ライシュリン&ターナー&ウッドフォード 「ヘリコプターマネーの是非を問う」

●Lucrezia Reichlin, Adair Turner and Michael Woodford, “Helicopter money as a policy option”(VOX, May 20, 2013)


ヨーロッパ全体が長引く景気低迷に追いやられる中、非伝統的な政策オプションを探し求める動きがますます盛んになっている。そのような中で依然として押し入れの奥深くに閉じ込められたままになっている政策が存在する。その名は「ヘリコプターマネー」――中央銀行が財政赤字を直接賄ういわゆる「財政ファイナンス」――である。本論説は世界を代表する3名の貨幣経済学者が「ヘリコプターマネー」をテーマに討論を行った際の模様を再現したものである。

イントロダクション(by ルクレツィア・ライシュリン)

金融危機が勃発して以降、各国の中央銀行は金融市場の動揺が続く中で総需要(名目支出)の安定化を目指して数々の非伝統的な金融政策に乗り出してきた。非伝統的な金融政策と一括りにはされても個々の政策ごとに直接的な目標(マーケットメイキング、長期金利をはじめとした資産価格のコントロール、補助金の提供を通じた信用支援等々)は異なっている。こういった一連の非伝統的な金融政策はリーマン・ブラザーズの破綻に続いて起こった銀行危機を和らげ、金融市場に安定を取り戻す上では役割を果たしたと評価されている。しかしながら、実体経済に対する効果については依然として不確実な面が多い [1] … Continue reading

非伝統的な金融政策が実体経済にどのような効果を及ぼすのかはっきりしたことがわからない状況が続いている中、日本銀行が突如として大胆な行動プランを明らかにした。今後2年間でマネタリーベースならびに国債の保有額を2倍に拡大すると発表したのである。

非伝統的な金融政策を巡っては大きく対立する2つの立場がある。

  • 量的緩和は将来におけるバブルの温床となるだけではなく、量的緩和から手を引く(撤退する)過程では金融システムの安定性が損なわれる恐れがある(詳しくはStein(2013)を参照のこと)
  • 実体経済を上向かせるためには量的緩和よりもさらに積極的な行動が必要だ

つい最近になってアデール・ターナー卿が「量的緩和よりもさらに積極的な行動」の一つを提言している(Turner 2013)。 「ヘリコプターマネー」である(彼は「永続的な貨幣供給」とも呼んでいる)。このアイデアは元々ミルトン・フリードマン(Friedman 1948)によって論じられ、今から10年前の2003年にベン・バーナンキ(Bernanke 2003)によって再び取り上げられたものである。バーナンキはゼロ下限制約に直面している日本経済を念頭に置いていたが、彼は「ヘリコプターマネー」の具体的な手法として一般家庭への給付金の支給あるいは企業に対する減税と歩調を合わせるようにして中央銀行が国債の買い入れを進めること――貨幣の発行を伴う減税――を説いている 。

「ヘリコプターマネー」はそれなりに長い歴史を持つアイデアではあるが、今日ではタブーの一つとなっている。今般の経済危機に対処するために各国の中央銀行は数々の非伝統的な金融政策に乗り出すことになったわけだが、その結果として各国の中央銀行のバランスシートはいずれも大きく拡大することになった。しかしながら、マネタリーベースの拡大を明確な目標に掲げるだけでなく、マネタリーベースの「永続的な」拡大にコミットした例は――先の日本銀行を含めても――ここ最近ではない。しかしながら、経済学界の中からは「ヘリコプターマネー」を支持する声がちらほらと聞こえてきている。

2012年に開催されたジャクソンホール・シンポジウムでマイケル・ウッドフォードが「フレキシブル・インフレ目標」の変種を提案している。中央銀行が名目変数(例えば、名目GDPの将来経路)に関して目標を設定し、その目標の達成に向けてコミットするというもの(名目GDP水準目標)だが、その枠組みの中で採り得る手段についてもいくつか論じられている。その中の一つが給付金の支給と組み合わされたマネタリーベースの「永続的な」拡大である(Woodford 2012)。

