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ジョセフ・ヒース「移民についてのカナダ特殊論」(2017年7月1日)

Canadian exceptionalism
Posted by Joseph Heath on July 1, 2017 | Canada, immigration, multiculturalism

先日のことになりますが、イギリスの選挙ではジェレミー・コービンが躍進し、フランスではマクロンが現象を巻き起こすことになりました。この両出来事を受けて、右派ポピュリズムの熱狂は崩壊し始めている、といった楽観論が見られます。こういった楽観論が現れたのは、ドナルド・トランプ、彼の存在がある程度は理由になっているでしょう。トランプの選挙とそれに引き続いた彼の言動は、醜悪なアメリカ人の完全な自己標本のようなものになっていました。このトランプの一連の言動は、他国の有権者に「トランプに権力を与えた熱狂を我々は克服しているのだ」と思わせ、これらの国におけるポピュリズムの趨勢に相当のダメージを与えたことは疑うまでありません。(思うにこのトランプの言動はフランスでの出来事において重要な要因になっていました。)

ほんの数ヶ月前だと、〔このような楽観論は全く存在せず〕様々な事情は全く異なって認識されていたのです。当時、カナダでは排外主義が勢いづくような兆候が〔諸外国と比べて〕例外的に観察されず、カナダは特殊なのではないのか、といった議論が国内に蔓延することになりました。私たちカナダ国民皆が見た、ジャスティン・トルドーが笑顔でシリア難民を空港で歓迎している写真が、世界中の新聞に転載されたのです。そして写真が掲載されたことで、カナダ人の多くが、我が国はなぜ特殊なんだろう、と不思議に思うことになりました。

よく指摘されているように、カナダにおける移民の受け入れと多様性に対する態度は、他の西欧諸国と違う重要な特徴がいくつか存在しています。(このカナダ態度は、多くのカナダ国民に「カナダ特殊論」の出現、と吹聴させるに至りました。) 通常、移民の数は増えるにつれて、受け入れへの大衆支持は低下していきます。カナダは、ここ数十年において、受け入れ人数と大衆支持が共に上昇した唯一の国なのです。さらに、愛国心と移民受け入れへの大衆支持は、カナダにおいては正相関しているのですが、ほとんどの西欧諸国(アメリカを含みます)では相関は負になっています。

カナダにおいても、常に今のような状態はなかったのです。1990年代中頃までは、カナダもまた他のほとんどの西欧諸国と同じように見えていました――移民の増加は、移民流入への大衆支持の低下や、社会が移民とうまく統合する能力の自信喪失に相関していました。(人によってはこの期を、多文化主義についての非常に悲観的な書籍がいくつかベストセラーになった時代として覚えているかもしれません。リチャード・グゥインの”Nationalism Without Walls“(『壁無きナショナリズム』)やニール・ビスソーンダスの”Selling Illusions“(『幻想の販売』)などを挙げられるでしょう。)

90年代の中頃になって、なんらかの転換点に到達することになりました。転換点は、数え切れないほど「中核が維持できない」と言われ続けてきたにも関わらず、「中核」は実際には維持されていることや、高い移民流入率によって予測されていた多くの悪影響が具現化していないことに、一般の人達が単に気づいただけだったかもしれません。どう解釈するにせよ、移民受け入れへの大衆支持は、1995年前後に底を打った後、ほぼ20年にもわたって安定的に上昇しました。(ここ数年は横ばいになっています)。

1990年代に何が起こったのかを正確に特定する為に行うべき興味深い研究は未だに多く残されている、と私は考えています。カナダの移民受け入れ政策の〔他国と比較した〕相対的成功に関して、いろいろ多くの説明が提示されています。しかし、その多くはあまり説得力がありません。それらうちのいくつかは、全くもって説明になっていません――「寛容さ」や、「政府の政策」や、「国家アイデンティティの一部」に文化多様性が備わっている、といったものに帰するような言説です。こういった言説は全て結論ありきです。例えば、移民を受け入れているほとんどの国の政府は、カナダと似たような移民の統合と受け入れの促進を目的にした政策を採用しています。ほとんどの国で採用されているこういった政策が、他の国よりカナダでは成功している理由が疑問になっているわけです。

