ラルス・クリステンセン 「日本庭園、セックス、フリードマン」(2011年10月7日)

●Lars Christensen, “Sex, flowers and Friedman”(The Market Monetarist, October 7, 2011)


まずは、ミルトン・フリードマンの言葉を引用しておこう。

「貨幣理論は、日本庭園と似ている。多様性に富んでいながらも、多様性の中から生まれる審美的な統一とでも呼べるものを備えているところ。簡素な(シンプルな)見た目でありながら、その背後には複雑極まりない現実が潜んでいるところ。目に映る表層に、奥底に潜伏する世界観が染み出ているところ。貨幣理論にしても、日本庭園にしても、色んな角度から検証してみてはじめて、焦らず慌てず根掘り葉掘り調べ尽くしてみてはじめて、その醍醐味を味わうことができる。貨幣理論にしても、日本庭園にしても、全体から切り離してそれ単独で堪能できる個別の要素を持ち合わせている。しかしながら、個別の要素について真の理解に至るためには、(全体から切り離してそれ単独で鑑賞するのではなく)全体を構成する要素(全体の一部)として位置付けた上で鑑賞せねばならない。」(『The Optimum Quantity of Money』, 1969年)

次に、ミルトン・フリードマンに関する言葉を引用しておこう。

「何を見てもマネーサプライのことが頭に浮かぶのが、ミルトン・フリードマン。一方で、何を見てもセックスのことが頭に浮かぶのが、私。しかし、私は、(フリードマンとは違って)頭に真っ先に浮かぶことを論文の中から締め出すように心掛けている。」(by ロバート・ソロー

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