世界各国が長引く景気低迷に苦しめられている現在、押し入れの奥深くに閉じ込められたままになっている選択肢も含めてありとあらゆる可能性を俎上に乗せてみるには絶好の機会だろう。


以下は「ヘリコプターマネー」をテーマとした3名の経済学者の討論の模様を再現したものである。ライシュリンが質問し、それにターナーとウッドフォードが回答する質疑応答の形式をとっている。

<質問その1> ターナー卿に質問です。金融政策のオプション(手段)の一つとして「ヘリコプターマネー」が特に現在の状況においてその適切さを増しているとお考えになる理由をご説明願えるでしょうか?

アデール・ターナー(以下、「ターナー卿」): 「ヘリコプターマネー」とは何か?という点から軽く触れさせていただきますと、私個人としては中央銀行が(新発国債を直接引き受けることで)財政赤字を直接賄ういわゆる「財政ファイナンス」の意味で使っています。「ヘリコプターマネー」だけが総需要(名目支出)を確実に刺激できる唯一の手段だと言えるような状況があるかもしれません。それに加えて、「ヘリコプターマネー」は現在各国の中央銀行が広く採用している非伝統的な金融政策と比べると将来的に金融システムの安定性を脅かす可能性も低いのではないかと考えます。

まず真っ先に問うておくべき質問があります。果たして今現在は総需要を刺激すべき状況にあるのかどうか?ということです。次の2つの条件のいずれかが満たされるようであればその答えは当然「イエス」ということになるでしょう。まず第1の条件は、総需要の増加が概して実質的な産出量(実質GDP)の増加というかたちをとって表れる可能性が高いこと。そして第2の条件は、(総需要が増加する結果として生じる)インフレ率の上昇それ自体が望ましい効果を持つと考えられることです。現在のところ先進国の中には以上の2つの条件が当てはまる国がいくつかあると考えられます。そのような国では金融危機の余波を受けて民間部門でデレバレッジ(債務の圧縮)が進められている最中であり、そのために景気に大きな下押し圧力がかかっています。その結果、名目GDP成長率も極めて低い状態にあります。一方で先の2つの条件が満たされないようであれば、「ヘリコプターマネー」は言うまでもなく名目GDPを刺激するような政策はいかなるものであれ試すべきではないということになるでしょう。

ここでは先の2つの条件が満たされており、それゆえ名目GDP成長率を高めることが望ましいとの前提で話を進めることにしましょう。しかし、ここに厄介な問題が控えています。「ヘリコプターマネー」以外の政策にはあまり効果が期待できなかったり好ましからぬ副作用が伴う可能性があるのです。金融政策は――伝統的な金融政策も非伝統的な金融政策もいずれも――「ひもを押している」かのような状況に置かれている可能性があります。民間部門がデレバレッジ(債務の圧縮)に奔走する「バランスシート不況」が続く中で政策金利はゼロ%にまで引き下げられることになりましたが、(銀行貸出をはじめとした)信用の供給や需要を十分に刺激することはできませんでした。量的緩和を通じて長期金利の低下を促しても同様に効果はあまり期待できないかもしれません。それに加えて、金利を長い期間にわたって極めて低い水準に抑えつけておくと投資家たちの利回り追求行動(search for yield)を後押しする格好となり――その過程では新たな金融商品の開発やキャリートレードが盛んに行われることでしょう――、その結果として将来的に金融システムの安定性を脅かす火種をまいてしまうことにもなりかねません。

金融政策に比べると通常の(国債を市中で発行して得られた資金を財源とする)財政政策(財政刺激策)の方がまだ効果が高いと言えるかもしれません。中央銀行がフォワードガイダンスに乗り出している(しばらくの期間にわたって金利を低い水準に据え置くことを約束している)状況では財政乗数は大きな値をとる可能性があります。しかしながら、政府債務残高が既に高い水準にあってなおも累増する勢いを見せているような状況では、政府債務の持続可能性に強い疑いが持たれ出し、それに伴って「リカードの中立命題」がその効果を露わにし始める可能性があります。減税が実施されても「将来的に増税が行われてその埋め合わせがなされるに違いない」と国民の多くが予想する [2] 訳注;そして将来の増税に備えて貯蓄を増やす(消費を減らす)ようになる可能性があるのです。

