ギローム・ブラン「赤ちゃん問題にはじまっていたフランスの没落」(2023年2月)

かつてフランスはヨーロッパの超大国だった.それは,なによりも膨大な人口のたまものだった.フランスの没落は,ちょうど出生率の瓦解と同時期に重なっている――いま,その理由はわかっている.

かつてフランスはヨーロッパの超大国だった.それは,なによりも膨大な人口のたまものだった.フランスの没落は,ちょうど出生率の瓦解と同時期に重なっている――いま,その理由はわかっている.

18世紀,フランスはヨーロッパの中国だった.ところが,抜群に肥沃なその土地に立脚した支配が千年続いたあたりから,250年かけてフランスは他と同列の国へと衰退していった.その頃,ヨーロッパの他国に100年以上も先駆けて,フランス女性が出産する子供が減りはじめていた.1700年には,地球上で生まれた赤ちゃんの25人にほぼ1人,ヨーロッパに狭めれば5人に1人が,フランス人だった.今日,全人類にフランス人が占めるのは1パーセントにも届かない.どうして,フランスの人口は他との比較でこんなにも激減したんだろう? そして,その出生率低下は本当にフランス没落の起点だったんだろうか?

通例,人口構成の変化は経済要因に突き動かされていると考えられている.ところが,少なくともフランスにかぎっていえば,文化の方が先に変化している.オンラインの家系図からえたデータを利用した筆者の研究では,こんなことが明らかになっている――《旧体制》下のフランスで人々の行動に影響していた伝統的宗教の道徳的制約がゆるんだことで出生率低下が引き起こされて,フランスの行く末は大きく変わり,たとえばイングランドとまるっきりちがった経路を進むことになった.イングランドは,その後に人口が激増していくことになる.

人類のはじまりから18世紀まで,人の生活はもっぱら飢餓・貧困・戦争・疫病蔓延が基調だった.人生はえげつなく,野蛮で,短かく,類人猿たちや他の動物たちと大差なかった.

土地・労働・資本の生産性を向上させる発明が生まれると――歴史上たしかにそういう発明は起きている――決まって子供の死亡数が減少したり出産数が増えたりして,その分だけ増えた腹ぺこの子供たちに食べさせるために,経済が増やした産出量〔農産物の収穫〕が使い果たされた.これが,トマス・マルサスが1798年にたてた陰気な予測の背景にあった歴史だ.マルサスの『人口論』ではこう論じられている――「人口は幾何級数的に増えるのに対して農業の生産性は算術級数でしか増えようがないので,人類はたえず生存ギリギリの生活を送る運命にある.自分たちを養う能力を人口の増加が必ず追い越してしまうのだ.」

出典: Maddison Project Database 2023

2度のパラダイム転換が組み合わさって,マルサスの予測は間違いだと証された:その2つとは,産業革命と,人口構成の転換だ.産業革命では,歴史上先例のない技術進歩が起きた.人類の技術・科学・経済の進歩は大幅に進み,人間の生存条件は様変わりした.ただし,技術進歩はそれ単体で機能していたわけではない.

人口構成の転換期に起きた出生率低下も,人類史上の転換点だった.というのも,これがマルサスの機構から脱出する起点になったからだ.産業革命による技術革新はたんに人が増えるのを可能にしただけでなく,生活水準の向上も可能にし,経済成長が短期で終わらなくなった.出生率低下に続いて人的資本と大衆教育への投資が可能になり,これによって継続的な経済成長の経路を人間社会が突き進むようになった.

もしも人類史をまるごと短編物語に凝縮するなら,こうなるだろう:数百万年も飢餓が続いた果てに,産業革命が起こり(18世紀),これに人口構成の転換が続いて(19世紀),継続的な経済成長がはじまった――ここわずか数世紀で人類が経験した劇的な飛躍だ.

大づかみな物語としては,これは正しい.ただ,ヨーロッパ随一の超大国フランスは,その筋書きから外れている.フランスでは最初に出生率の歴史的な低下が起こった.これは18世紀中盤のことで,他のどこの国よりも1世紀以上も先んじている.当時,フランスの住民は2500万人,イギリス本国の住民は550万人だった.今日,フランスの住民は6800万人,イギリスは5600万人だ.もしもフランスの人口が1760年以降もイギリスと同率で増えていたら,いまごろは2億5000万人のフランス市民がいただろう.