一方、カナダ人は「我が国が単に立派なのだ」と解釈するような誘惑に駆られてしまっています。私は自画自賛的な説明を提示するつもりはありません。しかしながら「カナダ国内の人」にとってはお馴染みなのですが、国外の人からはしばしば見過ごされている、いくつかの事実についても確認しておきたいのです。

その上さらに、学者っぽい前置き言及となりますが、「カナダにおいて全ては素晴らしい」とか「何の問題も無い」と示唆することのないように、私は注意する必要があるでしょう。今のカナダが他の国々よりうまく行っている理由を特定するのは大事なのだ、特定することで、この先、現状に対して改良が試みられた時、今せっかく機能しているものを不用意に破棄してしまわないで済むだろう、 と端的に考えているだけです 。

予備的な基礎の説明

細部に立ち入る前に、この一連の問題がアカデミックな場で議論されている時に、重要なものとして持ち出されている、一つの概念をハッキリさせておくことは大切です。評論家達は、カナダの多文化主義の「パラドックス」について語ってきたものでした。評論家によると、「カナダは移民にある種のモザイク〔棲み分け〕を約束しているが、それは結果としてよりメルティングポット〔人種のるつぼ〕になっている。一方アメリカ合衆国では、メルティングポッドを約束しているのに、結果的によりモザイクになってしまっている」と。(非常に局地的な統計値を実例として一つ挙げると、カナダの黒人が他の民族集団と婚姻する率はおおよそ40%ですが、他方アメリカでは10%以下です。)もっと大まかな実例だと、カナダでは、移民を社会の基礎的な制度機構へ統合することに、顕著に成功を収めてきました。法令遵守や労働市場への統合といった限定的な要素を超えて、広い領域にわたっての達成となっています。これは、市民権の獲得から、公党への参加、高等教育における成功といった広範囲への積極的かつ選択的な参加を含んでいます。

カナダにおけるこの「パラドックス」を解くための鍵は、制度によって設計された統合(様々なルールに参加し従うこと)と、文化的な相互理解(他者の特定宗教・音楽・スポーツ・娯楽・習俗・家族構成・食事の好みなどを受け入れること)を分離して識別することです。ウィル・キムリッカによって遠い昔に観察された、多文化主義政策で最優先とすべき目的があります。移民の統合の促進は、諸制度を必要に応じて微修正することです。つまり、移民は文化的に同化せずとも、諸制度へは確実に統合されていなければならないのです。(言い換えるなら、この制度設計とは、移民が社会の基礎的な制度機構に完全に参加する為に、文化的な違いが不当な障壁にならないように機能するように設計・施行されたものです)

この最適事例は(再びキムリッカからですが)、シーク教徒の公務員がターバンの着用を許容することを目的に行われた、RCMP1 の制服の変更です(1990年代初期に、多文化主義の名の元で、行われた政策です)。この政策おける重要な要素、それはカナダのシーク教徒は国家警察組織への加入を望んでいたことです。アクウェサスネのモホーク族2 と比べてみてください。彼らはRCMPへの関与を一切望んでいないどころか、特別居留地区の警ら活動のために自前の警察機構を組織化しています。このモホーク族の要望は、シーク教徒のそれと完全に正反対の価値観――反統合主義的な要望になっています。モホーク族はRCMPへの参加希望からかけ離れて、RCMPへの一切の関与を望んでいません。モホーク族は、カナダ国内に自治集団を形成していることで、RCMPへの関与を拒否する権利も与えられています。シーク教徒が同じような要望を行ったとしましょう(例えば、ブランプトンとバーナビーの一部地域から現存する警察組織の撤退させ、警察組織をシーク教徒だけに置き換えるような要望です)。もしそういった要望が行われれば、不安材料となるでしょうし、当然のことながら多文化主義の失敗として解釈されることになるでしょう。このような事態に陥らず、シーク教徒が現存の警察組織への参加を望むという事実は、「統合の成功」の強い象徴になっているのです。