こういった事情を踏まえると、「ヘリコプターマネー」も選択肢の一つとして考慮すべきだというのが私の考えです。前FRB議長であるベン・バーナンキも2003年に日本に対して「ヘリコプターマネー」の採用を勧めています。仮に日本が2003年の時点で「ヘリコプターマネー」の採用に乗り出していたとしたら、実質GDPや物価は今よりも高い水準にあり、政府債務残高の対GDP比も今よりも低い水準に抑えられていたことでしょう。

<質問その2> 次にウッドフォード教授に質問です。ターナー卿が提案している「ヘリコプターマネー」は経済にどのような効果を及ぼすと思われますか? 通常の量的緩和と比較して効果の面で違いはあるでしょうか? もう一つ質問です。ターナー卿が提案している「ヘリコプターマネー」とあなた自身が提案されている名目GDP水準目標との間にはどのような関係があると思われますか?

マイケル・ウッドフォード(以下、「ウッドフォード教授」): 理論的に考えますと、「ヘリプターマネー」も量的緩和もまったく同じ均衡に至る可能性があります。量的緩和では中央銀行が市中にある国債(既発国債)を購入することでマネタリーベースが増えることになるわけですが、ここでは一つの想定として一旦拡大されたマネタリーベースがその後もずっと(永続的に)そのままの状態に置かれることが公に宣言されるとしましょう。一方で、「ヘリコプターマネー」提案では国民に対する給付金の財源としてマネタリーベースが活用されることになるわけですが、こちらでもやはり一旦拡大されたマネタリーベースがその後もずっと(永続的に)そのままの状態に置かれることが公に宣言されると想定することにしましょう。さらには、どちらのケースでも将来にわたる政府支出の経路に違いはなく、中央銀行が手にするシニョリッジ(通貨発行益)は国庫に納付され(政府の税収となり)、市中にある国債の償還と政府支出を賄う上で必要なだけの課税が行われるとしましょう。こういった一連の仮定に加えて完全予見(perfect foresight)の想定を置くと、どちらのケースでもマネタリーベースの拡大規模が同じである限りは理論的にはまったく同じ均衡に至ることになります。また、予算に及ぼす効果の面でも両者の間で違いはありません。量的緩和の下では中央銀行は市中から国債を買い取ることになりますが、中央銀行が買い取った国債に対して支払われる金利はやがては国庫に納付される(財務省に払い戻される)ことになります。中央銀行と政府の予算に及ぼす効果ということに関して言うと中央銀行が国債を買い取ってはいない場合と何の変わりもなく、「ヘリコプターマネー」ではこの点がもっとはっきりしています。

しかしながら、実際問題としては二つの政策は異なる効果を生む可能性があります。政策の将来の成り行きについて二つの政策の間で国民が異なる認識を持つかもしれないからです。量的緩和のケースでは国民は一旦拡大されたマネタリーベースがその後もずっと(永続的に)そのままの状態に置かれるとは受け取らないかもしれません。2001年~2006年に日本で実施された量的緩和がまさにそうでしたし [3] 訳注;マネタリーベースの拡大が永続的なものではなかった、アメリカやイギリスの政策当局者は中央銀行のバランスシートを今後もずっと膨らんだままにしておくつもりはないと語っています。マネタリーベースの拡大が一時的なものに過ぎない(永続的なものではない)と国民に受け取られる場合には総需要が刺激されることはないと考えられます。一方で、「ヘリコプターマネー」のケースでは一旦拡大されたマネタリーベースをその後もずっとそのままにしておくとの宣言が信用される可能性は高いと言えるかもしれません。それに加えて、「ヘリコプターマネー」のケースでは国民の手に直接現金(給付金)が渡ることになります。量的緩和の場合だと支出を増やす余裕が生まれた事実に気付くために国民は将来の状況(異時点間の予算制約)にどのような変化が生じたかを事細かく検討する必要がありますが、「ヘリコプターマネー」の場合はそのような細かい検討をせずとも現金(給付金)を直接手にすることで国民は支出を増やす余裕が生まれた事実にすぐに気付く可能性があります。

