ノア・スミス「習近平よ、永遠なれ。中国は一人の凡庸の男によって自縄自縛となってしまった」(2022年10月17日)

僕は中国についての専門家じゃないし、専門家のふりをするつもりはない。でも、去年は、たくさんの人が見過ごしているだろう大事なことを、キャッチできたと思う。習近平は、世間で思われてるほど有能な指導者じゃないってことだ。

Xi Jinping, forever
China has shackled itself to…this one mediocre guy.
Postedby Noah Smith, On Oct 17 2022

僕は中国についての専門家じゃないし、専門家のふりをするつもりはない。でも、去年は、たくさんの人が見過ごしているだろう大事なことを、キャッチできたと思う。習近平は、世間で思われてるほど有能な指導者じゃないってことだ。

ノアピニオン
習近平が、言われるほど有能じゃないだけだとしたら?

習近平は、毛沢東以来の中国の最も強力な指導者として広く称賛されている。確かに彼は、権力を非常に効果的に掌握してきている。習近平は、潜在的なライベルだった薄熙来と周永康を完膚なきまでに失脚させ、「反腐敗」キャンペーン通じて自身が関与していない派閥を粛清・服従させる等、前任の主席の下では中国共産党によって認められてきた派閥の多元性を許容しないことを極めて迅速に示した。(…)

https://noahpinion.substack.com/p/what-if-xi-jinping-just-isnt-that?utm_source=substack&utm_campaign=post_embed&utm_medium=web

習近平はそんなに有能ではない。皆がこれに気づいていないのは、彼が党の掌握に驚くほど熟練した手腕を見せつけたからではないかと思う。習近平は、ライバルだった薄熙来を劇的に失脚させ、「反腐敗」キャンペーンを利用してライバルの多くや態度をハッキリさせない者を一掃し、警察を粛清し、毛沢東以来のカルト的な個人崇拝を作り上げている。こうした企て全てによって、彼は自身を大胆なビジョンと鉄の意志の持ち主であるとのイメージを作り出し、取り巻く権力構造を変えた延長線上に、世界を冷酷に作り変えられる人物だと喧伝したのだ。言うまでもなく、今週、習近平は、類を見ない規模での権力の掌握に成功しようとしている。3期目の最高指導者への就任だ。これは、中央集権化も伴っていて、事実上の終身独裁者への道を開くものとなっている

でも、この「強い習近平」の物語は、中国共産党の意向によって中国は基本的に何でも達成できるとの事実が暗黙の前提になっていた。前提というのは、つい最近までの30年もの世界でも類を見ない急成長の達成(巨大化した都市、高速鉄道、先進国水準になった生産能力)といった、見るものを圧倒する成果のことだ。中国共産党の目的と、国家の目的はずっと一致していた。でも、党の目的が、習近平の個人的な目的(彼を全能の存在とする)になってしまった。

でもこの〔党と国家の目的一致という〕前提は、事実だったとしても、ずっと偶然の一致に過ぎなかった。たしかに、90年代から00年代にかけて、中国共産党は、産業政策を地方に委託し、統治能力を党内に持ち帰って検討し、後継者を合意で決め、最高指導者を同格の指導者の一員とする、分散型官僚寡頭制を作り上げた。このシステムを構築し、システムの完成を託せるだけの後継者を選んだ鄧小平は、疑いようもなく歴史上の偉人だった。でも、この体制の強みになっていたのは、散らばった何千万人もの共産党員の才能に基づいていたのだ。

習近平は、中国共産党を自己の下達組織へと再編して、全てを危険に晒している。組織が、能力よりも忠誠に報いるようになってしまえば、トップの人材の質を低下させてしまうだろう。対立する派閥を排除すれば、建設的な批判やコンセンサスによる決定が不可能となってしまう。そして、権力を一人の人物に集中させてしまえば、その人物の失敗が国家の失敗とイコールとなってしまう。

もう失敗は山積みになり始めている。経済成長率、特に極めて重要な生産性の伸びは、コロナ・ショック前から大幅に鈍化していて、現在は基本的にゼロだ。この生産性の暴落で原因となっているのは、習近平によるゼロ・コロナ政策への頑な固執(これは社会統制も目的としていた)、不動産セクターの巨大な暴落の積極的な容認、テック企業などの起業家の取り取り締まり等々…、彼の個人的な選択に多くを負っている。海外に目を移せば、習近平による代表的なプロジェクトである「一帯一路」は、経済的に無駄なインフラ、負債など、世界中に悪評を振りまいている。積極的な外交政策である「戦狼外交」は、香港への弾圧、新疆ウイグル自治区での強制収容所や全体主義的な監視と相まって、世界各所で中国のリーダーシップについての展望を毀損し続けている。他にも、ロシアとの「無制限」パートナーシップの約束は、プーチンがウクライナ侵攻という不手際を犯したことで、暗礁に乗り上げてしまった。彼が主導した国有化産業政策「メイド・イン・チャイナ2025」構想や、最近の半導体支配の推進でさえも、成長の加速では効果を上げておらず、逆にアメリカやその他の国々を、協調から露骨な経済戦争路線へと転換させてしまっている。