どんな場合においてもカナダでは、文化を尊重した多元主義の促進によって(おそらく無自覚にですが)社会の諸制度を共有する統合を暫時的に強く達成することに成功してきました。このことは、カナダにおける、移民の受け入れに対する広範な大衆支持の裏付けとなっており――この大衆支持こそが、移民の統合における私たちの社会の現たる成功そのものになっています。カナダにおける移民の流入は、周縁化され、権利剥奪され、疎外された低賃金労働者からなる下層階級を生み出していません。他の国家(特にヨーロッパ諸国)は、この文化を尊重した多元主義の促進の観点では、一連の政策が失敗してしまっているのです。なので、これが一部原因となり、移民受け入れの反対論が活性化するになっています。これは、ある程度まではアメリカにおいても同様です。言い換えるなら、カナダにおいて移民と多文化主義を支持するのは、事後的な理由によって、相対的に容易だと考えられるのです。これは私たちが享受している贅沢です。他の国々では、(完全にとまではいかなくても、少なくともカナダよりは明白な有り様として)こういった政策は失敗してしまっており、カナダと同じような政策を後押しするのが非常に困難になっています。

成功の理由

1.非常に少ない違法移民

おそらくですが、カナダとアメリカの最も重要な相違点は、カナダ国境の南側においては、移民の受け入れ政策に関するいくつもの論点が、違法移民の問題によって完全に牛耳られてしまっていることがあります。実際、このワンイシューによってアメリカにおける論点は毒されてしまっている、と言ってしまっても過言ではないと私は考えています。対照的にカナダにおいて、違法移民はあまり問題になっていません。(カナダにおける移民の未登録人口は、推定で20万~40万人になっており、アメリカの同種の一番低く推定された人数のおよそ15~25%にすぎません)。大変興味深いことに、このカナダにおける移民の未登録人口割合は、シリア難民危機前のヨーロッパの割合と同じような水準です。しかしヨーロッパの人々はこれを67%が懸念事項と考えているのに対して、カナダ人はたった50%です。(ただ留意すべき重要性があります。カナダにおいても、違法移民への反感の程度は、ヨーロッパの人々と同じくらいなのです。ただカナダではそれを問題と考える傾向が低いことに過ぎません。)

カナダ人が抱く違法移民へのこの感情の理由のいくつかは、しばしば指摘されているように、幸福な偶然です。アメリカ合衆国と違い、私たちカナダは、自身の国よりはるかに貧しい国との制御できない巨大な国境を保持していません。(アメリカ合衆国とメキシコを巡る状況は、地理的に極めて特異なものになっており、こういった実状に至っている国は極少数です。)しかしながら運だけでなく、カナダにおける特筆すべき事実があります。それは、カナダは永住を選好する期間労働者への依存を低水準とするような政治的選択を歴史的に行ってきたのです。(壁を建設するといった)物理的な意味での国境管理は、抽象的思考能力に乏しい人だけが、優先的に関心を示している問題にすぎません。アメリカにおいてさえ、違法移民の半数は合法的に入国した上で、許容された入国期間後にオーバーステイしているのです。特にアメリカの期間労働者プログラムは、違法移民を産む主たる源泉になっています。

違法移民の流入問題においては、どんな場合でも経済的影響はあまりなく、感情が重要になっています。「人が不法にここにいるかもしれない」という疑念は、極端までに感情をむしばむことになります。そして、(特に皆が無料の健康保険を受けられる国の)生来の人達に巨大な猜疑心を抱かせることになります。例えば、現カナダにおいて、負の感情は、移民に対してよりも、難民に対して存在しているのです。このカナダの負の感情のほとんどは――ハーパー政権によってけしかけられたものですが――「難民の大多数は『本物』でなく、過剰に寛大な制度から利益を得ている」といった認識におそらく基づいています。

私は、違法移民の流入に関しては、この感情的な影響が論点として重要だと考えています。特にこれは、多文化主義と国境管理における標準的な左派・右派の立ち位置を破壊するからです。私の知人のほとんどは、この多文化主義と国境管理の問題の両面において「柔軟」な立ち位置を保持しています――知人らは、文化的多元主義のことになると、非常に融通が利いて柔軟でありたいと望んでいますが、同時により大規模な「穴だらけの国境」を欲してもいるのです。(また知人らは、「違法」移民の代わりに、「登録されていない」といった偏向した用語を使用します)。対照的に標準的な右派の見解は、厳格な国境管理と、多数派文化への特権の付与を欲しています。(故に、右派は他者に不寛容な立ち位置なのです)。私が支持している見解は、以上の標準的な左派・右派とは異なり、時に「ココナッツ・モデル」と呼ばれるものに基づいています。「ココナッツ・モデル」とは、国家は「固い外殻」と「柔らかい中身」を持つべきである、というものです。

