私はつい先ほど、月曜深夜にワシントンに到着した。短い旅なので、時差ボケをより良く防止するために、ニューカッスルの標準時に則って行動している。というわけで、ワシントン時間20:00に仕事を開始し、夜明け頃に終わる予定だ。YouTubeのナイトシフトで一晩中時間をつぶすことになるだろう……おっと(オーストラリア時間では)日中だ。機中で、数ある中でもとりわけ、ニューヨーク連銀によって数年前に書かれた金融政策と準備預金の ”分離” に関する論文を読んだ。これは実務レベルに関して有用な論文だ。というのは、準備預金に関する多数の重要ポイントと、中央銀行が準備預金をどのように操作しているか、あるいは無視しているかという方法論を取り上げているからだ。今回のブログ記事はこれを題材としよう。
ニューヨーク連銀ポリシーレビュー2008年9月号に、Divorcing Money from Monetary Policyという興味深いタイトルの記事が投稿された。
この記事は、(マンキューなどのような)主流派マクロ経済学の教科書によって為され、圧倒的多数の学生による理解を得ている金融政策の説明が、何故完全に誤っているのかについて示してくれている。
ニューヨーク連銀の当該記事は以下のように始められている。
金融政策は、伝統的には、中央銀行が自身の経済的目的を推進するためにマネーサプライを通じた中央銀行の影響力を利用するプロセスだと考えられてきた。例えば、ミルトン・フリードマン(1959, p.24)は金融政策手段を、「(連邦準備)システムが、存在する貨幣総量を決定し変化させることを可能にする力」と定義付けている。実際、金融政策という言葉そのものは、貨幣供給量あるいはいくつかの貨幣総量指標の水準に対する中央銀行の政策を示唆している。
マンキューの経済学原理(私はその第一版を持っている)第27章には「金融システム」についての記述がある。最新版では第29章だ。いずれにせよ、この章を読むことで学べることはほとんどないだろう。
連邦準備制度(アメリカの中央銀行)のセクションで、マンキューは連邦準備制度の持つ「二つの関連した業務」を主張している。第一の業務は、「銀行を規制して金融システムの健全性を保証する」というものだ。これに基づけば、マンキューは連邦準備制度の上級官僚に対して、彼らの監視下で起こった大規模な崩壊に基づく解任要求を真っ先に行うべきだと私は思う。
第二の「より重要な業務は」:
……経済で利用可能な貨幣量、いわゆるマネーサプライの操作である。マネーサプライに関する政策作成者の決定が、金融政策を形作る。(強調は原文ママ)
そしてより詳しい説明として、マンキューは中央銀行がこの最重要の役割をどのように果たしているかについて記述している。マンキューが言うには:
Fedの第一のツールは公開市場操作―アメリカ政府債券の売買―である……FOMC(連邦公開市場委員会)がマネーサプライの追加を決定すると、Fedはドルを創造して、国内債券市場の市民から政府債券を購入する。購入によって、創造したドルは市民の手に入る。こうしてFedによる公開市場の債券購入はマネーサプライを追加するのである。逆に、FOMCがマネーサプライの削減を決定すると、Fedは自身のポートフォリオから国内債券市場の市民へと政府債券を売却する。売却によって、ドルは受け取った債権の代わりに市民の手から離れる。こうしてFedによる公開市場の債権売却はマネーサプライを削減するのである。
そのすぐ次のパラグラフでマンキューは「マネーサプライの変化は経済に大いに影響を与える」というメッセージを学生に伝えようとしている。それは何故か? 簡単だ、「経済学の10原理の一つによれば……政府は過剰に紙幣を印刷すると物価が上昇する」からである。私のブログ記事– Do not learn economics from a newspaper (邦訳)–において、こうした原理がイデオロギー的かつ洗脳的な営為に過ぎないことについて論じているので一読してほしい。
結論として言えるのは、このような教科書を使ったコースで経済学を勉強したと主張する学生たちは、実際の金融システムの運用方法について何か意味のあることを論ずる力が不足しているであろうということだ。
ニューヨーク連銀は以下のように明確に記述している:
しかしながらここ数十年、中央銀行はマネーサプライの尺度への直接のフォーカスから離脱してきた。金融政策の第一のフォーカスは代わりに短期金利の値になった。例えばアメリカでは、連邦公開市場委員会(FOMC)がフェデラルファンド市場(そこでは商業銀行同士のオーバーナイト融資が行われている)で普及してほしい金利をアナウンスする。そして金融政策ツールは、市場金利を選択目標に導くために利用される。
こうした業務はアメリカに限ったことではない。全ての中央銀行はこの方法で運営されており、他のブログ記事にも書いてきた通り、中央銀行は「マネーサプライ」を操作することは出来ないのである。
しかし、ニューヨーク連銀はそれでもなお「貨幣量と金融政策は根源的には関連している」と主張することで、この二つの観点を橋渡ししようとしている。彼らはどのように議論を構築しているのだろうか?
