ビル・ミッチェル『グリーンスパン:恥も引き際も知らぬマエストロの肖像』(2009年12月18日)

皮肉なのは、彼らの行動(あるいは無作為)がもたらした損害を財政政策が食い止めてきたにもかかわらず、当の彼らがその財政政策を骨抜きにしようと躍起になっていることだ。

昨日に続いて、今日も同じテーマを取り上げる。昨日は、米国の引退した政治家や官僚たちが、裕福な保守勢力の資金や資源を使って結集し、雇用を増やし生活水準を引き上げるという、米国政府が果たすべき正当な責務を遂行する能力を損なおうとしている現状を論じた。

今日のブログでは、米国PBS(公共放送)の番組『Frontline』による優れた放送回を振り返る。この回では、アラン・グリーンスパンとその一味に率いられた新自由主義者たちが世界を牛耳っていた時代を回顧している。世界中で何百万人もの人々の雇用や所得の見通しを損なってきた現在の危機は、彼らのイデオロギー的狂信に直接起因している。

不幸なのは、その一味の連中が、いまだに権力の座に居座っているか、さも信頼に足る論者であるかのように自らを売り込み直していることだ。先行きは暗いと言わざるを得ない。

1999年2月15日号の『タイム』誌は、表紙で「世界を救った委員会」の美徳をこれでもかと称揚していた。ロバート・ルービン(当時の米財務長官)、アラン・グリーンスパン(当時の連邦準理事会(FRB)議長)、そしてローレンス・サマーズ(当時の米財務副長官)である。サマーズは1999年にルービンの後任として財務長官になった。

だが、その「委員会」にもついに報いが回ってきた。2008年10月、グリーンスパンは米議会の委員会で、自らのイデオロギー的世界観がこの危機によって粉々に打ち砕かれたことを認めた。グリーンスパンがアイン・ランドと、その極端な思想に深く結びついていたことは、私のような分別ある人間から見れば、彼がFRB議長として君臨していた時代の金融アナーキーを生み出した核心的要因の一つである。そしてその金融アナーキーは、ついには世界金融システムの崩壊と、それに続く失業の増大、所得の喪失という形で噴き出した。この崩壊には、まさしくグリーンスパンの薄汚れた手がべったりと付いている。

一方のルービンは、政界を去った後、シティグループの幹部――のちには会長――に収まったが、その仕事ぶりへの批判が噴き出すなか、同社が崩壊寸前に追い込まれる直前にその座を去った。2001年には、シティグループの債務者だったエンロンの債務格下げを回避させようとして、米財務省にいた旧知の人物を使い、格付け機関に圧力をかけようとした。2009年1月には、『MarketWatch』(米金融メディア)により「ビジネス界で最も非倫理的な10人」の一人に挙げられている。

そして最後に、ローレンス・サマーズは今なお、自らに恥をかかせ続けると同時に、公共目的に資する政策を設計する能力の欠如によって、自国民にも損害を与え続けている。その代わりに彼が一貫して擁護してきたのは、ウォール街の富裕層に何十億ドルもの公的資金を差し出すような政策ばかりだ。

私が『タイム』誌の記事を思い出したのは、2009年10月20日に米国で放映された『Frontline』の番組『The Warning』を見たときだった(この記事では、ロシア債務危機と中南米債務危機が扱われている)。いまではネットで視聴できるので、時間があるなら一見の価値がある。番組は、ブルックスリー・ボーンが米連邦商品先物取引委員会(CFTC)の委員長に就任したのち、「世界を救った委員会」とどのような闘いを繰り広げたかを記録している。

とりわけ私が気に入ったのは、彼女が商品先物取引委員会の委員長に就任した後、初めてグリーンスパンと昼食をともにした場面を描いたくだりである。どうやらグリーンスパンは「規制に対する軽蔑」を隠そうともせず、またボーンが金融詐欺の問題を持ち出したところ、グリーンスパンは「市場は自己規律によって、詐欺師どもの始末くらいは自分でつける」と言ったらしい。

