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デイビッド・アンドルファット「MMTとSMT(標準的金融理論):エリック・ティモワーニュとの対話」(2019年9月4日)

A conversation with Eric Tymoigne on MMT vs SMT, Macro Mania, dated Sept 4, 2019

MMTのプログラムにはたくさんの不確定な部分がある。今日はそのうちのひとつに注目したい:金融政策と財政政策の関係だ。MMT経済学者に興味が湧く理由のひとつは、彼らが通貨の歴史と実務の詳細に注目していることだ。この点については私は彼らに多くを学んだ。だが、詳細についてはよくあることだが、MMTが関心を持たれている具体的な部分のみに光を当てているのか、もしくは木を見て森を見ない方向に我々を向かわせているのか、考えなくてはならない。もっと大きな観点から言うと、私が(標準的なニューケインジアン理論ではなく)通貨、金融そして負債を真剣に考えるマクロ経済学の分野で育ったこともあり、なぜMMTがこんな大騒ぎになっているのか時々理解するのが難しくなる。多くの標準的金融理論(Standard Monetary Theory。以下、「SMT」)は、MMT提唱者が議論している一部のアイディアと完璧に整合性があるように思う、例えば「The Failure to Inflate Japan和訳:日本のインフレ目標の失敗)」を参照。

このエントリはより深い理解を得るためにエリック・ティモワーニュに貢献してもらった。エリックはMMTを理解したいと思ったときに私が聞きに行く〔MMT経済学者の〕ひとりだ(もしMMTに興味があるなら、Twitterで彼をフォローすることをお勧めする @tymoignee)。このエントリでは、エリックの論文「Modern Monetary Theory, and Interrelations Between the Treasury and Central Bank: The Case of the United States (JEI 2014)」について議論している。論文からの引用部分はイタリック体になっている。ワーキングペーパーはここで読める。エリックは親切にも私の質問にコメントしてくれ、我々のやり取りをブログで公開することに合意してくれた。少々編集が入っているが、議論の流れをあまり壊していないことを願っている。いずれにせよ、楽しんでくれることを願っている。そしていつものことだが、このエントリのコメント欄での議論に、みんな遠慮なく参加してほしい。ーデイビッドより

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デイビッド・アンドルファット(以下、アンドルファット):
さて、エリック、まず論文の書き出しの部分から始めよう。

MMTの主な貢献のひとつは、通貨主権国にはとても柔軟な政策余地があるがそれはなぜなのかを説明したことにある。自国通貨を発行支出し、また独自の計算単位1 建ての公的債務を供給できるだけなく、予算運用におけるあらゆる自縄制約を容易に無視することができる。

SMTと対比して、ここの部分がどのような貢献をもたらしたのか興味がある。SMTにおいても政府は自国通貨を発行して支出できるし、自国通貨建ての債務を返済できる。なので、この程度の「柔軟性」はすでに説明されている。「自縛制約のある予算運営」については、SMTは分析目的に応じていくつかのアプローチを取っている。そのうちのひとつは、これらの制約を所与のものとして、将来引き起こされるであろう結果を研究することだ。しかし、中央銀行、財務省、政府を統合してひとつの機関とし、予算運営に自縛制約はないとすることも普通にやっている。

もしかしたら、既存の自縛制約のある予算運営は、現実には無視できる(もしくは、無視されている)ということをMMTは説明したいという意味なのかもしれない。しかし、これは次の疑問を導いてくる:自ら制約を課す目的とはそもそも何なのか?と。その制約は意図的に設計されたものなのか、もしそうならばなぜ?それとも偶然生まれたものなのか(もしそうならば、いったい全体なぜそんなことが起こったのか)?

エリック・ティモワーニュ(以下、ティモワーニュ):
もちろん、我々が再三言っているように、統合政府の考え方はMMT特有ではない。経済学文献のみならず、経済議論や討論などでも普通に使われるレトリックの道具だ。

図1:統合政府についてのレトリック例

アンドルファット:
そうだ、だからみんなこれを理解している(少なくとも理解しているべきだ)。これは標準的な金融理論と完全に整合性がある。ここまではOKだ。

ティモワーニュ:
ほとんどのエコノミスト、政治家、そして市民は、〔統合政府〕やそれが意味するところを理解していない。彼らはこれをこう解釈する:政府が通貨を増加できることは明白だが、それは普通の手続きではないし、インフレを引き起こすと。MMTは統合政府を理論的な結論へと押し進め、実務がその理論を裏付けすることを説明している。この統合政府の枠組みでは、連邦政府は通貨を創造することによってしか支出をすることができない。これは異常なことではないし、インフレにもならない。支払う米ドルを見つける方法は他には何もない。以下の図は、バランスシートの観点から統合政府とは何を意味するかを示している。