というわけで、量的緩和と比べるとターナー卿の提案(「ヘリコプターマネー」)の方が効果がありそうだと個人的には判断するわけですが、「ヘリコプターマネー」と同様の効果を持つ政策は他にもあるのではないかと思います。それも「ヘリコプターマネー」と同じく将来を見通す能力の面で国民に多くを要求せずとも効果が期待できるものです。それは何かと言いますと、給付金の財源は通常のように国債を市中で発行して賄うわけですが、それと足並みを揃えるようにして中央銀行が名目GDP水準目標に乗り出せばよいのです。マネタリーベースの拡大規模(ないしはその将来経路)が「ヘリコプターマネー」のケースと同じであれば(そうなるように名目GDPの目標水準(目標経路)を定めれば)、完全予見の想定の下では両者はまったく同じ均衡に落ち着くことになるでしょう。また、「ヘリコプターマネー」のケースと同様に国民の手に直接現金(給付金)が渡ることになります。そのため将来の状況(異時点間の予算制約)にどのような変化が生じたかを細かく検討しなくとも国民は支出を増やす余裕が生まれた事実に容易に気付くかもしれません。つまりは、将来を見通す能力の面で国民に多くを要求せずとも景気を刺激する効果が期待されるわけです。流動性制約下にある国民がいる場合も同様に景気の刺激につながるでしょう。「ヘリコプターマネー」との違いと言えば、国民に給付金が支払われるプロセスに中央銀行が直接関与することはないというところです。それゆえ私のこの提案では金融政策と財政政策はこれまで通り分離されたままになります。

<質問その3> ターナー卿に質問です。ウッドフォード教授のお話によりますと、ヘリコプターマネーよりも望ましくて適当な政策があるということです。政府が国債を発行して給付金の財源を市中で調達すると同時に中央銀行が名目GDP水準目標に乗り出せばよいとのことですが、ウッドフォード教授のご意見に同意なさいますか?

ターナー卿: ウッドフォード教授がいみじくも指摘されたように、完全予見の想定が妥当するようであれば、ウッドフォード教授が提案する政策も私自身が提案する「ヘリコプターマネー」もまったく同じ均衡に辿り着くことでしょう。しかしながら、完全予見は常に成り立つわけではないかもしれません。「ヘリコプターマネー」では給付金の財源は中央銀行が発行する貨幣によって直接賄われており、その貨幣が国民の手元に直接渡ることになるわけですが、完全予見が成り立つようにするためにはそのような透明性の高い仕組みが必要となるかもしれません。

ウッドフォード教授の提案のポイントは次の2点にあると言えるでしょう。まず第1点目は、政府が財政赤字の拡大を許容して(減税ないしは政府支出の拡大を通じて)国民の手元に入るお金の量を増やす。そして第2点目は、中央銀行が名目GDP水準目標に乗り出すことを宣言し、名目GDPを目標水準(目標経路)に留めておく上で必要なだけの買いオペを行う(国債を市中から購入する)。おそらくは目標を達成する上ではマネタリーベースの永続的な拡大を伴うことでしょう。

名目GDP水準目標の達成に向けて取り組む過程で拡大されたマネタリーベースはその後もずっと(永続的に)そのままの状態に置かれる(マネタリーベースの拡大は永続的なものである)と国民から受け取られる場合、政府が財政赤字の拡大を許容したからといって将来の税負担が増えるわけではないと正しく認識される可能性があり、それゆえ国民も将来の税負担について心配することはなくなるかもしれません。言い換えると、財政刺激策の財源は結局のところは中央銀行による貨幣の永続的な拡大によって賄われているのだということが国民によって正しく理解される可能性もなくはありません。