要するに、人々の老後資金が現実に吹き飛ぼうが、長年かけて積み上げてきた雇用上の権利――年金など――が損なわれようが、仕事を失おうが、そんなことは知ったことではないというわけだ。詐欺によって引き起こされた巨大な破綻――たとえばエンロン事件など――も、市場がちゃんと片づけてくれる、と。そして…その一方で…「詐欺師ども」のうち、実際に捕まえられ、きちんと処罰される者はほとんどいない。

ボーンは、拡大を続ける秘密主義的な店頭(OTC)デリバティブ市場を規制しようとしていたが、その試みはルービン、グリーンスパン、サマーズから激しい抵抗に遭った。彼女は番組の中でこう語っている。「アラン・グリーンスパンは90年代後半のある時点で、90年代の金融市場における最も重要な発展は、店頭デリバティブの発展だと言っていました。」

番組で「グリーンスパンは自分の言っていることを本当に分かっていたのか」と問われると、ボーンはこう答えた。「ええ、でも最近になって、彼自身、自分の理解には欠陥があったと言っています。」この最後の発言は、2008年10月にグリーンスパンが米議会で行った証言を指している。これについては後で触れる。

ボーンは、プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)がバンカーズ・トラストを相手取って起こした訴訟にも関わることになった。バンカーズ・トラストが、プロクター側にはリスクを理解できないほど複雑なデリバティブを売りつけ、同社を食い物にしていたことは明らかだった。番組では、バンカーズ・トラストのブローカーたちが、プロクター社を「食い物にする意図」を露骨に語る音声テープまで明かされる。ある者は「こりゃたまらない」と言い、また別の場面では、プロクターをカモ(被害者)としてはめ込んだ自分たちの手際のよさを笑いながら自慢していた。

その時点でボーンは、金融部門――とりわけ銀行――に対する政府規制が必要だと考えるに至っていた。だが、彼女を待っていたのは、政権側とグリーンスパンからの信じがたいほどの抵抗だった。

しかし、OTC市場を規制する方策を探ろうとするボーンの努力も、あの恐るべき三人組――「世界を救った委員会」――を押しとどめることはできなかった。彼女は「コンセプト・リリース」、すなわちCFTCの法的管轄の範囲内で規制を導入するための構想文書を策定しようとしていた。

これに対し「世界を救った委員会」は、さらにもう一人を加えて、1998年5月7日に公然と反撃に出た。以下は、米財務省が公表した、ルービン、グリーンスパン、レビット(証券取引委員会委員長)によるプレスリリースである。

ロバート・E・ルービン財務長官、アラン・グリーンスパン連邦準備制度理事会議長、アーサー・レビット証券取引委員会委員長による共同声明
5月7日、商品先物取引委員会(CFTC)は、OTCデリバティブに関するコンセプト・リリースを公表した。われわれは、この措置と、それがもたらし得る結果について重大な懸念を抱いている。OTCデリバティブ市場は、大規模で重要なグローバル市場である。われわれは、この分野におけるCFTCの管轄権の範囲に重大な疑義を抱いており、また、CFTCの今回の措置が、特定の種類のOTCデリバティブをめぐる法的な不確実性を高めるおそれがあるとの報告について、強い懸念を有している。
このコンセプト・リリースは、重要な公共政策上の論点を提起しているが、それらは議会と連携する規制当局全体によって対処されるべきものである。われわれは、OTCデリバティブの法的地位に関して、より大きな法的確実性を与えるための立法措置を、必要に応じて追求する用意がある。

昨年の『ニューヨーク・タイムズ』の記事「グリーンスパンの遺産を厳しく再検証する(Taking Hard New Look at a Greenspan Legacy)」は、この一連の経緯をうまく要約している。そこには、グリーンスパン、ルービン、サマーズが、金融市場を何らかの形で規制しようという考えそのものに対して、いかに激しい反対を繰り広げたかが記されている。