図2:統合政府のバランスシート

連邦政府にとって、課税は通貨を破壊する(L1減少)、そして非政府部門の金融資産を減少させる(A1減少)(別の相殺オペレーションとしては、政府純資産の上昇)。国が支出すると、国に負債が計上される(L1増加)。同様に、国債発行は政府にとって何の資産も増やすことにならない。無利子政府債務(マネタリーベース)と利子付政府債務(財務省証券)を置き換えているだけだ。

アンドルファット:
君の会計について文句をつけるつもりはないよ。国債発行については、SMTでは公開オペレーションで利子付財務省証券と無利子準備金をスワップするモデルになっている。財務省証券の利子は、相対的な流動性(もうひとつの自縛制約)によって説明される。これらスワップの経済的結果は数多くの要因に左右されるが、それは君はよく知っていると思う。

ティモワーニュ:
もちろんさ。それと、自縛制約(例えば、政府の債務上限、FRBによる直接財政ファイナンスの禁止、財務省の通貨発行権の無さ)は国家財政に規律をもたらすという議論と伴に、何度も導入されてきた。MMTは、このような自縛の金融制約は必要ないし、財務省と中央銀行の調整では日常的に無視されていると主張している。

アンドルファット:
そのとおりだ。標準的(主流派)の見解では、こういった自縛の制約は国家財政に規律を課すために設計されている。しかし、これらの制約が必要か否かは(現実には満たされているかもしれないし満たされていないかもしれない)一連の前提に基づいてなければならない。(これらの制約が財務省と中央銀行の調整で無視されているという事実は、私には現実的に意味があるようには思えない。SMTが強調する問題は、「独立した」中央銀行と立法府(FRBと連邦議会であって、FRBと財務省ではない)の関係である。なぜここで新しい理論が必要になるのか、私にはよくわからない。例えば、君も知ってのとおり、もし政府の一部である立法府が立法府自身(そして将来当選するであろう議員たち)が財政に責任ある行動を取るものだと十分信頼していれば、「独立した」中央銀行(そしてその他の自縛制約)という概念はあまり意味がない。

ティモワーニュ:
MMTが通貨主権のある国で(国債自警団、社会保障不履行リスクなど)財政・名目制約が無意味だと強調していることを思い出して欲しい。これは統合政府を使って行うこともできるし(税も国債も財源ではなく、政府は単に振込みによって支出する等)、または統合されていない政府(中央銀行が財務省を助け、財務省が中央銀行を助ける)を使って行うこともできる。後者の場合は、実際の連邦政府の運営と一致するが、レトリックとして使うのは簡単ではないし、中心的な焦点を骨抜きにしてしまう。政府による財政ファイナンスは、国が通貨主権国である限り、財政的な問題にはなり得ない。

それを念頭に、君が言ったように、財政制約は無意味なだけでなく混乱を招くし、政治ゲームに使われてしまう。MMTは政府の財政運営を可能な限りスムーズで柔軟にしたい。社会経済問題を解決するために政府がどのように、そしてどの程度かかわるべきか、社会が決めさえすれば、通貨主権が優先するので財源を探すことは問題とはならない。それは、政府運営の財政障壁の神話を解き、撤去する。よって、政治での議論は実物的な問題(環境問題、社会経済問題など)の解決に集中できる。公的債務や財政赤字の恐怖を煽ることは、不毛な政治的議論や政策的解決方法を助長する。

ポール・サミュエルソンが表明した考えだが、もし「政府支出には財政制約がない」と政策担当者や国民に我々が言ってしまうと政策担当者は気が狂ったように散財してしまう、だから経済学者は政策担当者や国民(そして我々自身に)嘘をつかなければならないと。これはナンセンスだ。我々は高尚な嘘ではなく、正当で確かな情報に基づく土台のうえに、政策選択の議論をすべきである。経済学者は、政策担当者が資源制約があることに目を向けるようにすべきだ。