基本的に、このココナッツ・モデルは(本質的に次善策である故に)次のように国民を信任を得られるかどうかにかかっています。文化的多元主義に対応した柔軟な国内政策が国民の支持を得るには、国民が自身の社会を作り上げるための自主的で心からの選択に基づいてその政策は促進されている、と国家が国民を信任させていることが唯一の方法になっています。そして、自主的で心からの選択であると国民に納得させるには、国家が政策の全過程をコントロールしていると、国民は確信せねばなりません(この信任は、大規模な不法移民によって弱体化することになります)。

2.あらゆる場所から人を呼び込む

これもまた、政治的だけでなく、地理的な理由でもあるのですが、カナダは全世界のあらゆる場所から人を呼び込む移民を受け入れ政策を行っています。結果的に、流入する移民人口において、特定の集団が支配的になっていません。つまり「少数派内多数派」は存在しないのです。実際、通常の年度では、どこか特定の地域から移民集団が、カナダに来た総移民数の15%を超えることはありません。これは、フランスにおける北アフリカ人、ドイツにおけるトルコ人、アメリカ合衆国におけるメキシコ人の状況とはまったく異なっています。カナダのこの移民の流入構成は、文化・民族的コミュニティが個別に固まってしまう可能性を非常に小さくしています。個別の文化・民族的コミュニティが、社会の中に持続的なサブカルチャーを作り上げるのを不可能にしているのです。これはカナダにとって中心的な利点となっています。このサブカルチャーを作り上げるような可能性が著しく制限されていることを、別の文脈である社会学では「社会的逸脱」と呼んでいます。もっと一般的的な言い方をするなら、このことは、移民達が広く多様な労働へ参加するインセンティブを強化させることになっており、それだけでなく多数派の言語を学ぶインセンティブも強化することになっています。後者の要素は、ケベックにおいて特に重要です。移民達が自集団の間でしか通じない言語を話さないなら、多数派の言語や学校で教わっている言語を使用することに自然と惹きつけられることになるでしょう。移民達の内輪の仲介関係においてもです。

結果的にカナダでは、民族コミュニティが組織・ネットワーク化を形成する時、それが永続的な民族「ゲットー」として固定化することなく、移民の社会統合は促進される、との確信があるため、政府による組織・ネットワーク化の形成の促進が可能になっています。対照的に、多くのヨーロッパ諸国では、移民のコミュニティ内で自発的な社会集団の発達を促進することを国は忌避しており、ましてや国が移民の組織化を後押しするようなことは絶対にありえません。なぜならヨーロッパ諸国は、民族的コミュニティ内のあまりに多くの「分断化」を既に経験してきたので、孤立化/阻害化に至ってしまうことを恐れているからなのです。

3.節制を促す政治制度

カナダには、ドナルド・トランプ、ナイジェル・ファラージ3 、マリーヌ・ル・ペン、イェルク・ハイダー4 と似たような人物が存在していないのどうして? とカナダ人はしばしば疑問を持ちます。存在している――その人物の名はプレストン・マニングだ、と私は返答しています。カナダでも、20年以上前に、ポピュリズムの移民排斥主義政党の発生を経験したことがあります。今やマニングは老いて高齢なので、人々は、マニングのカナダ改革党が、どんな存在だったのかを忘れがちです。改革党は、カナダ多文化主義法への反対と移民流入への敵意を公約化することで巨大な牽引力を生み出していたものでした。当時、マルルーニー率いる保守党と改革党との間には大きな争点になっていた断絶がありました。その断然の一つは、マルルーニーは大規模な移民の受け入れを支持していることにありました(そしてマルルーニーは明確にアンチ・レイシストでした)。対して、改革党は多文化主義的法を廃止することを公約に掲げ、国家の民族の構成比これ以上変えてしまわないように移民の受け入れ政策を変更することも公約していました(非西欧国家から移民の受け入れに定数制限を課さないと達成できないような案でした)。また改革党は、カナダ西部地域のケベックへの敵意や、公用語の二言語主義制度への反発といったものにも迎合しました。小規模な大衆迎合レベルでは、RCMPの制服をシーク教徒の警官に配慮して〔ターバン着用を可能に〕変更したことに反対することで、多くの支持を党に集めました。(改革党の一部の政治家は、シーク教徒の退役警官がターバンを脱ぐのに同意しない限り、在郷軍人会の施設への入場を禁止する提言まで行ったのです)。プレストン・マイニングは、こういった熱に浮かされた鬱積を悪用し、改革党への支持に誘導させることに際立って成功させることになりました。