PBSの番組は、ルービンが自らの“けしかけ役”――財務副長官サマーズ――をボーンに差し向けたことを明らかにしている。サマーズはその際、信じがたい発言を口にした(のちに実際に起きた事態を踏まえれば、こんな男をその後いかなる公職にも就けるべきではなかったと言ってよいほどの発言だった)。電話で彼は、自分のオフィスには怒り狂った銀行家が13人もいて、自分を怒鳴りつけているのだとまくし立てたうえで、ボーンに向かってこう怒鳴った。

「あんたのせいで、第二次世界大戦以来最悪の金融危機が起きるぞ!」

当の本人は、いまではその電話のことも、その発言をしたことも、まったく覚えていないそうだ。

そのすぐ後、1998年夏のアメリカで、政府には知らされないまま、ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)が破綻に向かった。ボーンは、その事実を知ったときの心境をこう語っている。

…私たちの誰一人として、どの規制当局も、ロングターム・キャピタル・マネジメントがニューヨーク連邦準備銀行に電話をかけ、自分たちは破綻寸前だと告げるまで、その実態を把握していませんでした。

なぜか。私たちはその市場について何の情報も持っていなかったからです。彼らは途方もないレバレッジをかけていました。40億ドルの元手で、1兆2500億ドルものデリバティブを支えていたのです。過剰なレバレッジが市場における大問題だったことは明らかでした。投機ですって?ええ、これはまさに投機でした。価格や金利、為替レートに巨額の賭けを張る、途方もない規模のギャンブルだったのです。健全性規制(プルーデンシャル規制)はというと、これらの大銀行は、実質的にはLTCMに無制限の融資をしていたようなものでしたが、肝心の調査をまったくしていなかったのです。LTCMが市場でどれほどのエクスポージャー(リスクにさらされている資産の割合)を抱えているのかも、他のOTCデリバティブ業者もまた彼らに資金を貸し込んでいたという事実も、何一つ把握していなかったのです。

新自由主義者たちは、これを大した問題ではないかのように取り繕って片づけ、相変わらず規制への抵抗を続けた。やがて2000年には、商品先物近代化法(CFMA)が成立し、店頭デリバティブに対するあらゆる規制管轄権がCFTCから剥奪された。

グリーンスパンは、今後公の場で信頼に値する発言をする資格を自ら失った

2008年10月23日、グリーンスパンは、米下院監視・政府改革委員会の公聴会に出席した。彼が提出した証言――全部で1133語に及ぶその内容――は、かつてこの委員会で大物として君臨していた人物にしては、実に印象的なものだった。

グリーンスパンはこう述べた。

…貸出機関(銀行など)が自己利益を追求すれば、結果的に株主の資産が守られる――そう考えてきた私たち、とりわけ私自身は、いま大きな衝撃を受け、信じ難い思いにとらわれています…

格付け機関が非現実的なまでに高い格付けを与えたことで、銀行、ヘッジファンド、年金基金による米国のサブプライム証券への世界的な需要が急増しました。私の見るところ、それこそが問題の核心でした。需要はあまりにも旺盛だったため、多くの証券化業者や貸し手は、住宅ローン担保証券など作ればすぐ売れると高をくくっていたのです。自分たちの株主の利益が危険にさらされることはないと信じ込み、売りさばく証券の信用力をきちんと吟味する動機さえ失っていました。

しかし、何より示唆的だったのは、監視・政府改革委員会でグリーンスパンが浴びせられた追及そのものだった(議事録全文参照)。

    ワックスマン委員長は、尋問の冒頭で、グリーンスパンが以前に公式の場で述べていた発言をそのまま突きつけた。

    • 「連邦政府による規制に、市場による規律より優れている点など何もない。」
    • 「取引所外で行われるデリバティブ(OTCデリバティブ)の取引について、政府規制が必要であるようには見えない。」
    • 「このような政府介入を正当化するだけの公共政策上の根拠が存在するとは、われわれは考えていない。」(2002年、エンロン破綻後の発言)
    • 「私の経験では、銀行の融資担当者の方が、銀行規制当局よりも、取引相手のリスクや実態をはるかによく理解している。」(2008年初頭、金融危機直前の発言)