「第三世界」という用語を発案者したフランスの人口学者アルフレッド・ソーヴィによれば,1962年時点で出生率低下こそが「フランス史上の最重要事項」だった.19世紀に,他国がフランスよりも相対的に成長するにつれて,フランスは欧州唯一の超大国の地位を失っていく.なかでも,イギリスとドイツの成長がとくに重要だった.

さかのぼると,フランスが世界の主要な大国として台頭する歩みは何世紀にもわたって続いた.5世紀のクローヴィスと9世紀のシャルルマーニュ治下でフランク王国が拡大した時代から,ナポレオン時代までが,その期間だ.15世紀の百年戦争の頃,ロンドンは中世イングランドで群を抜いて人口の多い都市だった.ところが,フランスに目を向けると,フランス第二の都市でしかないルーアンすら,ロンドンに並ぶ規模だったかもしれない.

17世紀から18世紀までに,長寿なルイ14世治下でフランスは欧州大陸で最大の人口と世界第二位の植民地帝国を誇っていた.その存在はあまりに大きく,他の欧州列強は数カ国による対フランス大同盟を結成して対抗せざるをえなくなったほどだった.その当時ですら,大同盟も17世紀末の九年戦争でこれといった成果をあげられなかった.それからまもなく起こったスペイン継承戦争では,フランスはときに40万人もの兵力を動員してみせた.これは,神聖ローマ帝国・プロイセン・イギリス・オランダ連合軍とほぼ同等の規模だった.

人口の勢いと軍事力の面でフランスが他国につけた大差は,おそらく1792年~1815年のフランス革命戦争とナポレオン戦争の頃にもっとも大きくなっていた.フランスは,ヨーロッパの大部分を同時に相手取って戦い,常時100万人超の兵力を動員してみせ,しばしば敵軍を数で圧倒した.欧州列強は,6度以上にわたって対フランス大同盟を組んで戦ったすえにようやく勝利を収めた.

かねてから,17世紀以降にフランスの人口が減少していくと予想されていて,支配者たちはこれを懸念していた.1666年には,出産を奨励すべく『結婚に関する王令』が出されている.だが,そうした人口減少問題が目に見えて現れたのは,ずっと後のことだった.いまの通説では,ワーテルローの戦いの行われていた1815年6月15日に,フランスはヨーロッパの最有力国の地位を失ったと考えている.人口動態要因の影響は,1870年露仏戦争のときにもっとも劇的に現れた.この戦争でフランスはただ一国を相手にした単独の戦いで敗北を喫している.第一次世界大戦で,人口と軍事力で他国につけていた差は逆転こそしないまでも完全になくなり,ドイツの力がフランスを大きく上回るに至った.

だが,フランスの出生率が早くから低下していた事情はよく理解されていない.人口構成の転換を進める主な要因といえば経済発展だと経済学者たちは考える場合が多い.親になろうと思えばなれる人たちが,子供を授かるよりも人的資本に投資する誘引が高くなることで(〔我が子の〕人数よりもその質を選ぶ方に誘引がはたらくことで),人口の変化が進んでいくのだと,彼らの多くは考える〔たとえばすでに子供が一人いる夫婦が,さて第二子をつくろうか,それとも,その分のお金を我が子の大学進学資金にしようかという選択で,後者を選ぶ誘引がまさるということ〕.だが,18世紀のフランスは,まだまだ発展途上国だった.大半が貧しく,農村ばかりで,文字は読めなかった.こうした数字を見ると,そのすべてでイギリスに1世紀~2世紀ほど後れをとっていた.他方で,1歳の誕生日を迎える前に亡くなる赤ちゃんは約30パーセント,5歳の誕生日前になくなる子供は半数にのぼっていた.

フランスの出生率低下を引き起こしていたのは経済発展ではなかったとすると,いったいなにが要因だったのだろう? 研究文献のなかには,歴史的な出生率の変化に各種の文化要因が果たしていた役割を記録したものもある.だが,フランス革命以前のフランスは停滞した社会だったように見える.もしも当時の文化が変化していなかったのだとしたら,これほど重大な影響を社会におよぼした転換をもたらしたのはいったいなんだったのだろう?