彼らが言うには、商業銀行は「中央銀行に準備預金を」保有しており、「短期金利に…反比例して…準備預金を」需要する。短期金利は、「準備預金保有の機会費用」であり、「金融部門にとっての準備預金の限界価値が目標金利に等しくなる」状態を確保するために、中央銀行は「準備預金と債券」の交換(公開市場操作)によって「準備預金供給を操作」できる。これにより、(オーバーナイト融資の)銀行間市場は政策金利を達成し維持される。
ニューヨーク連銀は「言い換えれば、中央銀行の金利目標の達成のために、貨幣量(特に準備預金量)が中央銀行によって選択されているのである」と述べている。実のところ、これはかなり厳密さを欠く表現だ。私が説明するなら、「政策金利を維持したい中央銀行によって、システム内の準備預金の水準が選択されていることは明らかだ」と記述するだろう。しかも、「貨幣量」といった用語はミスリーディングだ。というのは、ここでの「貨幣量」は、フリードマンやマンキューが言及しているような「マネーサプライ」という概念とは合致しないからだ。フリードマンやマンキューが実際に言及しているのは、マネタリーベースとして知られているものと広義マネーとの間の密接な関係である。主流派経済学ではこの関係は貨幣乗数モデル(邦訳)という形で規定されている。
しかしながら、そうした主流派経済学の銀行の動態に関する理解は誤っている。実の処、準備預金と「マネーストック」の間に、主流派経済学の教科書に書かれている(誤りの)貨幣乗数モデルのような固有関係は存在しないのだ。
あなたがたは現代金融理論(MMT)がマネーサプライについてほとんど扱っていないということはご存知だろう。内生的貨幣の世界では、「マネーサプライ」といった総量概念の意義は極めて乏しいのである。
中央銀行は、未だに様々な”貨幣”の指標をデータとして公表している。例えば、RBA(オーストラリア準備銀行)が提供しているデータは以下の通りだ(訳注:リンク切れにつき、RBAの別の解説リンクを探しておきました。Explanatory Note on Changes to Monetary Aggregate Date、あるいはGlossary –monetary aggregates):
・通貨(Currency) ― 民間非金融部門が保有する銀行券および硬貨。
・銀行への当座預金(オーストラリア政府の銀行預金、州政府の銀行預金、銀行間預金を除く)
・M1指標 ― 民間非金融部門における通貨+当座預金
・M3指標 ― M1+民間の非認可預金受入機関(non-ADI)の銀行預金。したがって、M1より広域の指標である。
・広義マネー ― M3+全ての金融仲介業者(AFIs)が負う非預金債務 (登録金融会社(RFCs)の保有通貨と保有銀行預金、及び資金管理信託を除く)。
・マネーベース(Money base) ― 民間部門が保有する銀行券および硬貨+中央銀行準備預金(銀行が準備銀行に対して保有する預金)+民間非金融部門が保有するその他の準備銀行負債。
ADIはオーストラリア預金受入機関、AFIはオーストラリア金融仲介業者、RFCsは登録金融会社のことを指す。(訳注:ADIは本当はAuthorized deposit-taking institutionsで認可預金受入機関、AFIは本当はAll Fincance intermediariesで全ての金融仲介業者が正しいです) こちらがRBAの素晴らしい用語集で、後学の役に立つだろう。
中央銀行はかのような(民間部門の現金のポートフォリオ選好と銀行の準備比率に基づく)乗数を利用して、ベースマネー操作を通じてマネーサプライを操作している、と主張されているわけだ。
こうした考えはある程度、中央銀行が明確に金(gold)のストックを操作していた商品貨幣システムの名残であった。しかし信用貨幣システムでは、このような「貨幣」ストックを操作する能力は信用需要によって無意味なものになっている。
内生的貨幣理論は、MMTの水平分析の中核にあたる。我々は内生的貨幣を論ずる際、それを市場参加者自身の市場見通しと中央銀行の政策設定に対する市場参加者の反応と、市場参加者たちが自身の市場予測と中央銀行の政策設定に応じ、どれだけの流動資産を保持し(預金)、将来の流動資産をどれだけ追求するか(貸出)を決断した結果としてとして言及する。