    ワックスマンから「では、あなたはどこで間違えたのですか」と問われると、グリーンスパンはこう答えた。

    私が誤っていたのは、銀行などが自己利益を追求すれば、株主や企業の資産を最もよく守ることができるはずだと考えていたことです…

    つまり問題は、きわめて堅固な建造物に見えていたもの――実際、市場競争と自由市場を支える重要な柱でもあったもの――が崩れてしまった、ということです。そして、先ほども申し上げたように、そのことは私に衝撃を与えました。なぜそうなったのか、私はいまだに完全には理解していません。もちろん、それがどこで、なぜ起きたのかを突き止めることができれば、私は自分の見解を改めるつもりです。事実が変われば、私も考えを変えます。

    ワックスマンとグリーンスパンのあいだでは、こうしたやり取りが何度も交わされた。ワックスマンが、グリーンスパンに危機の責任を認めさせようとしていたことは明らかだった。別の場面では、ワックスマンはこう迫った。

    私が問題にしたいのは、あなたにはイデオロギーがあったということです。「私には確かに一つのイデオロギーがある。私の考えでは、自由で競争的な市場こそが、経済を運営するうえで最善の方法である。われわれは規制も試してきたが、意味のある形で機能したものは一つもなかった。」これはあなた自身の言葉です。

    あなたには、サブプライム住宅ローン危機につながった無責任な貸出慣行を止める権限があった。その権限は、紛れもなくあなたにあったのです。そして、多くの人々から止めるべきだと助言も受けていた…。あなたは、自分のイデオロギーが、ご自身の判断を誤る方向へ導いたと感じていますか。

    私の見るところ、グリーンスパンのこの返答を聞けば、今後彼が公の場でどれほど「専門家」として語ろうとも、その発言は信用に値しないと判断すべきだろう。彼はこう答えた。

    ただし、覚えておいていただきたいのは、イデオロギーというものは、人が現実を理解するための概念的な枠組みだということです。誰もがそれを持っています。持たざるを得ません。人はイデオロギーなしには生きられないのです。問題は、イデオロギーが存在するかどうかではなく、それが現実を正しく捉えているかどうかです。

    私が申し上げているのは、そうです、私はそこに欠陥を見つけたということです。その欠陥がどれほど重大で、どれほど恒久的なものなのかは分かりません。しかし、その事実に私は大きな衝撃を受けています…。世界がどのように動いているのかを説明する根本的なモデルだと私が信じていたものに、欠陥を見つけたのです。

    ワックスマン委員長:つまり、あなたは、自分の世界観、イデオロギーが間違っていた、機能していなかったということに気づいた、ということですね。

    グリーンスパン氏:そのとおりです。まさにそれこそが、私が衝撃を受けた理由です。

    14か月後、グリーンスパンは再び戻ってきた――なおも自分の話を聞かせるために

    あれほどの失態を認めた以上――いまや何百万ものアメリカ人が職を失い、貧困へと転落しつつあり、言うまでもなく世界中でも何百万もの労働者が仕事や貯蓄その他さまざまなものを失っていることを思えば――まともな人間なら、公の注目を浴びる場からは身を引くだろう。だが、グリーンスパンは違う。相変わらず自分を大物扱いし、メディアにも政府の公式調査にもせっせと顔を出し続けている。

    このことが私に教えてくれるのは、新自由主義者たちは、自分たちのやったことに対して恥じ入ってなどいない、ということだ。しばらくのあいだは身を潜め、多少の譲歩を口にした者もいた――たとえば先ほどのグリーンスパンのように。だが、いまや連中は、ぬめった泥の底からまた這い出してきて、以前にも増してのさばろうとしている。

    政権が野党によって打倒されたあとに、「長いナイフの夜(Night of the long knives)」が続くのは、ありふれた話である。もちろん、この表現は本来、1930年代初頭にナチスがヒトラーの権力基盤を固めるため、敵対者を醜悪かつ犯罪的なやり方で粛清した出来事を指すものだが、より一般的な意味でも用いられる。