すると、ポピュリズム政党である改革党がこうして躍進を遂げたことで、何が起こったのでしょう? この改革党の躍進は、即座に右派の分裂を産むことになり、〔中道左派政党である〕自由党が容易に連邦政府をコントロールする道を見開くことになりました。なので、我が国の政治システムの構造――特に小選挙区制度が原因になり、右派にこの分裂を打開する強いインセンティブを与えることになりました。そして、改革党は徐々に政策転換を迫られ、政策から偏狭でポピュリスト的な部分を外すことを強要されたのです。この改革党の方針転換事業における手間がかかった実務プロセスの大部分は、スティーブン・ハーパー5 とジェイソン・ケニー6 によって執り行われることとなりました。ハーパーとケニーは協力し、カナダの極右勢力を纏め上げるという、左派の誰もが夢にも思わなかったような仕事を成し遂げたのです。今もアルバータ州の右派で、同じプロセスが繰り返されているのを観察することができます。こういったプロセス全ては、我が国の政治システムが、穏健右派が極右をコントロールする強いインセンティブを抱えていることに起因しています。結果的に、私たちは、ヨーロッパ諸国の非常に多くが抱え込んでいるような極右や移民排斥主義の政党の発生に未だ遭遇していません――人口の15%前後を恒久的「基盤」として持ちつつも、権力を得るには十分でなく、それでいて議席的に強い存在感を確保していることで、主張を常に響かせることになっているような政党です。

カナダの成功体験の重要な特徴に、このような極右政党が欠如していることがあると私は考えています。なぜなら、こういった類の政党は、政党への投票数を遥かに超えた国家規模の争論を引き起こすことになるからなのです。特に、これらの政党は、メディアの注目を得ることでもって、多くの移民にレイシズムの水準や、一般住民内に現在するマイノリティ・グループへの敵意を、おそらく実際より強く感じさせることになっていると考えられます。言い換えるなら、カナダにおいてこのような政党が存在しないことは、移民達にマイノリティへの敵意を実際の存在以下に感じさせることになっているでしょう。どちらにせよ、極右政党が存在しないことは、統合にとって良いことに思われます。理由の一端を挙げるなら、日常的な交流において人種や民族性が目立つことを減少させることになるからなのです。

4.移民は、包括的国家の建設プロジェクトの一端を担っている

カナダ社会内の主要な亀裂――国家の分裂を脅かしているものは――「国家設立民族」(イギリス系、フランス系、先住民)間に存在していることに着目するのは重要です。ちょうど私の手元には今日付けの、『グローブ・アンド・メイル』紙のカナダ独立記念日版があります。紙面では州知事全員への、将来の理念と抱負に関する短いインタビューを読むことができます――が、ケベック州知事だけが掲載されていません。彼はインタビューを拒否したのです。一方、オタワにおいては、カナダ建国150周年記念に抗議するための、「再占領」ティーピー7 が存在しています。今後もこういった出来事は続いていくでしょう。将来の建国200周年記念では何か事態が変わっている、と本気で考えている人はいますか? 結局、私たちは200周年時も未だに白人が収奪した大地の上に立っているでしょうし、アブラハム平原でモンカルム8 が敗北した歴史が変わることもないでしょう。

