Alex Tabarrok ”A Nobel Prize for the Credibility Revolution” Marginal Revolution, October 11, 2021
ノーベル経済学賞はデビッド・カード、ジョシュア・アングリスト、グイド・インベンスが受賞した。経済学における実証研究で有名誌に載っているもののほとんどすべて(そして有名誌に載らない大量の研究も)は、差分の差法、操作変数法、回帰不連続といった技術を使った自然実験の分析によるものだ。こうした技術は強力なものだが、それだけでなくその背後にある考え方は一般の人にも理解できるもので、このことが経済学者が一般に向けて話す際にとてつもない利点となっている。ひとつ例を出すとすれば、カード&クルーガー (1994) (全文はここから読める)による有名な最低賃金研究が挙げられる。この研究は、ニュージャージー州における1992年の最低賃金引上げがファーストフード店の雇用を減らさず、雇用を増やした可能性すらあるというその逆説的な発見によってよく知られている。しかし、この論文の真に偉いところは、カードとクルーガーが問題を研究するにあたって使用した手法の明快さなのだ。
最低賃金の効果を推定するための手法は、法律が施行される前と後でのファーストフード店での雇用の差をみることなのは誰だって分かる。しかし、時間とともにその他の事情変化もあるため、1992年頃の標準的なアプローチは経済状況といった統計的な分析要因も含めることでその他の変数を「制御」することだった。十分な制御変数を含めることで推論を行うことで、最低賃金の真の効果を明らかにするという具合だ。カードとクルーガーは別のやり方をした。彼らは対照群に注目したのだ。
ペンシルバニア州では1992年に最低賃金法は成立しなかったが、ニュージャージー州に近いため、カードとクルーガーはニュージャージー州のファーストフード店に影響したその他の要因のいずれもペンシルバニアのファーストフード店にも影響した可能性が非常に高いと推論した。例えば経済状況はニュージャージー州とペンシルバニア州のファーストフード店の需要に同じような影響を与えるだろうし、天気なんかも同じことだ。実のところ、この主張は人口、好みの変化、供給費用の変化といった想像可能なあらゆるその他要因にもあてはまる。1992年ころの標準的なアプローチであるその他変数の「制御」には、甘く言ってもどの変数が重要であるかが分かっていることが最低限必要になる。しかし対照群を使うことでその他の変数が何であるかを知る必要がなくなり、それらが何であれニュージャージー州とペンシルバニア州のファーストフード店に同じような影響を与えるということだけ分かればいいことになる。言い換えれば、ニュージャージー州とペンシルバニア州は煮ているため、ペンシルバニア州で起こったことはニュージャージ州で最低賃金法が成立しなかったならば起きたことの良い推定になるということだ。
そのため、カードとクルーガーはニュージャージー州における最低賃金法の前と後での雇用の差を計算した上で、同法の前と後でのペンシルバニア州の雇用の差を差し引くことでニュージャージ州の最低賃金の効果を推定した。これが差分の差法と言われる所以だ。ニュージャージー州での差(実際に起きたこと)からペンシルバニアでの差(つまりはニュージャージー州で法律が成立しなかったならば起きただろうこと)を差し引くことで、後には最低賃金の効果が残るというわけだ。お見事!
今日の標準においてさえ明白だ。実際、1992頃にこの差分の差法という考えが一般的でなかったことは理解に苦しむ。差分の差法を初めて使ったのは実は物理学者のジョン・スノーで、なんと1840年代と1850年代におけるコレラの原因を特定するためだったにも関わらずだ。今日においては明らかに思えることでも、例えより優れた手法を使うのに何ら障害はなかったのであっても、それ以外のより信頼性の低い技術を使っていた時代の経済学者にはそう明らかではなかったのだ。
さらに、これよりも評価はされていないものの同様に重要なこととして、カードとクルーガーはニュージャージー州とペンシルバニア州の比較に留まらなかった。ペンシルバニア州はニュージャジー州の良い対照群ではないかもしれない。それなら他の対照群を見てみようじゃないか。ニュージャージー州のファーストフード店の一部は、最低賃金の施行前から最低賃金以上を支払っていた。これらのファーストフード店はずっと最低賃金以上を支払っているから、最低賃金法はこれらの店の雇用には影響がないはずだ。しかしこうした高賃金ファーストフード店は経済状況や投入価格、人口等々といったファーストフードの需要や費用に影響を与えるその他の要因によって影響を受けているはず。そのためカードとクルーガーは低賃金店の雇用の差から(法による影響を受けない)高賃金店の雇用の差を差し引くことでも最低賃金の効果を計算した。その結果はニュージャージー州とペンシルバニア州の比較と同様のものだった。
カード&クルーガー(1994) の重要性はその結果ではなく(これについては議論が続いている)、カードとクルーガーが経済学者たちに対し、それを見つける創造性さえあるのであれば自分たちの身の回りには妥当な介入と対照群を備えた自然実験にあふれていると明らかにしたことにある。
アングリスト&クルーガー (1991)の論文「Does Compulsory School Attendance Affect Schooling and Earnings?(義務教育は学歴と所得に影響するか)」は経済学における最も美しい論文のひとつだ。この論文は馬鹿げたように見える戦略から始まるものの、いくつかの図によって読者はその戦略は馬鹿げておらず素晴らしいものであると納得してしまう。
問題は典型的なものだ。収入に対する学歴の効果をどう推定するか。学歴の高い人は学歴があるから多く稼ぐのか、それとも学歴の高いひとは能力があるからなのか。アングリストとクルーガーの戦略は生徒の生まれが属する四半期と彼らの教育年数の相関を用いるものだった。はあ?生徒の生まれが属する四半期が生徒がどれだけ教育受けるかに何の関係があるんだ?馬鹿げた経済占星術か何かの類の話なの?