    より一般的な意味では、新たに選ばれた政権が、上級官僚機構における「政治的」任用者を一掃し、そのうえで彼らの信用を失墜させるための巧妙な運動を展開することを指す。

    だが、いまのアメリカの問題は、オバマ政権への移行が、政府中枢におけるウォール街の影響力をそのまま温存してしまったことにある。だからこそ、本来なら恥じ入ってうなだれているべき連中が、いまなお公金から給料を受け取りながら、政策を設計し、実行しているのだ。

    ともあれ、昨年10月に議会公聴会の場であれほど恥をさらしたあとでも、グリーンスパンはなお、自分にはまだ人が耳を傾けるべき何かがあると思っているらしい。

    先週日曜(2009年12月13日)、グリーンスパンは米NBCの番組『Meet the Press』に出演した。司会はデイヴィッド・グレゴリーで、テーマは経済だった。

    その中で、現代貨幣理論(MMT)の観点から見て興味深かったやり取りの一つは、次のようなものだった。

    グレゴリー氏:政府の役割に関するもう一つの問題、つまりFRBの役割について伺います。グリーンスパン博士、『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニストでリベラル派の経済学者ポール・クルーグマンは、今週、FRBが何をすべきかについてこう書いていました……。FRBには、まだやるべきことがあるのでしょうか。

    グリーンスパン氏:FRBは並外れた仕事をしてきたと思いますし、実際、膨大なことをやってきました。とはいえ、金融政策や中央銀行にできることには限界があります。現時点では、彼らはほぼその限界まで来ていると思います。物理的に可能な以上のことを、彼らに求めることはできません。彼らは、コマーシャル・ペーパー市場で民間信用を政府信用に置き換えることによって、事実上の大規模な金融崩壊を食い止めました。さらに財務省とも連携し、TARPプログラムによる銀行への資本注入などを通じて、次々に表面化した問題を封じ込めたのです…。

    …問題は、そこに限界があるということです。もしFRBが、経済に注入した刺激策を実際にすべて引き揚げないなら、その先にはインフレがありますが、それはまだずっと先の話で、差し迫ったものではありません。ですが、中央銀行に、その能力を超えることを求めれば、きわめて深刻な結果を招くことになります。

    量的緩和が銀行の貸出能力を高める、というポール・クルーグマンの相変わらずの主張が誤りである理由については、このブログの別記事――「銀行準備を積み上げても信用は拡大しない(Building bank reserves will not expand credit)」――ですでに論じている。クルーグマンは、金融システムが実際にどのように作動しているのかを理解できていないことを露呈している。

    だが、上の発言からは、グリーンスパンもまた同じ無知をさらしていることが分かる。しかも彼はさらに、銀行準備が需要に対する刺激を構成し、それが「引き揚げられないかぎり」インフレ的になる、とまで考えている。

    この誤った命題については、先に挙げた記事で扱っている。

    量的緩和はインフレ的だというこの発言一つを見ても、――イデオロギーの問題はひとまず脇に置くとして――グリーンスパンもまた金融システムのオペレーションを理解していないことが分かる。

    数週間前、私はある大手銀行のかなり上の地位にいる人物と興味深い会話をした。その人物は、ラリー・サマーズは本当に頭の切れる男だ、という、よく耳にする決まり文句を繰り返していた。だから、こういう連中を「愚かだ」と呼ぶのは選択肢にない、というわけだ。グリーンスパンについても、同じ種のことがよく言われる。

    だが、彼らの著書や論文を読み、公の場での発言を検討したうえで、彼らが現代の金融システムについて語っているのだという点を踏まえるなら、結論は簡単に出る。つまり、彼らは愚かである――つまり、システムのオペレーションを理解していない――か、さもなければ、(自分たちのイデオロギー的アジェンダを押し進めるために、)意図的に大衆をミスリードしているか、そのどちらかだ。