対照的に、移民達はやって来たばかりなので、こういった国家創設来の葛藤を一切抱え込んでいません。それどころか、移民らに、この過去の軋轢に関心を持たせることすら難問になっているのです。結果的にですが、移民達は、国家創設来の民族よりも、過去数十年において、国を束ねる役割を多く担ってきました。1995年のケベックのカナダ離脱住民投票に敗れた際、ジャック・パリゾー9 が、「カネと民族票」に原因を擦り付けたのは思慮が足りてなかったでしょう。しかしながら、彼の根拠を示さなかった主張はあながち間違えていたわけでもないです。ケベックの「Allophone〔カナダにおいて公用語である英語とフランス語以外の言葉を話す人〕」達は、基本的にanglophone〔複数の公用語がある国で第一言語として英語を話す人〕に歩調を合わせて投票したように――ケベックのカナダ残留を圧倒的に支持したのです。もし、Allophone達が、フランス語話者のように投票していれば、ケベックはカナダからの離脱に成功していたでしょう。現時点で、ケベックの分離が完全に消滅してしまっているように見做されているのは、ほぼ完全に後発移民に原因があります。ケベック州民でフランス語話者は少しも心変わりしていないのです。以上を、カナダ建国からの大きな眺望で見れば、私たちカナダ国民は国家内の構成層を変化させることでもって、効果的に分離の危機に打ち勝ってきた、ということになるでしょう。

ただ先住民との関係は考慮しないといけません。カナダのアボリジニの合計人口は、最近の移民の流入者の5年分未満にであることを認識することは重要です。言い換えるなら、移民は、人口統計学上は先住民よりも圧倒的多数なのです。この最近の移民たちに、イギリスの入植者達が侵した不正義に関してなんらか責任意識を感じるように納得させること、これもまた重要な課題になっています。カナダは「入植者」による社会なのです、と移民ら伝えても、ぽかんとした反応に遭遇する可能性が高いでしょう。ほとんどの移民たちは(この件に考えている彼らからしてみれば)、自身を植民主義の犠牲者であると見なしているのです。これは、完全に新しい政治情勢を産み出すことになっています。そのうちのひとつを挙げさせてもらいますと、”two-row wampum” model10 での対処が困難になることです。

若い人達の多くは、1、2世代前にはカナダのナショナリズムがどのくらい弱かったのかは、もはや認識困難になっています。私は、学校で「オー・カナダ」よりも「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」を歌っていたことを覚えている世代です。私のような1970年代のサスカチュワン州で育った人は、カナダ国旗をほとんど見たことがないのです11 (私達は誰もカエデの木なんてものを見たことがなかったので、カエデの葉に象徴的意味が付与されていることに鬱積がありました――この〔国家や国旗といった国の象徴作ることでの人工的な愛国心の形成〕は東部カナダでだけ拡大することになっていました)。トロントに引っ越してから、私は始めてカナダ国旗をいたるところで目にするのがお馴染みになりました。最初に気づいたことの一つが、これら国旗は大抵は移民によって掲げられていたことでした。

5.多数派文化の保護を最初から明示化していること

移民の流入では、ケベックは特異な立場にあります。フランス系カナダ人は、カナダ全土においては少数派集団にすぎません。しかしながら、ケベック州においてフランス系カナダ人は、移民と比べてみれば多数派集団を形成しています。フランス系カナダ人は少数派集団として、言語と文化の両面で、イギリス系多数派にいわば「外部から」脅かされています。しかも、ケベックへの大規模な移民の流入は、ケベックのフランス語と文化を「内部から」より弱体化する恐れとなります。なぜなら、ケベックへの移民たちは、国家レベルではローカルな少数派言語(フランス語)よりも、多数派言語(英語)の学習を選択するかもしれないからです。

このように、カナダにおける移民の統合課題は、単に移民を多数派社会へ組み入れることだけにありません。国家内部の少数派社会へ、その少数派当事者からも受け入れやすいような方法で移民を組み入れることも、課題として直面することになってきました。(ドイツ、フランス、アメリカ合衆国のような単一にして覇権的な言語を保持している国と比較してみてください。)よって、国家による移民政策めいたものと可能とするには、ケベック州のための一連の非常に明白な保護(特にフランス語の保護)を提供することが優先手段になっていました。そして、この一連保護政策は、英語系の多数派にも同様に拡張されてきました。よって例えば、カナダでは、移民への語学学習の重要性については、他の多くの国よりもはるかに系統立ったものになっています。その理由の一端は、私たちは、英語とフランス語に対して、非常にハッキリとした特権的地位を設定した「公用語」政策を保持しているからなのです。