アングリストとクルーガーはアメリカの教育におけるふたつの特徴について調べた。ひとつ目の特徴は12月末に生まれた子供は、1月始めに生まれたほとんど同じの子供よりも早く初学年を迎えるということだ。もうひとつの特徴は、数十年に渡って、16歳になったら学校を退学できたことだ。このふたつの特徴を組み合わせると、第4四半期に生まれた人は第1四半期に生まれた似たような人よりも少しだけ多くの教育を受ける可能性が少しだけ高い。スコット・カニンガムの因果推定についての素晴らしい教科書であるミックステープに分かりやすいダイアグラムが載っている。
(訳注;上軸は12月に生まれた子供が6歳になる時点、学校に通い始める時点、16歳に時点を示しており、赤字Sは義務教育期間の長さを示している。下軸は1月に生まれた子供について同様に示している。)
これらのことをまとめると、生まれの属する四半期というランダム要因が教育(の月数)と相関していることを意味している。そんなこと誰が考えつくだろうか。私でないことは確かだ。データ上のそんな小さな効果を取り出してみるのなんて馬鹿げたことだと思ってしまっただろう。しかしここで図を見てほしい。図1(レビュー論文であるアングリスト&クルーガー(2001)による)は生まれの属する四半期と教育を受けた年数を示している。図から見て分かるのは、どんな人にとっても16歳以降も学校に残ることがより一般的になることで時とともに教育年数が増えていっていることだ。しかしギザギザのパターンを描いていることに注目してほしい。ある年の第1四半期に生まれた人は第4四半期に生まれた人よりも少しだけ教育年数が少ない!差は小さい。1年の0.1つ分かそこらだが、そこに違いがあることは明らかだ。
(訳注;縦軸は教育年数、横軸は出生年、グラフ中の数字がどの四半期かを示している)
さあここで山場である収入について見てみよう。生まれが属する四半期はランダムであるため、これはあたかも誰かが一部の生徒を他の生徒よりも多くの教育を受けるようにランダムに配置したかのようであり、アングリストとクルーガーは自然データのランダム実験を明るみに出したのだ。次のステップは生まれが属する四半期によって収入がどう変化するのかを見ることだ。
(訳注;縦軸は週単位の収入の対数、横軸は出生年、グラフ中の数字がどの四半期かを示している)
なんてこった。しかしこれは一目瞭然、第1四半期に生まれた人は第4四半期に生まれた人よりもわずかに教育が少なく(図1)、そして第1四半期に生まれた人は第4四半期に生まれた人よりもわずかに収入が少ないのだ(図2)。所得に対する効果は0.1程度と少ないが、生まれが属する四半期が教育を0.1だけ変化させることを思い出してみよう。前者を後者で割ると、教育年数が1年多くなると収入が10%も増えると推定できることが示唆される。
この点については他に色々議論ができる。生まれの属する四半期がランダムというのは確かだろうか。ランダムのように思えるものの、おそらくは日照や食料入手性効果によって生まれの属する四半期と統合失調症、自閉症、IQに相関があることが研究によって分かっている。こうした効果は非常に小さいが、生まれが属する四半期による収入への影響も同じように小さいことを思い出してほしい。小さな効果であっても結果に影響を与えうるのだ。生まれが属する四半期はランダム生成機と同じようにランダムだろうか。多分違う。科学の進歩というのはそういうものだ。
カード&クルーガーと同じように、この論文の革新的なところは結果ではなくてその手法にある。目を開いて、創造的になり、まわりにいっぱいある自然実験を発見しよう、これが信頼性革命の教訓だ。
スタンフォード大学のグイド・インベンス(オランダ育ち)は実証的な現象の巧みな研究にはあまり関わってはおらず、それよりもむしろ理論枠組の開発を行ってきた。重要な論文はアングリスト&インベンス (1994)「Identification and Estimation of Local Treatment Effects (局所処置効果の特定と推定)」とアングリスト&インベンス&ルービン「Identification of Causal Effects Using Instrumental Variables(操作変数法を用いた因果効果の特定)」で、これは次の質問に答えるものだ。すなわち、私たちが操作変数を使用する際、私たちが計測しているのは正確には何なのか。例えばあるインフルエンザの研究において、一部の医者は患者に予防ワクチンを打つようランダムに想起・奨励されるとしよう。ワクチンの効果を計測するのにランダム化を操作変数として使用することができる。しかし注意しよう。一部の患者は必ずワクチンを接種する(例えば高齢者)。一部の患者はワクチン接種を全くしない(例えば若者)。そのため、私たちが計測しているのはみんなに対するワクチンの効果(平均的処置効果)ではなく、患者のうち医者に推奨されてワクチンを接種したグループに対する効果であり、この効果は局所的平均処置効果として知られている。これは操作(ランダムな奨励)によって影響された人たちに対する処置効果であって、操作による影響を受けなかった人々の集団に対するワクチンの効果とは必ずしも同一ではない。
なお、インベンスはスーザン・エイシーの夫で、彼女もまたノーベル賞候補だ。インベンスとエイシーは因果推定と機械学習を組み合わせた共同論文をたくさん書いている。新世代のアカロフ・イエレン夫婦(訳注;hicksian氏による訳はこちら)というわけだ。まさに同類婚だ。ちなみにその結婚式ではアングリストがベストマンを務めた。
受賞にふさわしい3人だ。
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