習近平は、第20回の中国共産党大会の演説で、こうした一連の失敗を成功に見せかけようとした。これをビル・バートルズは、一連の呟きで紹介している。


ビル・バートルズ:
習近平は演説の冒頭、社会主義の発展についてのお決まりの言葉に続けて、主要な成果を列挙した。

コロナ・ショック「我々は、人命を第一に考え、ウイルスとの全面的な人民戦争を開始した」
香港について「愛国者が香港を統治するようになった」
外交について「我々は中国の尊厳を守ってきた」

https://twitter.com/billbirtles/status/1581470176645591040

ゼロコロナ政策、好戦的な外交、テクノロジーによる取り締まり、香港の鎮圧が列挙されているが、どの事例も、結果の失敗を意思の勝利にすり替えている。ここでは、統一された中国による強い立ち回り、強硬策が優先されていて、経済的・外交的な悪影響が二の次になっていて、万事うまくいっていることになっている。

習近平は、明らかに失敗を犯しただけでなく、中国社会の性格を変えてしまった。僕の中国の知人たちは、政治的にはともかく、経済的・文化的には開放されていた急成長を遂げていた胡錦濤時代や習近平政権の初期を懐かしんでいる。テンセントやアリババのような民間のテック企業の存在は、新進の起業家階級に富や創造性を約束した。中国社会は、上海のダンスクラブから、自宅でのテレビゲーム遊戯、テレビでのアイドルの試聴まで、新たに得た富からの余暇を享受することを学んだのだ。市民は、芸術を作り、法律を実践し、国際的な同僚と最先端の科学に勤しむことができていた。中国共産党は、文化革命や天安門事件の頃の身近に潜む恐ろしい存在ではなく、遠く離れた支配者のように感じられ始めていたのだ。これこそが、『上海中流階級(Middle Class Shanghai)』のような本で、喧伝された新しい中国だった。

その中国はもう存在していない。中国人自身もこれに気づいていて、アメリカ人もそろそろ気づき始めているところだと思う。習近平は、戦車ではなくテック企業を取り締まり、TVアイドルやビデオゲームを規制し、欧米や日本の影響力に対抗するためのキャンペーンを張り、中国市民が世界のインターネットにアクセスするために利用していたVPNサービスを取り締まり、大衆監視と社会信用システムを着実に強化し、生活のあらゆるレベルで共産党の存在感を増大させた。そして、ゼロ・コロナ政策で、とどめを刺してしまった。

習近平による支配の台頭を、古い帝国体制への回帰、あるいは毛沢東の再来であると指摘している人もいる。でも、僕は少し違うと考えている。彼は、ベビーブーマー世代として、懐古主義に取り憑かれ、現代性に反発し、半ば想像上の偉大だった過去の時代に憧れてるんじゃないのか、と。この習近平のノスタルジアは、多くの点でドナルド・トランプに似ていることを思い起こす。トランプも習近平も、政党を脅して服従させ自身を崇拝させるのを得意なことを証明した人物だ。実際、僕の観察の及ぶ範囲で、彼らの共通点として照合できるのは、ある種の威圧感、郷愁、横暴な年寄り、といったものだ。

むろん、トランプと習近平には大きな違いがある。アメリカ共和党は、財界や社会に準絶対的な権力を行使できる官僚主義的な一党独裁政党じゃない。なので、中国でトランプ型の人物が現れれば、その人物はアメリカよりはるかに強大な権力を握ることになるだろう。

この事実(中国の政治・統治構造が権威主義的な一党独裁体制)こそが、鄧小平やポスト鄧小平時代に比べて、今の中国が本質的に欠陥を抱えてしまっている理由だと、僕は思う。こうしたシステムは、国家資源の動員には優れており、これによって中国は常に他の国家より大きな国家資源を持つことに成功した。でもそれは本質的な不安定性との合わせ鏡なのだ。運が良ければ数十年間は、独善的な独裁体制になってしまうのを免れることができるかもしれない。それでも、権力の集中化、市民社会や反体制運動への不寛容、内輪での指導者の選定といったものは全て党内政治を得意とする弑逆的な一人の人物による乗っ取りを招いてしまうだろう。後継者選定のルールが開かれていたとしても、代替権力が幅広く分布していなければ、紙面上の価値しか持たない。

今が歴史の転換点だ。おそらくあと10年、あるいはそれより先に、中国と中国共産党は、歴史上の偉人のように見えていた指導者の実像に遅れ馳せながら気づき、自分たちが袋小路に陥っているのに気づくだろう。もっと早く気づいていれば、彼を追い払えていたかもしれない、でもあの時は誰も彼に逆らう勇気がなかったんだ、と。

これは結局のところ、民主主義のなんらかの利点を示唆しているのかもしれない。

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