つまりは、ウッドフォード教授の提案は実質的には財政ファイナンスだと言えるわけですが、「ヘリコプターマネー」ほどその点が明白ではないわけです [4] 訳注;財政赤字の財源が貨幣の発行によって賄われている点が「ヘリコプターマネー」ほど明白ではない。そしてそのために完全予見が成り立たない恐れがあり、財政赤字が拡大している(政府が国債の発行を増やしている)様子を見て国民が「将来の税負担が増えているのではないか?」と勘違いしてしまう可能性があるのです。そのような勘違いが起こる場合には名目GDP水準目標を達成するためにかなり大規模な買いオペを行う必要があるかもしれません。先にも触れましたが、かなり大規模な買いオペが必要となる場合には金融システムの安定性が脅かされる恐れがあります。

「ヘリコプターマネー」のような“明白なかたちの”財政ファイナンスにも問題はあるかもしれません。とりわけ個人的に重要だと思う問題は、「中央銀行の独立性」と抵触しないようにすることは可能なのかどうか? 財政ファイナンスの行き過ぎを阻止することは可能なのかどうか? というものです。そしてそれは可能だと考えます。

<質問その4> 「ヘリコプターマネー」は財政政策の一種だと考えられますが、そうだとすると一つの問題が持ち上がってくることになります。どの機関がその政策を受け持つべきか? という問題です。中央銀行でしょうか? 財務省でしょうか? それとも両者が共同で担当すべきでしょうか? この問題は「中央銀行の独立性」という原則を脅かす可能性があります。そこまでいかなくとも、政府(財務省)と中央銀行との関係を律しているルールの再考を迫る可能性があるとは言えるでしょう。ウッドフォード教授に質問です。金融政策と財政政策との垣根が曖昧になるとそれに伴ってモラル・ハザードの問題が引き起こされる可能性があるわけですが、そのような問題に対処するにはどうすればよいとお考えでしょうか?

ウッドフォード教授: 「ヘリコプターマネー」に関してはそのような問題が伴うかもしれませんが、私がつい先ほど語った提案はその問題を免れていると思います。私の提案の方が好ましいと考える理由もこの点にあります。私の提案では金融政策と財政政策が共同歩調をとる必要がありますが、両者がこれまで通り別々に分離した状態のままであってもそれは可能です。国民に給付金を支払い、国債を市中で発行してそのための資金を調達し、そして満期を迎えた国債を償還するために将来的に課税を行う。以上の任務は財政当局が単独で行うことが可能です。一方で、名目GDP水準目標を達成するために必要なだけの公開市場オペレーションを行い(あるいは名目GDPが目標を下回る場合は名目金利をゼロ%に据え置き)、資産の獲得(購入)と引き換えに負債(マネタリーベース)を発行し、シニョリッジをはじめとした収益を国庫に納付する。以上の任務は中央銀行が単独で行うことが可能です。望ましい均衡を実現するために両者が緊密に協力する必要があるからといってそこからただちに「金融政策が財政当局に乗っ取られてしまう」ということになるわけではありませんし、「モラル・ハザードが誘発されるのではないか?」と過敏になる必要もないと思われるのです。それにそもそもの話として、財政当局がどのように行動しようとも中央銀行が名目GDP水準目標の達成に向けて全身全霊を注げばそれで構わないのです。特にゼロ下限制約に直面している場合には財政当局の協力が得られれば成功の可能性も高まるとは思いますが――というのは、財政刺激策は予想への働きかけに頼らずともその効果を発揮するからです――、財政当局の協力が得られようと得られまいと中央銀行にとっては名目GDP水準目標の達成に向けて邁進することが賢明な策であることには変わりないでしょう。

<質問その5> ターナー卿に質問です。あなたが提案されている「ヘリコプターマネー」を実行に移した場合、それに伴って「中央銀行の独立性」が脅かされる恐れがあると懸念する声がありますが、そのような意見に対してどのようにお答えなさるでしょうか?