内生的貨幣研究の主導的な貢献者はカナダのMarx Lavoieだ。彼は1984の論文((‘The endogeneous flow of credit and the Post Keynesian theory of money’, Journal of Economic Issues, 18, 771-797)で以下のように書いている(774ページ):
企業家が有効需要を決定する際、企業家は必ず生産、価格、配当、賃金率の水準を計画する。現代経済、あるいは「企業家」経済において、あらゆる生産は貨幣性を持ち、貨幣支出を必ず伴う。生産がある定常水準にある場合、企業は支出の調達のために支払い可能な十分な貨幣を保有するだろうと想定される。こうした稼働資本は、全体で見ると未返済の信用を構成する。対して、企業が支出を増やす場合は、企業は銀行から絶対に与信枠の拡張か追加の融資を獲得しなければならない。そうした信用フローが銀行のB/Sの負債面にある銀行預金として再出現し、企業は生産要素に対して貸付金を利用するのである。
重要なのは、「企業家経済」における「マネーサプライ」は需要によって決定されるということだ――信用需要の拡大に応じて、マネーサプライは拡大するのである。信用が返済されれば、マネーサプライは縮小する。こうしたフローは常に生じており、我々がマネーサプライと呼んでいる(M3のような)ストック指標は、信用循環を無作為的に反映したものに過ぎないのである。
したがって、貨幣供給はGDPの水準に応じて内生的に決定するのであり、これは貨幣供給が(静的概念というより)動的概念であるということを意味する。
明らかなことだが、中央銀行は各日の銀行預金の水準を決定したりはしない。銀行預金は、商業銀行の融資決定により発生する。中央銀行に可能なのは、準備預金に金利を設定して、「貨幣」の価格を決定することである。その上、最近のブログ記事――Building bank reserves will not expand credit(邦訳)及びBuilding bank reserves is not inflationary(邦訳)――で議論したように、マネタリーベース(準備預金)の拡張は、信用拡張に繋がらない。
というわけで、ニューヨーク連銀が論じているのは、準備預金(課された法定準備を満たしたり、決済システムを円滑化したりするのに用いられる)と政策金利設定との間の関係である。ニューヨーク連銀は、この――準備預金と金融政策の間の――関係が「経済における準備預金の他の重要な役割故に、中央銀行の他の目的との緊張関係を発生させている」と認識している。
彼らは準備預金の役割を以下のように説明している:
……準備預金は銀行間決済に用いられる; このように、準備預金は無数の取引における決済の最終的な形式として利用される。決済目的に必要な準備預金量は、中央銀行が望む金利にマッチする準備預金量よりはるかに大きい。結果として、中央銀行はバランスを取らねばならず、日中は決済目的のために日中準備預金(日中信用とも呼ばれる)の提供を通じて準備預金供給を大幅に増やし、一日の終わりには望ましい市場金利とマッチさせるために準備預金供給を再縮小させる。
このような説明は、我々が言うところの”中央銀行による流動性管理オペレーション”のことだということが分かるだろう。中央銀行は、金融安定性の維持という自身の役割の一つとして、(銀行に持ち込まれた)全ての民間の小切手の決済と、その他の銀行間取引の円滑化を保証しなくてはならない。
しかし、同様にして、中央銀行は準備預金の総量を、自身の金利目標政策設定と整合的になるような水準に(準備預金と金利目標政策との関係に基づいて)維持するということも行わなくてはならないのである。
ニューヨーク連銀が言うには、中央銀行の最後の貸し手としての役割(決済システムの円滑化のために需要に応じた準備預金融資を用意すること)によって、中央銀行自身が信用リスク(銀行破綻)に晒されており、「モラル・ハザードの問題も引き起こされ、大きすぎて潰せない(too-big-to-fail)問題の悪化が生じている。これにより、規制監督者は、財務トラブルを抱えた銀行を潰すことを躊躇うことになる」のだという。 こうした構造の暴露は、直近の危機の経緯を踏まえると、時節柄極めて興味深いものであろう。