    彼らが愚かだと考えるよりは、そうではないと見る方が妥当だろう。だとすれば、彼らは結局のところ、世論の認識を歪めることも辞さないイデオロギーの闘士にすぎない、ということになる。なにしろ、グリーンスパンにとって知的な導きの光だったのは、あの極端主義者アイン・ランドなのだから。

    PBSの番組では、1959年のランドが、自らの哲学を簡潔に要約するよう求められる場面が映し出される。彼女はこう答えた。

    私は、あらゆる形態の統制に反対します。私は、絶対的なレッセ・フェール、自由で無規制の経済を支持します。手短に言えば、私は国家と経済の分離を支持するのです。

    ランドについて、グリーンスパンは自著『波乱の時代(The Age of Turbulence)』の中でこう書いている。

    アイン・ランドは、私の人生における安定化の力となった…。私たちがすぐに意気投合するようになったのも無理はない。もっとも、それは主として、私の頭が彼女の頭に合わせていった、ということだったが。

    またPBSの番組では、ジョセフ・スティグリッツにもインタビューしている。彼は、グリーンスパンとアイン・ランドとの関係に触れつつ、グリーンスパンがFRB議長の職を引き受けたことについて、こう語っている。

    中央銀行家としては、少々奇妙な話です。というのも、中央銀行業務とは何かといえば、それは市場への大規模な介入だからです。金利を設定するわけですからね。だから私からすると、「私は自由市場を信奉している、だが中央銀行の仕事は引き受ける」と言うのは、矛盾しています。ほとんど分裂症的でなければ成り立たない話です。

    グリーンスパンは最近になって、上院国土安全保障・政府問題委員会の公聴会にも出席している。アメリカ人というのは、やはりどこか特別な国民だと言わざるを得ない。この公聴会のタイトルは、「アメリカン・ドリームを守る――わが国の経済的将来の展望と、それを確かなものとするための提言(Safeguarding the American Dream: Prospects for Our Economic Future and Proposals to Secure It)」というものだった。こんな題名を思いつくのは、アメリカ人くらいのものだろう。

    だが、そのアメリカン・ドリームなるものは、公共の利益のために働く気などないことを、自らが推進する政策によって繰り返し証明してきた、質の低い政権とその経済顧問たちによって、とっくの昔に徹底的に踏み潰されてしまっている。

    その席でのグリーンスパンの証言もまた示唆に富んでいる。彼はこう述べた。

    二世紀以上にわたり、われわれは米連邦政府債務の水準を、長期的な借入能力を大きく下回る範囲に維持してきた。しかし今後10年から20年のあいだに、いくつかの妥当な前提を置けば、その借入余力は大幅に縮小し、前例のない規模の財政赤字を賄うための資金調達能力が試されることになるだろう。

    それも、議会が債務上限引き上げ法案を阻止する場合に限られる。あるいは(できればこちらの方が望ましいが)アメリカ政府が、純支出を行うにあたって借入れを義務づける法律を廃止しないかぎり、という話である。

    私はまた、「いくつかの妥当な前提を置けば」という言い回しも気に入った。これは、私が昨日取り上げたピュー=ピーターソン報告と同じ手口である。実際にその前提がどれほど妥当なのかを掘り下げてみると、たいていは極端な仮定や、見当違いの理屈が紛れ込んでいることが分かる。

    もちろんグリーンスパンは、自分の予測がどのような前提に立っているのかを、まるで明らかにしていない。

    彼はその後も将来の課題について語り続け、話題をアメリカのメディケアとメディケイド制度へと絞っていった。彼によれば、これらの分野における「現物給付型の権利給付」は、「個々人の具体的な医療ニーズ」によって決まるのだという。そこについては、まあ異論はない。

    彼は、技術が絶えず変化しているため、将来どれほどの医療資源が必要になるか正確に予測するのは難しいと考えていた。そして、こう続けた。

    市場価格による何らかの調整、あるいは行政による割当て――政治的には極めて触れにくい問題だが――でも導入しないかぎり、増え続ける医療サービスへの需要は、いずれわが国の経済の実物的な供給能力を圧迫することになるだろう…。単純な事実はこうだ。われわれは、どれほど穏当な見通しをとってみても、将来確保できない資源まで、すでに給付すると約束してしまっている。これは道義的に到底許されない。これから退職する人々は、政府の約束を前提に自らの将来を設計しているのだから。

