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サイモン・レン=ルイス「財政ルール: 財政のための手引き」(2020年3月9日)

[Simon Wren-Lewis, “Fiscal rules: a primer for the budget,” Mainly Macro, March 9, 2020]

財政ルールに債務の GDP 比や債務金利その他のストックの数値を含ませるべきでないのはなぜか,公共投資は財政ルールの一部となるべきでないのはなぜか――こうしたことを知りたい読者は,ぜひ続きを読んでほしい.ただ,その前にまずは2つの重要な原則を立てておかないといけない.

原則 1: 財政ルールはなんのためにある?

財政ルールについて,経済的な最適性の観点で考えがちな経済学者たちもいる.「対 GDP 比の最適な債務はどれくらいだろうか?」「その最適な対 GDP 比の債務にいたるにはどうすればいいのだろう?」 これは,財政ルールがなんのためにあるのかを誤解している.もし,あらゆる政府が善意で動いているなら(いつでも社会のためになる正しいことをしているなら),財政ルールがなくても,そうした政府は最適な政策を追求するだろう.政府は,たんに専門家の参考意見を聞くだけでなく,正しいことを実際にやるだろう.では,最適な政策はこういうものだと定式化してルールに組み込まない理由は,なんだろう?

財政ルールを用意するのは,政府がよいことをしようとしないのを制限するためだ.選挙を間近に控えたタイミングで財政でバラまきたくなる誘惑は(そして,インフレの帰結に対応するのは金融政策にまかせ,増えた分の債務の利子を支払う責任を将来世代にまかせる誘惑は),多くの政府にとってあまりに強い.グローバル金融危機以前に,OECD の対 GDP 比債務は,その30年前に比べて2倍近くになっていた.さらに,さまざまな国々で右派政権は景気後退局面で緊縮財政を採るのは政府規模を小さくする妙手だと気づき,いかにも責任ある対応をとっているかのように緊縮を進めた.以下,無責任な政府について語るとき,そのなによりも明快な例は緊縮だ.

つまり,このどちらの誘惑にも政府が屈することのないようにする仕組みの一部が,財政ルールだ.有権者は騙されうるがゆえに民主主義にはマイナスの外部性が生じる.よい財政ルールは民主主義を覆すことなく,この外部性に対処する.最善の選択肢は,有権者を啓蒙して騙されることがないようにすることだろう.だが,メディアによってそれが不可能になっている社会では,財政ルールと財政審議会が次善の選択肢となる.財政ルールは政府が選んでしたがうものであり,ルールを無視する選択肢もある.このため,財政ルールは民主主義を覆さない.いかなる財政ルールも,憲法に組み入れるべきではない.

原則 2: ルールは最適な政策を無視すべきである

ジョナサン・ポーツとの共著論文で説明しているように,財政ルールは,政府が無責任にふるまうのを完全に止めるのでもなく,しかし最適にふるまうのをまったく止めないのでもなく,そのバランスを繊細にとる.最適な財政政策がどのようなものかをほとんど考慮することなくもっぱら政府を制約するようルールが設計されているように思える場合があまりに多い.経済に痛手をもたらす財政政策を実施するよう政府に強制するルールはダメなルールで,そうしたルールが長く守られることはありそうにない.

そのもっとも明らかな例は,金利が下限に達しているなかで政府が経済を刺激するのを財政ルールが止める場合だ.共著論文で私たちが提案した財政ルール以前には,あらゆる財政ルールがこの欠陥を抱えていた.イギリスでこれまでに実施されてきたルールは,もれなくこの欠陥を抱えている.

よい財政政策ルールに必要な5項目

  • 項目 (1): 金利が下限に達する(あるいは達するかもしれない)景気後退の局面で,ルールは財政刺激を義務づけねばならない.
  • 項目 (2): 債務と赤字は緩衝材であり,財政ルールは政府の無責任なふるまいを抑制しつつもできるだけこの緩衝材のはたらきを邪魔しないようにすべきだ.[1]
  • 項目 (3): 公共投資は,いかなる赤字目標にも含まれるべきでない.よい投資プロジェクトを放棄して赤字を減らすのは,病気そのものよりも悪質な治療法となる.費用ばかり嵩む無益な投資プロジェクトを止める最善の方法は,恣意的に GDP 比で一定限度に投資を制限することではない.最善の方法は,なんらかの権限をもつインフラ諮問委員会だ.
  • 項目 (4): 権限をもった財政諮問委員会は,財政ルールを補完する必須の存在だ.こうした予算責任局(OBR よりも強い権限をもつ委員会)は,より最適な財政ルールを敷くことができる.
  • 項目 (5): 財政ルールは,長く持続するよう設計されなければすぐれたものにならない.そうしたルールにするには,あらゆる不測の事態に対処しうる構造を備えさせるべきだ.だが,5年ごと,あるいは10年ごとに,財政諮問委員会と共同で公開討論も含めて赤字目標を再検討するべき理由には事欠かない.

必要事項 (2) と (4) はお互いに作用しあう.財政赤字を緩衝材に政府がもちいられるようにする最大限の裁量をゆるす財政ルールが,5年繰り越し型の目標だ.具体的な日付のついた将来目標を設定すると,その日付が近づくにつれて問題がおこる.というのも,その日付の直前になんらかのショックが発生した場合,短期的な財政の調整が必要となり,経済に打撃をもたらしてしまうからだ.これは項目 (2) に違反する.これに対して,繰り越し型の目標では,政府がズルをできる.なぜなら,目標はけっして到着しないからだ.そうしたズルをとがめられる財政委員会があれば(そして政治的な実権を手にしている委員会であれば),もっと最適な政策ができるようになる.

2010年〔保守党キャメロン政権ができた年〕以降,保守党はどれくらいうまくやってきただろうか?

〔ケインズの〕『一般理論』が1936年に書かれて以来,もっとも無責任な政党に保守党がなったのが2010年のことだ.保守党は項目 (1) に違反して緊縮を実施した.皮肉にも,政府の収支(赤字から投資を差し引いたもの)に 5ヶ年繰り越し式目標を採用することによって,このルールは項目 (2) と (3) を満たしている.保守党はイギリスの財政委員会である予算責任局 (OBR) を創設したものの,ズルをとがめるのに十分なほど強い責務を OBR に与えなかった.ルパート・ハリソン〔経済学者,ブラックロック社のポートフォリオマネジャー;オズボーン財務相のスタッフを務めた〕は IFS の専門知識をこのルールづくりに持ち込んだももの,IFS はマクロをやらなかったためなのか他の理由のためなのか,必要項目 (1) は無視された.まさに,金利が下限に達していた時点でのことだ.

これこそ,保守党政権の財務大臣のもとで検討された財政ルールのクライマックスだった.保守党の主なルールでは公共投資が除外されていたものの,おかまいなしに政府は公共投資を急激に減らした.だからこそ,景気の回復は2010年から2013年まで遅れたのだ.のちに,オズボーン財務大臣は,まるで財政ルールが自分の玩具であるかのように玩んで野党を困らせた.いったい何度繰り返されたか,私も数えきれなくなったほどだ.ここで非難の多くはメディアに向けられるべきだ.ゴードン・ブラウンは景気循環の定義を玩んだと言われ,強く攻撃された.だが,彼は自分の財政ルールを10年間守った.これは政策に影響を与える上で重要だった.これと対照的に,オズボーンは好きなように財政ルールを変えるのを許されたが,〔メディアからの批判で〕ほんのわずかしかしっぺ返しを受けなかった.

現状はどうなっているだろう? このあとすぐ述べるように,第一の必要事項を満たすルールが登場したら,私も仰天するだろう.第一項目を満たすルールをつくるのは,緊縮が失敗だったと認めるのにかぎりなくひとしい.(経済の自動安定化装置が機能できるようにする要素をルールに入れても,項目 (1) は満たされない.なぜなら,金利が下限に達しているなかでの景気後退では,相当な規模の財政刺激策が必要だからだ.)

2019年に保守党が出したマニフェストに盛り込まれた財政ルールは,こういうものだった――「予想期間の3年目までに,予算を均衡させること.公共部門の正味の投資額を GDP の 3% に制限すること.金利が顕著に上昇して政府歳入の 6% 以上にまで金利コストが増大したときには各種の計画を見直すこと.」 オズボーン政権の最初の財政ルールからどれほど遠く後退したか,これが具体的に物語っている.この赤字目標は,繰り越し式ではなく決まった期日を設けている.財政の収支が目標にされているのは変わらないが,公共投資に恣意的な制限が設けられている.(オズボーンはさらに後退して,〔投資を除くことなく〕赤字全体を目標にしてしまった.)