このことがどのようにして金融政策を毀損するのだろうか? これに答えるためには、準備預金と金融政策目標の関係について理解する必要がある。
危機の間、中央銀行はシステムを”流動的”に保つため、準備預金を追加した。私がブログ記事―Quantitative Easing 101(邦訳)―で説明したように、多くの評論家は、準備預金の注入が信用の緩和に繋がると想定していた。しかし銀行は(銀行間市場における銀行相互の取引を除くと)準備預金を貸し出すなどということは行っていない。
とはいえ、「経済で最も流動性の高い資産――準備預金――の追加」は結果として、「市場金利をFOMCの目標以下に引き下げ、そうして金融政策目的を阻害することとなった」。なぜこうしたことが生じたかと言うと、超過準備を抱えた銀行(システム全体に余剰があれば、いずれかの銀行が必ず超過準備を持つことになる)は、超過準備に対して中央銀行が何のリターンも提供しない場合、銀行間市場で他銀行に融通しようと試みるからである。銀行間市場における競争は、「市場金利」を引き下げ、インターバンク金利と政策金利の間のズレを発生させることになる。
「財政赤字が金利を引き下げる」というMMTの記述を目にしたことがあるだろう。その論理は、財政赤字が現金システムに対して、銀行にとって望ましい水準を超過する準備預金を追加するために、銀行が銀行間市場の競争を通じて準備預金を除去しようとするというものである。しかしながら、こうした説明は、現実で実際に起きていることの忠実な反映というわけではない。確かなのは、中央銀行が現行の政策目的と金融政策形成に影響を与える経済変数の動向可能性の予測に応じて短期金利を設定するということだ。一部の人々はこのことを「中央銀行の反応関数」と呼称している。(尤も、この概念は財政赤字テロリスト:ジョン・B・テイラー擁する中央銀行研究協会による汚辱を受けているのだが)
ともかく、財政政策処理は、既述の様な準備預金過剰をたとえわずかでも起こすまいとする制度的構造の中で遂行される。このため、政府は自発的に純支出に応じた債務発行を自身に課す法律ないし規制を導入してきた(債務発行が支出に先立たなければならないとする事例もあった)。こうした制度的制約の下では、財政赤字が金利に下降圧力をかけると言うのは決して正確ではない。政府が金本位制/交換可能通貨といった人工的制度を廃止している場合は(不換紙幣システムではこうした制度は全く不要である)、正の金利目標を維持するため、中央銀行は財政赤字に際して(超過準備を除去するための)債務発行を強いられることになる。
さて、上記の議論は一旦脇に置いておこう。
ポイントは、運用上の要因が準備預金の水準とその時の状況における金融政策の策定とを関連付けるということだ。そうした状況では、銀行が保有する「超過」準備へのリターンが金融政策目標金利を下回ることが要求される。融資金利(割引金利)の設定に加えて、中央銀行はサポート金利(商業銀行が中央銀行に対して保有する準備預金への支払金利)も設定するわけだ。
(オーストラリアやカナダのような)多くの国々は、余剰の準備預金に対する既定のリターンを維持している(例えば、オーストラリア準備銀行は為替決済勘定の余剰に対するオーバーナイト金利よりも低い25ベーシスポイントの既定リターンを支払っている)。アメリカや日本といった他の国では、歴史的に準備預金に対してのリターンがゼロで、このことは、存在し続ける流動性超過によって短期金利がゼロへと動くことを意味する。
サポート金利は実効的には経済内の金利の底(floor)になる。短期金利、ないしオペレーション上の目標金利(現行の金融政策スタンスを表現する)は、中央銀行によって、割引金利とサポート金利の間に設定される。これは実質的に回廊(corridor)あるいはスプレッドを作り出し、金利は流動性変動に応じて、その範囲内で変化し得る。中央銀行は日常のオペレーションでこうしたスプレッドを管理しているというわけだ。
現行の危機の間に、アメリカの連邦準備銀行は準備預金に正のリターンを支払うようになった。
ニューヨーク連銀は以下のように論じている:
近年、金融政策実行に対する新たなアプローチが注目を浴びている。このアプローチは、準備預金量と金利目標を事実上”分離”して、貨幣と金融政策の間の基礎的な関係を除去する可能性がある。このアプローチの背後にある基本的なアイデアは、既存の目標金利に応じた金利を準備預金に支払うことで、商業銀行の保有する準備預金の機会費用を取り除くというものだ。このシステムにおいては、準備預金に支払われる金利は、市場金利がそれ以下となることがない底(floor)を形成することになる。このため、短期金利目標からの逸脱なく準備預金供給を大幅に追加することが出来る。このような準備預金追加は、金融ストレス時の流動性供給や、平時における日中信用需要の削減などに有用である。
というわけで、この点ではアメリカは他の国々をキャッチアップしている段階である。
このシステムがどのように機能しているかを見るにあたり、ニューヨーク連銀は次の図表(Exhibit 1)を示している。この図表は、特定の金融政策目標(政策金利設定)を遂行するためにデザインされた中央銀行の流動性管理オペレーションの一環として、中央銀行がどのように準備預金を操作しているかについての単純なモデルを示すものだ。
ここでは「手元現金」すなわち「交換」に用いられる準備預金は無視されている。
当該記事はアメリカにおける金融政策の含意に関するものだが、基本的な原則はすべての中央銀行オペレーションに通ずる。
銀行における中央銀行準備預金の需要は二つの理由で発生する。第一に、アメリカでは、銀行は法定準備制度(reserve requirement)に直面しており、ある特定の銀行が準備預金の不足に陥ったら(「不足分に比例して」)罰則金を支払わなければならない。他の国、例えばオーストラリアやカナダでは、単に日々の準備預金の保持だけが「要求」(requirement)されている。(訳注:準備預金残高が一日の終わりにゼロ以上でありさえすればよい) しかしながら、法定準備制度の賦課は、金本位制の時代の遺物であり、現代の銀行環境においては完全に不要なものだ。この点についての詳しい議論は、私のブログ記事―Lending is capital- not reserve-constrained(邦訳)―をお読みいただきたい。
準備預金需要を決定する第二の要因は以下のように発生する:
…銀行は銀行間市場の終了後に、予期せぬ遅れた支払フローの流出入を経験する。このため、銀行の最終的な準備預金残高は、銀行間市場において選択した保有量より高くor低くなる。こうした不確実性は銀行が必要量の準備預金を正確に充足するのを困難にし、「予防のための」準備預金需要を生み出すことになる。
このように、中央銀行の準備預金は決済システム(あるいは手形交換システム)にとって重要なものだ。当該システムでは、大量の銀行間請求が、(銀行が中央銀行にて保有する)準備預金の操作によって弁済されている。こうしたプロセスは、日常的にはある程度規則性が予想されるのだが、確率的な(不確実な)決済需要も発生するので、銀行は余分に準備預金を保持して、一日の終わり(あるいは会計期間―アメリカでは二週間移動平均)での準備預金の不備による罰則金の発生を回避している。
先ほど示した図表において何が起きているかを理解しよう。「水平軸が銀行の準備預金の保有総量を示し、縦軸がこれらの準備預金のオーバーナイトローンにかかる市場金利を示す」中で、図表は準備預金のシステム全体の需要を示している。
水平軸においては法定準備規制が行われており、法定準備はシステム全体での最少保有量にあたる。
垂直軸における罰則金利(Penalty rate)とは、銀行が「プライマリーディーラー・クレジット・ファシリティ」(割引窓口という名でも知られている)を利用した際に、中央銀行から銀行に対して課される金利のことである。割引窓口の利用に関する微妙な違いを知るにあたっては、ニューヨーク連銀の当該記事を読んでみると良い。特に、事実として銀行は、援助を必要としたという烙印を回避するために、割引窓口金利を超える金利で借入することがある。
ともあれ、ニューヨーク連銀の総括の要点は、「罰則金利が…FOMCの目標金利の上限になる」ということだ。
なぜ準備預金需要はこのような特殊な形状をしているのだろう? ニューヨーク連銀は以下のように問う:
…罰則金利がある特定の値を取るとして、もし同じ値の金利がインターバンク市場で普及していたら、銀行の準備預金保持需要はどうなるのだろう?