しかも,出生率低下がはじまった起点と思わしき時期に関して利用できるデータはきわめて限られている.17世紀~18世紀の女性一人当たりの産児数に関するデータや,農民や庶民の性交に関わる各種の慣行は,当然ながら収集しにくい.現代らしい国勢調査のデータが利用できるのは,せいぜい1830年代以降にすぎない.そのデータを見ると,フランスと他のヨーロッパ諸国には大きなちがいがある.だが,このデータは,すでにフランスで転換が起こった後のものでしかないようだ.出生率低下の起点がいつ頃なのかは,いまも不明だ.

筆者の研究では,クラウドソースからえられた geni.com の膨大なデータを利用してフランスの出生率低下を包括的に記録し,その起点の時期をはじめて検討した.geni.com のユーザーたちは,それぞれの先祖たちが手書きで残していた出生・結婚・死亡の記録を検索し,自らの家系図をつくりあげ,それをネット上にアップロードしている.2018年に,公開されて利用可能な数百万もの家系図の詳細を計算機科学者と遺伝学者のチームがダウンロードした.

geni.com にあるジャン・ルソー (1748-1805) の家系図
息子ミシェル・ルソー(1776年~1853年)の洗礼記録をスキャンした画像.マイエンヌ県立公文書館ウェブサイトより.

こうしたオンライン家系図には,ひとつ大きな注意書きがつく.ユーザーはたいてい自分の直系の先祖にしか興味がないため,垂直の世代間リンクを含むものが大半なのだ.その結果,水平の系譜が欠落している場合が多い(いとこ,叔父・叔母,など).だが,水平の系譜がないと出生率を正確に計算できない.家系図の各結節点にいるきょうだいの数える秘湯用があるからだ.この問題に対処するため,筆者は水平の系譜が記録されている家系図を選別した――これには,複数の子をもうけた親たちも記録されている.

また,こうして得られた家系図の比較対象に,30ヶ国の都市化・出生率・死亡率に関する利用できるかぎりで最良のデータをもってきた――データの大半は国勢調査から得られたものだが,推計値も多く含まれている.この比較から,こんなことがわかる――おそらく意外に思われるだろうけども,前述の家系データは18世紀~19世紀の人口全体の代表的な標本だった〔母集団=人口全体のあり方をそのまま切り取ったような標本になっていた〕.したがって,オンラインの家系には当時暮らしていた普通の人々が含まれている.さきほどの図にあったジャン・ルソーとミシェル・ルソーのような人たちだ.[n.1]

利用できるようになった国勢調査データを検討すると,geni.com のデータととりわけ高い相関が見られた.とくに,良質な文書記録がある国々との相関は高い.たとえば,フランスでは17世紀以降の出生・婚姻・死亡の教区記録がすべてスキャンされて公開されてオンラインで利用できる――こうして手書きで残された生のデータが基礎となって,家系ウェブサイトの利用者たちは自分の家系図を構築できる.geni.com 家系図と国勢調査とで,都市化・出生率・死亡率の相関は 95% を超えている.

現代的な国勢調査が利用できるのは1830年代以降なので,イギリスの大量の洗礼記録から抽出された全体の総数の統計と様々な家系を比較した.イギリスを選んだのは,18世紀に関して非常に良質の代表的なデータが利用できる国がイギリスしかなかったためだ.この比較で得られた結論も,上記と同じだった――同様の教区記録に基づくフランスのオンライン家系も正確だ.

この家系データを用いて,筆者はこう推定している――どこの国よりも1世紀以上も先行してフランスでは出生率低下が1760年代に起こっていた.女性一人当たりの平均産児数は,40年間で 4.5 以上から 3.5 にまで下がっている.同時期のイギリスでは,女性の平均産児数は 6人だった.世界中どこでもそうであるように,ここでもマルサスの機構は健在で,その後も1世紀にわたって機能し続けた.イギリスでは,産業革命によって人々がかつてより豊かになったものの,富が増えた分だけ子供を増やした.