(投資を除いた)赤字目標の数字はどうあるべきだろう?

すぐれた財政ルールなら,長く続く仕組みを備えるべきだ.これを検証するのには,いい方法がある.過去に当てはめて,そのルールだったらどうなっていたか考えるといい.税制ルールに債務目標を含めると,確実に,そのルールは長持ちしなくなる:だからこそ,ゴードン・ブラウンのルールは失敗した.だが,必要事項 (5) に述べられているように,長期金利その他の要因についての考えが変わったのを反映させるべく,10年ごとにでも債務目標を変えるべきでない理由はまったくない.可能な選択肢のひとつに,5ヶ年ごとの再検討を予算責任局 (OBR) の職責にするやり方がある.長期金利・トレンド成長率・最終的に対 GDP 比の債務がどうあるべきかについての考えの変化を考慮に入れて,5ヶ年ごとにルールを再検討するのだ.

ここで,債務の利子を問題にしないといけない.この問題は,「トニー・ブレア・グローバル変化研究所」による最近の論文で論じられている.ここでは,主要なポイントだけを述べよう.たとえば,債務対 GDP 比を一定に保つ目標を設定するなら,債務の利率がどうなると予想され,名目 GDP の成長率がどうなると予想されるのかによって,基礎財政収支の赤字(利払いを除外した赤字)がどうあるべきかは左右される.利率がなぜ重要かというと,同じ基礎財政収支赤字をやっていても利率によって名目債務のストックは増えるからだ.また,GDP 成長率が重要なのは,それによって債務対 GDP 比が下がるからだ.

もちろん,実際の赤字と基礎財政収支の赤字のちがいは,債務の利払いの有無だ.ここまでのところ,各国の政府は基礎財政収支の赤字を目標に設定しない傾向が見られる.だとすると,問題は,いまの債務利率と将来予想される利率が異なるかどうかだ.もしも債務利率が下がっていて,しかも債務の多くが長期債であれば,これはありうる.この点はややこしいので,予算責任局 (OBR) のような組織が関与する必要がある.

たとえばここで提案されているような,債務の利払いの最大利率(そしてもしかすると最小利率)は,財政ルールにとってよい考えではない.なぜだろうか? 債務の金利とは,たんに債務のストックに債務の平均金利コストをかけたものでしかない.そのため,債務ストックだけを目標に設定するのと同じ問題が生じる.たしかに,債務へのプラスのショックのなかには金利の低下と相関しているものもあるけれど,すべてがそうなっているわけではない.また,かりにプラスのショックがすべて金利低下と相関しているとしても,そうした相関が財政ルールを円滑にするために必要な項目とすべき理由はなんだろうか?

ここまで,政府の差し引き正味の富ではなく債務対 GDP 比を長期的な目標とすることについて述べてきた.たんにその方がなじみのある概念だからだ.赤字目標がどうあるべきかについて助言する際には,財政委員会は政府の正味の富と債務水準の両方に注目した方がいい.利益の上がる資産を政府が売却して債務を減らしても,ただ世間の目をくらますことにしかならない.民間資金活用事業 (PFI) のようなやり方も,同様の罠にはまる危険がある.

公共投資をどう定義すべきか?

必要事項 (3) では,赤字目標から公共投資を除外している.投資は将来世代に便益をもたらすからだ.だが,現在の支出のなかには,やはり将来世代に便益をもたらすものもある.たとえば,教育がそうだ.では,国の会計でいう公共投資の定義は,財政ルールに用いるに限定されすぎているのではないだろうか? 噂では,蔵相はこの線で考えているという.

まず,よくある混乱を正しておくのが重要だ.公共のお金で建設された橋は,その後の何世代にもわたって便益をもたらすのがのぞましい.だが,橋は定期的に補修が必要になる.そのコストは,現在の支出の一部だ.これは意味をなすだろうか? 意味をなす.この補修コストは,橋という資産を維持するのにあらゆる世代が支払わなくてはならない対価だと考えられる.現在の世代はその支払いを免れるべきだと考える理由はない.同様に,新しく病院を建てたなら,その病院が何世代にもわたって存続するのがのぞましい.だが,どの世代も,その病院ではたらく看護師たちに支払う必要がある.