市場(インターバンク)金利を下回る罰則金利の設定は無意味だということに留意しよう。
もし市場金利と罰則金利が等しいなら、銀行はどこから準備預金にアクセスしても同じなので、需要曲線は水平になる。
準備預金の価格が罰則金利を下回ると、銀行は準備預金を必要分(法的な分と、必要と認識した分)だけ受容するようになる。したがって、「準備預金需要の総額は必要とされる準備預金の全体水準に近づくだろう」。市場金利が高くなればなるほど、準備預金保持による機会費用は高くなり、このため準備預金需要は小さくなる。金利が低下するとき、機会費用が低下して準備預金需要は増加する。しかし全ての場合において、銀行は(全体では)彼らが必要とする準備預金の水準と一致する分だけ保有しようとするだろう。
低金利(例えばゼロ)において銀行は法的要求準備に加えて、決済システムのオペ―レーションによる不足を確実に回避するだけのバッファー分の準備預金を保有しようとする。このため、ニューヨーク連銀は以下のように論じる:
しかし、もし市場金利が完全にゼロになると、準備預金保有による機会費用は無くなる。こうした限定的なケースでは、必要な額を十分に超えて追加的な準備預金保有を行っても何の費用も掛からないのである。このため需要カーブはこの点ののちに水平軸上でフラットになる。市場金利が完全にゼロになるとき、銀行は完全に保証された金額以上にどれだけの準備預金があっても変わりがないのである。
これは極めて単純なモデルであるということには留意しておいてほしい。このモデルの意義は、市場金利が中央銀行の準備預金供給によって決定するということを示すところにある。「例えば、必要とされる準備預金の総量を下回る供給量であれば、均衡金利は罰則金利に近くなり、一方、準備預金供給が極めて大きい場合は、均衡金利はゼロになる。これらの二つの極致の間にある右下がりの需要曲線においては、市場金利に対する準備預金の流動性効果が働く。」
ニューヨーク連銀が「目標供給」と呼んでいる供給水準において、中央銀行は銀行の総準備預金需要に応じて金融政策目標金利を達成可能である。このことにより、金融政策がどのように運用されているかが理解可能になる。金融政策は目標金利の公表を伴い、その際、中央銀行は流動性管理オペレーションにおいて「準備預金供給をこの目標水準に」設定する必要がある。実務的には状況はもう少し複雑で、中央銀行は実際には目標金利周辺の短期変動におけるボラティリティを除去すべく、「需要カーブを平坦化させる」ように活動している。
したがって、マンキューの教科書が学生に教えている内容とは対照的に、現実は以下の通りである:
…金融政策は…(インターバンク市場が)…望ましい金利を達成するように…準備預金供給の変更によって…遂行されるものである。
ニューヨーク連銀は「言い換えれば、『貨幣』のストックは金融政策目的の達成のために設定される」と述べているが、我々の知るように、より正確な言い方をすると、(サポート金利の支払いがない場合においては)金融政策目標を達成するために準備預金水準が設定されるのである。
次の図表(ニューヨーク連銀の論文のExhibit 2)はサポート金利の支払いを加えたものだ。サポート金利は準備預金付利のことを指す。サポート金利を引き上げたことによる主な効果は、需要カーブの水平化、あるいは「超過準備保有の下でもオーバーナイトの利子(目標金利以下の一定の基本値)を稼ぐことが出来るようになる」ことである。サポート金利は(裁定取引によって)市場金利の最低値となり、中央銀行の介入なしの市場金利変動における回廊(corridor)の下限となる。
したがってこの図表においても、市場金利は(準備預金需要に従い)準備預金供給に応じて設定されるのであり、中央銀行は政策目標の確実に達成するために適切な準備預金管理を行わなければならない。
このとき、中央銀行が金融政策目標と準備預金水準を「分離」できる方法が明らかになる。この方法により、最初のグラフで見たような必須の均衡目標供給を超えても、中央銀行が必要と考える準備預金をいくらでも供給することが可能となる。それはサポート金利を目標金利として支払うことで実現できる。
加えて、こうした政策は銀行間市場での活動を減少させる。なぜなら、「銀行が日常的に準備預金を正確に調節する必要が薄れるからである。特に、中央銀行に預けておくだけで目標金利分稼得出来る余剰資金を銀行が保有しているので、上記で論じたそれ以外の政策アプローチの場合より、こうした資金を貸し出すインセンティブは比較的低い。」
しかしながら、ニューヨーク連銀は以下のように論じている:
しかし、留意しておくべき重要なことなのだが、準備預金のオーバーナイト融資は他の市場とは根本的に異なっている。我々が論じた通り、準備預金は物理的な希少さのある財ではない。準備預金は、中央銀行によって、他のリスクフリー資産と引き換えにコストなしで発行可能である。しかも、中央銀行が特定価格への設定を目的としているため、市場において社会的に有用な価格発見の役割を持つわけでもない。
ニューヨーク連銀は活発なインターバンク市場がいかに良いものかについていくつかの理由を挙げているが、連銀の見解をバランスよく見れば、それは正しくない。サポート金利を目標金利に設定することは、中央銀行が(日常的な準備預金供給水準の認知に伴う)不確実性を回避しつつ政策金利を維持することを可能にする。
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