このように,人口の転換はフランスで例外的に早くからはじまっていた.だが,どうしてだろう? 筆者の研究では,こう論じた――フランス革命い30年近くも先だってカトリック教会の影響力が低下したことが,出生率低下の主要な要因だった.少なくともトクヴィル以来語られ,近年ではエマニュエル・トッドも論じているように,〔フランスでは〕18世紀半ばに伝統的な宗教・道徳の制約が継続的にゆるんでいった.その規模と広がりは,どんな国も経験したことがないほどだった.

「当時の世俗化の度合いを,いったいどうやって測ればいい?」その画期的な著作で,歴史学者ミシェル・ヴォヴェルは遺言書の冒頭に記される祈りの言葉(主への祈願)に使われた言葉を調査して,フランス南部のプロヴァンス地方で「脱キリスト教」が進んでいたことを実証した.ここでものを言ったのが脱キリスト教だったのか世俗だったのか,それとも,たんに聖職者の影響が失われただけだったのか――それは判別しにくい.ただ,18世紀のあいだに生と死についての考え方が根本から変わっていったことをデータは示している.

17世紀末,遺言を残した人たちのほとんどが,神や天国,様々な聖人に遺言で触れていた.ところが,フランス革命直前の時期になると,遺言の語句はもっと世俗的なものに変わる.たとえば,「自然に対して支払うほかない代償」といった表現がかわりに登場している.遺言の語句という指標以外にも,レクイエム・ミサの要望(死者のために永続的なミサの要望),遺贈,教会への寄付,さらには聖母マリアへの祈願や葬儀用蝋燭の平均重量にいたるまで,あらゆる指標が顕著に低下している.

この変化でまぎれもなく興味をそそるのは次の点だ――早くからはじまっていたこれほど重要で急激な変化によって影響を受けたのは,一握りの哲学者たちや貴族エリート層,ごく一部のブルジョワ階級だけでなく,社会全体だった [n.2].フランシス・ベーコンに言わせれば,「原因がわからねば結果を産み出しようもない.自然を支配しようというなら,自然に従うほかない.」 フランスの世俗化にともなって,はじめて人類が――少なくとも一国まるごとが――自然を支配し,マルサスの罠という鉄鎖から逃れることができた.

結婚を遅らせる以外にも避妊のためのいろんな方法が昔から知られていた.なかでもとりわけ有名でとりわけとりやすかった方法,しかもおそらく当時もっとも効果的だった方法は,膣外射精だった.これは聖書にすら登場している.ただ,こうした方法は広く使われていなかった.とくに,プロテスタント改革の広まりに脅かされたカトリック教会の対抗改革は,「産めよ増やせよ地に満ちよ」に真剣に取り組んで,結婚の目的は生殖だと明示するようになった.

教会の影響力が失われて,もはや聖職者は避妊に反対できなくなった.18世紀に,カサノヴァはコンドームを利用していた(イギリスの「乗馬服」と呼ばれ,リネンや動物の腸でつくられていた.その効果はいまひとつで,普及もしなかった).また,フランスの啓蒙エリート層やブルジョワ階級は「放蕩」(libertinage) や「小さなガチョウの楽しみ」(les paisirs de la petite oie) と呼ばれた相互マスターベーションなど,さまざまな悦楽を行っていた.一方,庶民は「カトリック教会の教え・制限・くびきから」解放され,単純に膣外射精を行っていた.

The Happy Accidents of the Swing, Jean-Honoré Fragonard, c. 1767. Public domain.

世俗化の進んだ地域ほど,出生率低下はより大幅に進行した.脱キリスト教化の大拠点だったプロヴァンスとカトリックの大拠点だったブリタニーを比べると,その差はフランスとイギリスの差にあと一歩まで迫るほどだ.家系データによれば,こうした世俗化の進んだ地域は,もっと前の時期には出生率が下がっていなかった:つまり,出生率の転換は,脱キリスト教が進んで初めて生じている.また,世俗化の進んだ地域に生まれた人々がその世俗的価値観と文化規範を子供たちに継承していくことで,この低出生率の効果は数世代をまたいで持続している.つまり,脱キリスト教化はたんに制度的なものであるだけでなく,なによりも文化的なものだったということだ.