さらに、政府の政治制約は政府の透明性と参加のあり方(例えば、選挙での巨額献金規制、浪費制限など)を改善する方向へ向かうべきだ。予算を通す政府(透明性と責任目的のためにもそうする必要がある)、会計監査手続き、そして(制限があるが)民主的手続きが、我々はすでに持っている。だからその方法を改善することを目的にすべきだ。MMT提唱者はナイーブなわけではない。一部の政治家は利己的であることも、政策実施が失敗する可能性があることも、一部の市民がシステムをずる賢く利用する(「フリーライダー」)ことも、知っている。しかし、透明で民主的な政府はそれらの問題を処理することができる(そして、処理する)と我々は信じている。MMTは財政制約が何の助けにもならず、それどころか民主的手続きを阻害するものだと見ている。

もちろん、MMT提唱者は政策案(雇用保障、ミンスキーに基づく金融規制など)も持っている。なぜなら我々は完全雇用、物価安定、金融安定を市場メカニズムが自ら促進しないと見ているからだ。なので、君が言ったように、MMT提唱者はこれらを達成する他の手段として政府の直接介入を好む。我々は中央銀行が物価安定と金融安定を促進する効果的な手段とは見ていない。中央銀行は、利子安定と金融規制(FRBがあまりうまく機能していない分野)を通して、金融安定化に集中すべきである。

最後に、イエス、中央銀行の独立性は重大だと見られているが、MMTはふたつの理由でこれに反対している。第一に、景気循環の管理に金融政策は有効性を欠いている。第二に、そしておそらくより重要なことだが、金利設定および目標設定の観点において、中央銀行の独立性は財務省の財政ニーズからの独立を意味しないとMMTは主張している。

アンドルファット:
ほとんどのひとは政府運営がスムーズに行われることを望んでおり、一部の人々による恐怖の煽りを排除して冷静な議論が行われることを歓迎するだろう。人間の弱さを考慮すれば、金融政策と財政政策は協調されるべきだという議論はされすぎているし、大きな目的は同じだと思う。

それを言及したうえで、「通貨主権国の国家財政はけして問題にならない」との主張が過ぎると私は考えている。もちろん、名目債務のテクニカルデフォルトは何の問題にもならない(これはみんなよく理解しているところだ)。しかし、SMTは名目債務の「経済的」デフォルトの重要性を認識している。確かに政府はいつでもお金を印刷して名目債務を返済できるが、もし通貨の購買力がお金の印刷によって希薄化されたら、これは「事実上の」デフォルトだ。

関連した議題に、「シニョレッジの限界は?」というSMTが持つ疑問がある。政府が紙幣を印刷できるという事実は、制約なしに資源を扱ってよいという権限を政府に与えるものではない。市民は、政府が印刷した紙幣の代替を見つけることができる(そして、見つける)(また課税される活動を非課税の活動に代替するかもしれない)。SMTはシニョレッジの限界を「財政制約」として扱う。もしかしたら、MMTはこの制約を異なった名で呼んでいるのかもしれない。もしかしたら、これはMMTが「インフレ制約」と呼んでいるものかもしれない。もしかしたら、MMTとSMTを融合させる道のひとつは、インフレ制約には常に拘束力があるとSMTが通常(時には間違って)仮定していることを認識することかもしれない。その場合、MMTにおいても通貨主権のある国には財政制約がある。

ティモワーニュ:
そのとおりだ、通貨発行できるというのは資源を自由に使えるという意味ではない。なぜなら、通貨に需要はないかもしれないからだ。そこで、課税や他の政府貸付が重要になってくる(参照:通貨の表券主義、MMTの要素)。なので、税、通貨発行、国債発行がMMTにおいて代替的な資金調達手段としてではなく、むしろ補完的なものとして概念化されている理由にもなる。政府は徴税義務を課し、税負債の弁済に必要な貨幣を発行することで支出を行い、その後に徴税や国債発行を行う。支出はもちろんインフレを起こすかもしれないので、インフレ制約がある。だがこれは財政制約ではない、資源制約だ。

政府による紙幣の「印刷」、インフレ、経済的デフォルトについてだが、はじめのふたつについては、通貨とインフレには自動的な関係があるという証拠がない。統合政府の考え方のもとでは、政府はいつも通貨の創造によって支出をしているが、インフレの影響を課税で、利子の影響を国債発行で制御している。統合政府ではない考え方だと、中央銀行はオペ参加者の一部を補助したりオペに参加したりすることによって、財務省を日常的にファイナンスおよび再ファイナンスしている。

最後に、経済的デフォルトについてだが、政府はその意味で日常的に何の問題もなく「デフォルト」している。経済的デフォルトが起こると利子が上がりインフレを起こす(起こらないが)のだということを誰かが証明できない限り、現実的な意味がある考えだとは思えない。ここでも、インフレと利子の自動的な関係はない。その〔インフレと利子の〕関係は中央銀行がどう反応するかに左右される。中央銀行が反応しなければ、市場参加者も反応しない。

アンドルファット:
SMTにおいてFRB、財務省、連邦議会が統合されている(または、されていない)状況と、なぜそれが重要なのかに話を戻らせてほしい。一部のSMTでは、連邦議会は支出と課税について決定を下し、これは基礎的財政収支の赤字を意味する。その赤字をファイナンスするかどうかは財務省にゆだねられる。このときFRBは(利子の決定と財務省債務のための準備預金発行をすることで)財務省のサポート役となる。このアプローチに何の問題があるだろうか?

ティモワーニュ:
それは「実際には政府は財政状況をコントロールできない」ということを理解するにあたって正しい方向の議論ではある。これらすべて、通貨主権の実施にかかわってくるが、金融的なクラウディングアウトがなぜ効果がないのか、財政ファイナンスが定義上のインフレにならないのか、i>gがなぜ普通のことなのか、理解する手助けになる。公的債務と財政赤字を取り巻くヒステリックなレトリックがなぜナンセンスなのか、説明する手助けになる。Challenge Magazine誌に最近このトピックで寄稿した。財政黒字は祝福され、「身の丈を知る生活」として政府は不況時に緊縮財政を実施し、破綻を防ぐために社会保障は修正さなければならず、政府はもっとお金を貯める必要がある、などなど。これらはすべて間違っている。

アンドルファット:
どうしてSMTはi>gを導くと君が主張しているのかよくわからない。i<gの場合であっても、それはSMTと完全に整合性がある(参照:Blanchard’s 2019 AEA Presidential address、そして私の過去のエントリのここここ )。正しい批判は(私が考えるに)、主流派経済学者はi>gが実証的に関連性があると考えているということだ(実際は正しくないのだが)。

ティモワーニュ:
それが僕が言いたいことだよ。MMTはそれを通貨主権と関連付けているんだ。

アンドルファット:
それは正しいと思うよ。主流派経済学者(一部の少数の金融理論家を除いて)は、ホールセール金融市場での取引手段そして世界的価値の貯蔵庫としての高格付け国債の役割を正しく理解していない。私の考えでは、それらは「インフレの起こらなさ」の多くを説明できると思う。しかし「財政黒字が祝福される」という部分については、個人の見解であって、SMTそのものの話ではない。標準的マクロ経済学原理でも反景気循環的財政政策を主張する声はある。とはいえ、ほとんどすべての主流派経済学者は(もしかしたら過剰に)「財政の長期的持続可能性」を考慮しすぎていると私も同意する。この考えは、結局はすべてのものはその日の終わりには決済済みであるべきで、紙幣を印刷する能力があることは柔軟性を追加的に付与したとしてもこの事実を覆さない、というものだ。

アンドルファット:
次の文章について質問したい。

統合政府ではない場合、財務省は課税し、支出する前に証券を発行する。しかし、連邦税と国債売出は、SMTでは見落とされているが、非常に重要な他の役割がある。特に連邦税と国債売出は、金融制度から資金を除去する結果となり、MMTはこの事実が示唆するものを注意深く分析している。その分析から、連邦税と国債売出は物価と利子の安定をそれぞれに維持する装置として概念化するのが一番だと、MMTは主張している(もちろん、インセンティブや収入分配に影響するという観点において、税構造はいくらか重要な役割をしている。これについてはMMTは反論はない)。

アンドルファット:
さて、もちろんだが、税は収入装置(資源制御を政府が持つことができるようにするため、さもなければ民間が好きなようにしてしまう)と、インフレ制御のふたつの目的を果たしている。金利安定を達成するために財務省が国債売出をしているという考え方は、よく理解できない(とはいえ、財務省がどの償還期間を持つ国債を売り出すか決める際に起こることではあると思うが)。これが今日の米国で起こっていることだと私は思わない。

ティモワーニュ:
課税と財務省証券の発行は準備預金を除去する、そしてオーバーナイト金利を上昇させる。なので、日々、財務黒字はオーバーナイト金利を上げ、財務赤字は金利を下げる。マネー市場での課税インパクト(と政府支出)がスムーズになるよう財務省とFRBの間で重要な調整をしている。

アンドルファット:
いいだろう、だけどそれが何だというのだ?運営レベルで財務省とFRBが「調整」しているのはみんなよく理解している。

ティモワーニュ:
君は他の経済学者や政策担当者に優しすぎると思うよ。物価安定要因としての税は、当然ここでも似たようなものだ。金利安定のための財務省証券の役割は、今日ではそのように働いている。今日における財務省の予算ツールとしての強調のせいで、財務省は予算ニーズ以外の目的で財務省証券を発行している。米国では2008年にこれが起こった(SFP手形)。オーストラリアでは、2000年代初頭に金融安定を促進するために黒字を出しながら財務省が財務省証券を発行した。

アンドルファット:
だが、実際にはそうはなっていないとしても(私の見解では、金利安定を行うのはFRBで、おそらく米国財務省証券を使った公開オペレーションで行われている)、ここで何が議題になっているのか私にはよくわからない。金融政策と財政政策の両方が何らかの手段で統合されているものだと、我々はみんな合意していると私は思う。〔ここで〕わかるとよいのは、議題になっている一連の質問に対してMMTの統合の詳細が(他の詳細と比較して)どれくらい重要なのかということだ。この論文の概要はこの質問については何も答えていない。

ティモワーニュ:
ここでの論点は、統合政府において、税と国債発行は、財務省にとって資金調達目的のものではなくなってしまうが、物価と金利安定の目的は維持することができることだ。

アンドルファット:
SMTでは、税と国債発行は政府の資金調達を目的とするものであり続け、それと同時に物価(インフレ)と金利に影響を与えることにも使用される。これは間違いだろうか?私はそうは思わない。あるレベルでは、税(民間部門から通貨を吸い上げる掃除機)は経済における実物資源をコントロールする政府能力に何らかの効果を持つ。この効果をなんと呼ぶかは問題ではないと思う(「資金調達」、「ファイナンス」、なんでもいい)。

ティモワーニュ:
OK。ここからは、経済の金融面と実物面の決定的な違いが出てくる。金融面では、税金は政府の支出能力を高めるものではない、つまり政府は課税することでお金を稼得することはできない。税金は通貨を破壊するのだ。金融的側面では、財政赤字を恐れる理由はない。赤字は当たり前であり、持続可能であり、他の部門の金融純資産の拡大を助けるものである。このように、政府がより多くの支出をしたいからといって、より多くの税金をかけるか、他のどこかで支出を減らさなければならないわけではない。一方で「Pay Go」の考えがある。この考え方は政策担当者に、雇用、インフレ、インセンティブなどへの影響ではなく、財政収支にどのような影響を与えるかという観点から支出や課税を考えさせることになる。赤字は負の結果をもたらすかもしれないが、自動的にそうなるわけではない。エビデンスを見てみると、赤字は金利、税率、公的債務の持続可能性、インフレに、自動的にマイナスの影響を与えるものではない。

実物的面では、より多くの資源を政府に移せるようにインフレ防止目的で税率を上げる必要性は、経済の状態と、経済規模に対する政府支出の増加の恒久性に依存する。雇用不足の経済では、政府は税率を上げずにより多くの支出を行うことができる。完全雇用の経済でインフレを起こさず政府に資源をシフトするには、税率の引き上げ、分配、価格統制、民間所得の支払いの遅延などの他の措置を講じる必要がある。これについてはケインズの『戦費調達論』がその道筋を示している。標準的な経済学は完全雇用経済学なので、機会費用が常に存在する。MMTは、カレツキ、ケインズ、そして彼らの追随者の研究(ラヴォアの「ポスト・ケインズ経済分析の基礎」参照)に沿っており、資本主義経済は通常、不完全雇用状態で、経済成長は需要主導であることに注意したい。図に入れると、経済は通常A地点にある。

図3:通常の資本主義経済の状態

簡潔に言えば、実物的制約は条件付きで関連性があり、通貨主権が優勢であれば金融的制約は無関係になる。それが政策論争のフレームの組み方と政策立案者に助言する適切な方法だ。お金の心配はしなくていい、お金の使い方が経済に与える影響を心配しよう、と。

ティモワーニュ:
別の話題に移るが、政府の統合は現行制度において機能しているにもかかわらず制度的な複雑性に埋もれてしまっている力を表に押し出している。すなわち、財政赤字が金利を下げ、国債発行が金利を引き上げること、支出は課税と国債発行の前に起こらなくてはなければならないこと、政府による財政ファイナンスは本質的に不健全ではないこと、そして、政府による財政ファイナンスが徴税や国債発行の実施の不要性を意味するわけではないということである。

アンドルファット:
「財政赤字が金利を下げる」という記述には相当の留保が必要だ。とりわけ、それは金融政策の反応関数に依存する。支出は課税の前に来なければならないという主張については、これは普遍的に有効な主張ではない(例えそれが一部の状況では真実であるかもしれないとしても)。しかしそれ以上に重要なのは、それを誰も気にしていないということだ。主流派の理論は、通貨による資金調達が本質的に不健全であることを示唆しているわけではない(インフレ上限を尊重するならば、シニョレッジは問題ない)。通貨については、税金と国債が代替的な「資金調達」源ではないという、それの意味しているところが気にかかる。君がXを 「資金調達 」源と呼んでもいいが、それは単なるレッテルだ。本当の問題は、X のマクロ経済的な意味は何か?ということだ。

ティモワーニュ:
私が同意するところを強調しておこう。確かに、実証的証拠は金利の方向性における金融政策の中心的役割を示しており、財政政策はせいぜい小さな影響力しか持たない。そして、政府支出の実物的な効果に焦点を当てるべきであり、金融的な効果は忘れるべきである。財政赤字は持続不可能でも異常でもない。財政赤字は政府財政の様式化された事実であり、通貨主権があれば財政的に持続可能だ。だから、家計、破産、財政赤字を正すなどの観点で、政策論議を枠にはめたり政策設定をしたりしないでほしい。

結論から言うと、「税金や国債は政府の財源ではない」というレトリックが役に立つ理由は3つあると思う。

  1. 連邦政府(つまり統合)には厳密には当てはまる。
  2. 租税と国債発行のあまり知られていない側面、すなわち、マネー市場への影響、財政政策における中央銀行の役割、金融政策における財務省の役割を最前線に持ってこれる。
  3. 説明の仕方が政策と政治経済の視点に変わる:政府は金持ちに頼って自分たちの資金を調達するのではなく、税金は政府に資金を供給するためではなく「悪」を取り除くために設定されるべきである(例えば、〔公害に課税する場合〕予算均衡をゴールとして税率を設定するのではなく、公害を抑制するために適切と考えられる税率を設定すべきであり、それは予算均衡に必要とされるよりもはるかに高い税率になる可能性がある)。PAYGOはばかげておりであり、予算の結果ではなく政府の政策の実際の結果に焦点を当てるべきである。

アンドルファット:

  1. これは意味論だと思う。
  2. この点がどのように役立つのかわからない。
  3. 私は、これらの立場はすべて「税金や国債は政府の財源にならない」という文言がなくても擁護できると思う。もしこれが最終的な目標であるなら(そうあるべきだと思うが)、意味論的な議論はさておき、目の前の実物的な問題に焦点を当てるべきではないだろうか。

ティモワーニュ:
1は意味論ではないよ。資源を政府に任せるための手段としての税金を念頭に置いているのはわかる。MMTでは、先に説明したように、金融制約(お金を見つける能力)と資源制約(財やサービスを得る能力)の違いを明確にしている。金融制約は通貨主権を持たない政府にとって意味があるので注目すべきで、実物制約とは明確に分離されるべきだ。通貨主権のもとで運営されている国の政策立案者による政策議論や決定のあまりにも多くは、お金を見つける能力の欠如という存在しない代物と、財政赤字の予算化による想像上の親愛なる金融的帰結に基づいている。
2は、通貨主権が実際にどのように実施されているかを理解するのに役立つ。
3については、そのとおり、実物的問題に焦点を当てればよい。

アンドルファット:
3については同意するよ! 興味深い議論をありがとう、エリック。まだまだ話したいことはたくさんあるけど、それはまた別の日にしよう。

ティモワーニュ:
どういたしまして。こちらこそありがとう!

  1. 訳注:自国通貨単位のこと []

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