タイラー・コーエン「必要なのは *もっと* 急進的なイスラーム?」

[Tyler Cowen “Do we need *more* radical Islam?” Marginal Revolution, July 22, 2016]

最新記事から引用:

ニースのトラックテロ事件の容疑者はアルコールを飲み,妻を殴っていた人物で,「ムスリムじゃない,クソ野郎だ」と言われてた,

さらに,襲撃による死者の3分の1はムスリムだった (NYT).

急進的イスラームの一形態にスーフィズムがある.スーフィズムにはさまざまな戒めがあり,その多くは本質的に平和主義だ.パキスタンで著名な音楽家であるサブリ兄弟のアムジャド・サブリがテロリストに射殺されたのはそう古い事件じゃない.急進的だったのは,サブリだろうか,それともテロリストたちだろうか? 増えてほしいのはどちらだろう?

先日,ブリュッセルでとある研究者と長いランチをとった.彼はブリュッセルでテロリズムを研究しているところだった.彼の見解では,たしかにテロリストやテロリスト予備軍の大半は自分のアイデンティティとしてイスラームにのめり込むようになるし,グループ支援をイスラームに求めもするけれど,彼らは大して宗教的ではないそうだ.

言い換えると,そういうテロリストたちは「急進的イスラーム」とはちがう.Vox の記事が,「急進的イスラーム」という呼称が実りのあるものとはかぎらない理由を解説している.

一般的に,なにかの見解を「急進的」や「極論」と言ってすませる手合いをぼくは信用しない.そういう風に呼ぶとき,当人はたいてい粗雑な考え方をしているものだ.たんにその見解のどこがダメなのか言えばいいんじゃないの? たとえば,「急進的キリスト教」についてはどう思うのがいいっていうんだろう? いいの,わるいの? 急進的キリスト教って,オリゲネスのことなの,それともテッド・クルーズか他の誰かのことなの? たんに問題そのものを論じればよくない?

同じことは政治についても言える.たとえば,誰かが自由貿易とアメリカ憲法修正第1条〔表現や宗教の自由〕はすばらしいと思っているとしようか.それって,「急進的」だろうか? それとも,主流であって急進的じゃないんだろうか? 急進的ってラベルを貼ったとして,彼の立場が正しいかどうかって議論がなにか進展する?

同様の理由で,誰かの見解やその人を指して「和を乱す」なんて呼ぶのは思いとどまった方がいい.もし現状に問題があるなら,いい改革案は決定的な点で人々の和を乱しておかしくない.つきつめると人の和を乱す事態をつくりだすための「和を乱さない」手段に現代世界は特化していると言えなくもない.

もっと一般的に言えば,「急進的」だの「極論」だのって言葉がでてくるときには,付和雷同する周りの人々が当然視していることに反論できるほど強力な外的な論法や視点なんて1つもないと想定されているんだ.

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