カトリック教会の影響力がこうも急速に弱まった理由も,他でもなくフランスが最初に世俗化の進んだ国になった理由も,はっきりとはわからない.世俗化が進んだ地域は,当時とりたたて豊かだったわけではない.プロヴァンスはフランス王国の辺鄙な田舎で,言語もちがえば,財政規則もちがっていた.ということは,おそらく,富や制度が出生率低下を引き起こしたわけではない.しかし,とりわけフランスで強力だった対抗宗教改革はときおり歴史家たちが言及している.じじつ,イエズス会や教皇によって異端を宣言された神学教義であるジャンセニスムが18世紀にもっとも強力だった地域こそ,世俗化がいっそう進んでいた.同じことは,フランス宗教戦争〔ユグノー戦争〕のさなかの1590年にカトリック同盟がとりわけ強かった地域にも当てはまるようだ.これら2つの事実のどちらも,こんな含意を導く――「フランス国内で対抗宗教改革がとりわけ強かった地域こそ,とりわけ世俗化が進んだ地域だった.」 ここから,絶対王権に結びついた宗教権力に対する反発・反抗として世俗化が進んでいたのではないかと察せられる.

フランスに起きた帰結は,驚愕すべきものだった.フランスの歴史家フェルナン・ブローデルはこう述べた.「このときから,フランス史の全趨勢は18世紀に起きた変化に影響され続けている.」 そこで,ブローデルはこう問うた.「フランスが大国でなくなったのは通説のように1815年6月15日ワーテルローの平野においてではなく,それよりもずっと前,ルイ18世の治世に自然出生率が急に低下したときだったのではないか?」

そのとおり.ただ,これは隙なく正確というわけではない.イギリスが産業革命のゆりかごになって様々な画期的発明と工業化で発展した一方で,フランスは教会権力に挑み,出生率を低下させ人口の伸びを鈍らせることで発展した.これにより,一人当たり所得は1760年以後のイギリスに等しい水準を達成した.定義により,一人当たり所得とは総所得を人口で割ったものだ.ようするにイギリスは分子を増やした一方で,フランスは分母を減らした――イギリスとはまったく異なりっつつも非常に効果的な発展経路をたどった.なるほどフランスは(もはや)「ヨーロッパの中国」ではないかもしれない.だが,今日のフランスは経済大国だ.

以上から,なにが学べるだろう? 今日,ますます多くの地域で出生率が人口置換率を下回っていくなかで,「いつかひと気が消えてガラガラになった地球で政治・経済がどうなるだろうか」と多くの人が心配している.中国の人口は,2100年までに半減すると見込まれる.フランス史上で起きた出生率の転換からは,こんなことがわかる――「まだ〔出生率が〕少なくとも置換率を超える水準であれば,人口の減少によって必ずしも社会は恒久的に破滅しない.とりわけ,〔人口減少で〕過剰人口による圧力を弱め,「人口ボーナス」を産み出すことで発展途上国が気候変動に適応する方法にもなりうる.「人口ボーナス」とは,従属人口に比べた生産年齢人口の比率が上がることで平均所得と生活水準が向上することだ.これまで,こうしたボーナスは,多くの途上国がマルサスの罠を抜け出す助けになってきた.さかのぼれば,18世紀のフランスもそうだった.

経済理論は,純粋に価格とインセンティブを参照して人間がとる大筋の行動を説明することを目指している.そうした行動がきわめて重要なのは間違いない.ただ,文化の影響を無視するのは誤りだ.人々の選好や規範が変わりうることを無視するべきではない.18世紀フランスで起きたカトリシズムの衰退・出生率によって,フランスは「ヨーロッパの中国」という人口大国から,並み居るヨーロッパ列強のうちの一国に変わった.だが,人口減少のおかげで,フランスは産業革命なしでイギリスの生活水準に落伍せずにすんだ.思想は,現実にさまざまな帰結をもたらすのだ.


原註

[1] ルソー家系図の記述的な証拠はこちらを参照.

[2] 同時に,非常に根深い信念に関連したその変化の性質と変化が起きた時代ゆえに,計測はきわめて難しい.


ギローム・ブラン (Guillaume Blanc) は,マンチェスター大学経済学助教であり,アーサー・ルイス比較開発研究所の副所長をつとめている.


[Guillaume Blanc, “France’s baby bust“, Works in Progress, February, 2023]

Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts