住みたがるようになる――これが,グレーザー説だ.その効果は控えめなものだろうと彼は予想しているけれど,ともあれ,人々の直観から導かれる方向の真逆にはちがいない.
その根っこの部分を言うと,人々はたいていアメリカの郊外の性質を誤解してるんだ.彼らが思い描いているのは,住民たちが都市中心部の商業地区を往復して暮らすベッドタウンだ.たしかにそういう郊外もあるにはある.でも,大半の郊外は,それ自体が小さな都市で,人々が勤務するオフィスパークや買い物に出かけるストリップモールがある.郊外住民は大都市が提供する多様さと経済的な機会を諦める代わりに郊外の便利さと安全を手に入れているんだ.ところが,自動運転車によって大都市はもっと便利になる.
自動運転車をひどく疎んでる都市計画者たちは,ちょっと立ち止まって「もしかして自分の怒りは見当違いなのかも」と一考してみた方がいい.
[Noah Smith, “Will self-driving cars make cities more dense or less dense?”, Noahpinion, September 18, 2026]