思うに、このような公用語政策は結果として、移民を受け入る際の不安感や「人口動態的な懸念」を非常に少なくしています。なぜなら、他の多くの国の政策のあり方と異なり、この公用語保護政策は多数派によって享受されるよう明確に設計されているからです。例えば、アメリカ合衆国では、スペイン語の地位について多くの曖昧な状況が存在しています。標識はスペイン語であるべきかどうか、スペイン語の公立学校は存在すべきかどうか、スペイン語の訳語は提示すべきかどうか、まだまだ続きます…。こういった曖昧な状況は、多くのアメリカ人――非合理的な人であろうとなかろうと――に相当の不安感を感じさせるものです。この曖昧な状況に苦情を漏らした人は、大抵は人種差別主義や排外主義として批判されることになります。「英語の覇権が何らかの形で脅かされるなんて、誰であれ想像できないだろう」との理由によってです。対照的にカナダでは、この曖昧な状況はごくわずかしか存在していません。英語の地位は公用語として成文化されているからなのです。繰り返しますが、これは、英語の地位が脅かされている、と人々が考えているからではありません。フランス語の地位が脅かされており、そのことでフランス語の地位を成文化する必要があるからなのです。そしてフランス語の地位を成文化する場合は、英語も同様に成文化する必要が生じます。なので、ケベックを保護する必要性からの若干の間接的な効果となりますが、カナダは多数派派言語の構成員が抱く不安を軽減する統合政策も採択してきました。

このエントリですが、今年数回講演した内容を手短に書き上げた見解です。ただでさえあまりに長く、そのうえ時間を食ったので、引用文献を追加する時間がありませんでした。申し訳有りません。挙げた統計データが、BloemraadやStatscanで見つからない場合は、グーグルで簡単に検索可能です。

  1. 訳注:Royal Canadian Mounted Policeの略。カナダの一般的な警察機構の名称。騎乗憲兵組織をルーツに持つことからこのような名称になっている。「カナダ騎馬警察」とも訳される。 []
  2. 訳注:北アメリカ大陸北東部の主にニューヨーク州北部からカナダ国境にかけて定住するアメリカ先住民。アクウェサスネは、ニューヨーク州と接するカナダ国境側の地区名。 []
  3. 訳注:イギリスの政治家。イギリスのEU離脱を訴えるイギリス独立党の党首( 2006-2016年 )。現在(2019年)はブレグジット党の党首。 []
  4. 訳注:オーストリアの極右政党であるオーストリア自由党の党首 []
  5. 訳注:カナダの政治家。改革党の創立からのメンバーだが、マニングと対立し離党。2003年のカナダ保守党の党首となり、2006-2015年にかけてカナダの首相を務める。 []
  6. 訳注:カナダの政治家。改革党に所属した後、ハーパーと共に、カナダ保守党の設立に関与する。ハーパー政権では諸大臣を歴任。2016年に下院議員を辞職して、アルバータ州の地方政治に参加。アルバータ州の保守の地域政党を纏め上げ、アルバータ州統一保守党を創設し、その党首に就任。2019年からアルバータ州知事を務める。 []
  7. 訳注:カナダ建国150周年への抗議として、先住民は、先住民テントであるティーピーを国会前に張って座り込み活動を行った。以下のURLで詳しい内容を読むことが可能。 https://ottawacitizen.com/news/national/indigenous-protesters-in-ottawa-erect-teepee-on-parliament-hill-to-counter-canada-150-celebrations []
  8. 訳注:フランス人軍人。カナダの植民地支配を巡ってイギリスとフランスが争ったフレンチ・インディアン戦争におけるフランス側の軍指揮官。ケベック郊外アブラハム平原の戦闘で戦死するが、今もフランス系カナダ人の間では英雄視されている。 []
  9. 訳注:ケベックの分立独立を訴える地域政党ケベック党の当時の党首。1994年にケベック州の州議会選挙で多数派を獲得した後、州知事に就任。翌年に公約として掲げていたケベックのカナダからの独立を問う住民投票を行った。住民投票は、賛成49.4%、反対50.6%で否決されている。 []
  10. 訳注:1613年に結ばれたヨーロッパ諸国とアメリカ先住民との相互の文化や領土を尊重することを確約した条約に基づいた相互承認のモデル。 []
  11. 訳注:カナダ国歌である「オー・カナダ」は1980年に建国記念日の制定に合わせて法制化された。カナダ国旗は、1965年に正式に制定されている。共に中道左派政党である自由党政権によってナショナリズムを強化し中央集権を図る目的に行われた政策である。 []

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