ターナー卿: 財政ファイナンスを選択肢の一つとして認めることはタブーを犯すことを意味しており、それには大きなリスクが伴うという意見については「まったくその通りだ」と私も同意します。しかしながら、そのようなリスクを回避する術はいくつかあるとも考えます。また、ウッドフォード教授のご意見に異を唱える格好になりますが、ウッドフォード教授が提案されている政策もやはり財政規律を損なう危険性を抱えているのではないかとも考えます。

現在最も求められている政策を実現するためには金融政策と財政政策が緊密に協力する必要があるという点についてはウッドフォード教授と私とで意見の違いはありません。ウッドフォード教授の提案に従いますと、財政当局はクラウディング・アウトの可能性を気にかけることなく積極果敢な財政政策に打って出ることが可能です――その結果、景気も刺激されることになるでしょう――。というのも、中央銀行が名目GDP水準目標の達成に向けて大量の国債を購入し、その後もずっと購入した国債を保有し続ける(一旦購入した国債を決して売らない)可能性が高いことがわかっているからです。しかしながら、まさにそれだからこそ財政規律が損なわれる危険性があるのです。中央銀行が名目GDP水準目標を達成する上で必要となる規模を上回るほどの過大な財政赤字が生み出される可能性も捨てきれないのです。

私が提案する「ヘリコプターマネー」も財政規律を損なう危険性はありますが、そのような危険性を回避する手立ての一つとして独立した中央銀行が前もって財政ファイナンスの規模(国債の直接引き受けを通じて賄う財政赤字の規模)を決めるようにすればいいでしょう。まずはじめに中央銀行が政策目標(インフレ目標あるいは名目GDP目標)を達成する上でどのくらいの規模であれば国債を直接引き受けても問題ないかを決める。そしてその後に財政当局が具体的な使途(減税に回すかそれとも政府支出に回すか)を決めるわけです。中央銀行が財政ファイナンスの規模を決める際はあくまで政府から独立した立場で検討を加え、通常の金融政策を決める際と同じ政策決定プロセス(政策委員会)を通じて判断が下されることになるでしょう。

編集後記: 本論説は2013年4月に経済政策研究センター(CEPR)とロンドン・ビジネス・スクールが共同で開催した討論会の模様を再現したものである。この討論会ではルクレツィア・ライシュリンが司会を務め、アデール・ターナーとマイケル・ウッドフォードが「ヘリコプターマネー」をテーマに討論を行った。


<参考文献>

●Bernanke, B (2003), “Some Thoughts on Monetary Policy in Japan”(邦訳 『リフレが正しい。~FRB議長ベン・バーナンキの言葉~』の第7章に収録), speech, Tokyo, May.
●Friedman, Milton (1948), “A Monetary and Fiscal Framework for Economic Stability”, The American Economic Review 38, June.
●Giannone, D, Lenza, M, Pill, H and Reichlin, L (2012), “The ECB and the interbank market”, Economic Journal.
●Khrishnamurthy A and Vissing-Jorgensen, A (2011), “The Effects of Quantitative Easing on Interest Rates(pdf)”, Brooking Papers of Economic Activity, Fall.
●Lenza, M, Pill, H and Reichlin L (2010), “Monetary policy in exceptional times”, Economic Policy 62, 295-339.
●Stein, AJ (2013), “Overheating in Credit Markets: Origins, Measurement, and Policy Responses”, speech at the research symposium sponsored by the Federal Reserve Bank of St Louis, St Louis, Missouri, 7 February.
●Turner, A (2013), “Debt, Money and Mephistopheles”, speech at Cass Business School, 6 February.
●Woodford, M (2012), “Methods of Policy Accommodation at the Interest-Rate Lower Bound(pdf)”, speech at Jackson Hole Symposium, 20 August.

References

References
1 原注;非伝統的な金融政策がマクロ経済(特にアメリカ経済)に及ぼした効果に関する実証的な分析としては例えばKhrishnamurthy&Vissing-Jorgensen(2011)を参照されたい。また、欧州中央銀行(ECB)による非伝統的な金融政策についてはLenza&Pill&Reichlin(2010)を参照のこと。
2 訳注;そして将来の増税に備えて貯蓄を増やす(消費を減らす)
3 訳注;マネタリーベースの拡大が永続的なものではなかった
4 訳注;財政赤字の財源が貨幣の発行によって賄われている点が「ヘリコプターマネー」ほど明白ではない
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