    われわれが向き合っているのは、予算を積み増せば解決するような単なる財政問題ではない。これは実物資源の危機である。医療サービスへの支出がGDPに占める割合が増えれば、それだけ労働力に占める医療従事者の割合も、資本ストックに占める医療機器・設備の割合も増えることになる。重要なのは、国の乏しい貯蓄から新しい医療技術への投資に1ドル回すごとに、私たちの物質的豊かさを高める他の重要な非医療分野の最先端技術へ回せる額が1ドル減る、ということだ。

    これは興味深い。彼がここで主として語っているのは、実物資源が現実にどれだけ利用可能か、という問題だからだ。これは公的財政の問題ではない。将来、医療産業に投入できる実物資源が利用可能な状態にあるなら、国家政府はいつでも購入することができる。

    「われわれが向き合っているのは単なる財政問題ではない」という、いかにも含みを持たせた言い方は、こう言い換えられるべきだった。すなわち、世代間の医療問題は、国家政府に支出能力がないことから生じる問題ではない、ということである。

    資源が完全雇用されているなら、その使い道について何らかの選択を迫られるのは明らかだ。そうした選択は、本質的に政治的なものになる。そして国家政府は、自らが与えられた政治的委任によって定められる支出上の選択を、つねに賄うことができる。

    医療問題についてさらにしばらく論じたあと、グリーンスパンは証言を次のように締めくくった。

    コンラッド上院議員とグレッグ上院議員による超党派の財政タスクフォース設置の提案は、きわめて優れた考えだと思う。そうしたタスクフォースが設置されるなら、財政引き締めが強すぎる場合と弱すぎる場合とで、その帰結が非対称的であるという、きわめて厄介な問題をぜひ扱ってほしい。前者、すなわち引き締めが強すぎる場合には、リスクは存在しないし、いずれにせよ他の施策に資源を振り向ける余地を生むことになる。これに対して、歳入歳出を均衡させるのに十分なだけ引き締めを行わないことの悲惨な帰結を考えれば、政策は大幅に引き締め寄りに誤るべきだということになる。これを実行するのが政治的にきわめて難しいことは理解している。しかし、わが国はいま、地平線のすぐ向こうに見えているほど巨大な財政危機に、かつて直面したことがない。

    この馬鹿げた発言を、彼がその直前まで展開していた議論の主題へ引き戻して整合的に理解するのは、実に骨が折れる。まるで彼は、とにかく財政ヒステリーを煽り立てたくて仕方がなく、途中で少しだけ別の論点に脇道しただけだったかのようだ。

    結論

    いまや明らかなのは、これまでの主張を都合よく作り変え、歴史を修正することが、この連中の常套手段になっているということだ。新自由主義の狂信者たちは、最初のうちは恥じ入って黙り込んでいたが、今やまたぞろ声高に語り始めている。

    皮肉なのは、彼らの行動(あるいは無作為)がもたらした損害を財政政策が食い止めてきたにもかかわらず、当の彼らがその財政政策を骨抜きにしようと躍起になっていることだ。公的救済によって莫大な利益を得た社会の最上層との結びつきを思えば、彼らが財政拡張に急ブレーキをかけようとするのも不思議ではない。その大盤振る舞いの一部が失業者にまで広く行き渡ってしまうことを恐れているのだから。

    普通のアメリカ人が、かつてイギリス人(ついでにフランス人やスペイン人も)を追い出したときの革命を、もう一度やり直すだけの力が自分たちにあるのだと気づかなかったのは残念でならない。今度こそ標的となるべきは、ウォール街と、それと結びついた政治勢力である。

    [Bill Mitchell, “Being shamed and disgraced is not enough“, William Mitchell – Modern Monetary Theory, Dec 18, 2009]

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