教育はどうだろうか? 教育は橋とはちがう.橋はいったん架けてしまえば建設費用はおしまいだが,教育は一度きりの支出ではない.たとえば政府が学級人数を少なくしようと決めたなら,いまの支出を増やす必要が生じるのはもちろん,さらに将来の支出も増やさなくてはいけない.橋の補修と同じく,この決定はそれに見合うだけのリソース配分を継続する約束をずっと守っていくことが必要になる.

公共投資を赤字目標から除外すべきだと考える理由は,たんに公共投資が将来世代を助けることにつきない.一度きりの投資で将来世代に便益をもたらすからという理由もある.

グリーンニューディールの資金を調達する

この議論は,気候変動対策への支出をまかなうことを考える際に重要だ.エネルギー生産をグリーンにするのは,一度きりの投資で将来世代に便益をもたらすわかりやすい一例だ.この理由から,経済学者のなかには,経済をもっとグリーンにするために政府債務が増大すべき理由を理解している人たちがいる.リンク先で私が説明しているように,これがなされるべき程度には限度がある.なぜなら,汚染している人々(現在世代)が支払うべきだからだ.だが,ここで述べているように,経済をグリーンにする重要な仕事を止める口実に財政ルールを使うべきではない.

金融政策のように財政政策を運用するのはどうか

金利は中央銀行が決める.あるいは,イギリスのように,外部の専門家たちを含む委員会が決める.予算の策定にこれと同様の専門家委員会を設けるよう提案している人はいないが,予算で蔵相が達成すべき全体の赤字を専門家委員会が設定するのは可能だろう――Jagjit Chandha がここで述べているとおりだ.そうした専門家委員会(強化版の予算責任局 (OBR) の一部をなす委員会)は,対 GDP 比の債務についてなんらかの長期的な目標を達成するのに最適な赤字経路を算出できるだろう.財政ルールの必要はない.

インフレ目標がなぜ機能するかといえば,誰もが低いインフレ率を望んでいて,しかも――ここが重要――そのインフレ率を達成する方法には大量の専門知識が関わっているのを誰もが認識しているはずだからだ.経済の仕組みについて,なんらかのモデルをもつ必要がある.総合的な財政政策は,それとはちがう.低いインフレ率に相当するものが財政政策にはない.安定した対 GDP 比の債務はそれに近いかもしれない.だが,多くの人は「グローバル金融危機以後に GDP 比の債務は高くなりすぎた」と主張するだろうし,他の人たちは「そんなことはない」と主張するだろう.両者の言い分はとてつもなくかけはなれている.

同じことは,長期目標の達成方法についても言える.前述のとおり,マクロ経済理論からは長期目標達成をゆっくり進めるべきだと示唆される.だが,それは50年だろうか,それとも100年だろうか? そんなことはわからない.その結果,専門家たち全員が同意できるのは,財政の平滑化のような一般的美徳くらいのものではないだろうか.この美徳なら,すぐれた財政ルールが体現できる.

同じ論点を,ちがったかたちで述べてみよう.すぐれた金融政策のためのルールはありうる.だが,おそらく,専門家委員会の方がそうしたルールよりもうまくやれる点に,大多数〔の学者〕が同意するだろう.すぐれた財政ルールがあったとして,同じことが財政政策についても当てはまるかどうか,私にはわかりかねる.

また,政治経済的な問題もある.蔵相が達成すべき赤字を設定する専門家委員会ができたとしても,長続きはしないのではないかと思う.そのため,そうした専門家委員会が設立されることはないだろうと私は考えている.もしかすると,金融政策と同じくらい財政政策にも時間と労力を学者たちが注いだなら,20年後くらいに委員会ができるかもしれない.だが,いまのところ,これは実現の見込みのある案ではない.

原註 [1] その理由を理解するには,コロナウイルスが赤字と債務におよぼす影響を考えてみるといい.コロナウイルスによって急激な景気後退に陥ってもさいわいに短期で終熄したとして,少なくとも税収は減り,赤字と債務は増大する.その赤字が将来におよぼす影響は最小限にとどまるだろうから,将来の財政政策に加えるべき調整はほんのわずかだろう.これが最適な政策対応だ.だが,この短期的な赤字により,債務/GDP 比は永続的により高くなる.このため,債務目標を設定している場合,急速な財政面の対応が必要となる(これは最適ではない).経済の緩衝材を維持する上では,赤字目標の方が債務目標よりもすぐれている.


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