マーク・ソーマ 「キューバ危機と『寛大なしっぺ返し戦略』」(2007年2月13日)

●Mark Thoma, “Generous Tit-for-Tat”(Economist’s View, February 13, 2007)


「寛大なしっぺ返し」戦略は、壊滅的な軍事衝突を避ける上でキーとなる役割を果たす・・・と語るのは、ジェフリー・サックス(Jeffrey Sachs) [1] … Continue reading

Threats of War, Chances for Peace” by Jeffrey D. Sachs, Scientific American

気候変動に、森林破壊、地下水の枯渇。いずれも、世界経済の持続可能な発展に対する深刻な脅威であることは間違いないが、今後の人類の福祉にとって一番の脅威といえば、やはり相も変わらず「戦争の脅威」ということになるだろう。世界は、1962年のキューバ危機(キューバミサイル危機)時に核戦争の瀬戸際に立たされることになったが、南アジア、中東、朝鮮半島といった紛争地帯では、今でも再びあれよあれよという間に似たような事態に陥る可能性が残されている。核戦争の一歩手前までいったキューバ危機。しかし、キューバ危機は、軍備管理に向けた最初の一歩(1963年に締結された、部分的核実験停止条約)へと道を開くきっかけともなった。それもこれも、ジョン・F・ケネディ大統領の政治的なヴィジョンと熟練した手腕の賜物であり、歴史に名を残す画期的な成果だと言える。キューバ危機から部分的核実験停止条約の締結へと至る顛末は、今日の世界にも時宜を得た教訓を与えてくれている。

1962年の後半から1963年の中頃にかけて立て続けに起こった一連の出来事については、よく知られているところだ。・・・(略)・・・戦争開始まで残りあと数時間というギリギリのところまで追いつめられたかと思いきや、その数ヵ月後には、米ソ間で核実験の禁止に向けた合意が取り付けられるまでになったのである。

わずか1年の間に、戦争の瀬戸際から、平和の実現に向けた画期的な条約の締結へと事態が大きく動いたわけだが、一体全体どうしてそんなことになったのだろうか? その答えは、ソ連に対するケネディの姿勢にあった。・・・(略)・・・敵を悪者と断じるなかれ。ケネディは、そのような発想を出発点に据えて、ソ連との交渉に臨んだ。ソ連は、(時に間違った行動を選択することはあるにしても)合理的。ケネディは、どんな場面でもそのように想定した。ソ連は、戦術的に少しでも有利な立場に立とうと画策するだろうが、・・・(略)・・・自殺行為を意味しかねない戦術からは、すぐにも手を引くだろう。ケネディは、そう想定した。

現代のゲーム理論家であれば、「ケネディは、『寛大なしっぺ返し』(generous tit-for-tat;GTFT)戦略を採用していたのだ」と語ることだろう。一方の側のプレイヤー(プレイヤー1)は、相手の側(プレイヤー2)が「協調」する限りは「協調」を貫く。しかしながら、プレイヤー2が「裏切り」に手を染めるやいなや、プレイヤー1もそれを真似て、「協調」路線を見直す。「裏切ると、手痛い結果が待っているぞ」。裏切り者に、そう知らしめるためにである。・・・(略)・・・・しかしながら、裏切り者が改心する気があるなら、再び「協調」路線に転じてやってもいい。プレイヤー1は、「心の広さ」を示して、そのような可能性を匂わせておく。・・・(略)・・・そして、プレイヤー1は、「寛大にも」自分の側から率先して「協調」路線に転じる可能性さえある。そうすれば、一度裏切った相手(プレイヤー2)から再び「協調」を引き出す(裏切り者を改心させる)ことができるかもしれないと見越してである [2] … Continue reading。「寛大なしっぺ返し」戦略は、実り多くてたくましい(頑健な)戦略の一つとして知られており、人間の本能に深く埋め込まれている基本的な戦略なのではないかというのが多くの進化生物学者の見立てである。

ケネディは・・・(略)・・・(1963年6月に、アメリカン大学の卒業式に招かれて行った「平和のための戦略」演説の中で)敵を侮辱するようなことがあってはならないと強調している。「核を保有する国々は、互いの重要な国益を守り抜きつつも、敵対する相手国に、屈辱的な撤退か核戦争かの二者択一を迫るようなことだけは避けねばなりません。核の時代に対立を煽るかのような路線を選択するというのは、政策の破綻を示す証拠か、全世界を巻き込んでの自殺願望を示す証拠でしかないでしょう。」

ケネディの発想は、当時はラディカル(革新的で新奇)なものだったが、同じ人類という共通項ゆえにソ連と協調関係を構築することも可能というのがケネディの考えだった。「煎じ詰めると、こう言えるでしょう。米国とソ連を結び付ける共通の絆の中でも最も根本的なもの、それは、どちらの国の国民もこの小さな地球に共同で暮らしているという事実です。私たちは、誰もが同じ空気を吸って生きています。誰もが子供たちの未来を気にかけています。私たちは、命に限りがある同じ人間なのです」。あちら側(敵)もこちらと同じように生きたいと願っていて、子供たちの未来のことを同じように大切に想っている。何らかの挑戦なり脅威なりが目の前に立ちはだかった時に、是非とも思い出したい洞察である。この重要な洞察は、45年前(のキューバ危機時)もそうだったように、我々が今後も無事に生き抜き、安全に暮らし続けていく上でキーとなる役割を果たすことになるかもしれない。

References

References
1 訳注;サックスは、このテーマ(キューバ危機への対応を含めた、ケネディ大統領の世界平和の実現に向けた奮闘)で一冊物している。次の本がそれ。 ●Jeffrey D. Sachs(著)『To Move the World: JFK’s Quest for Peace』(邦訳『世界を動かす――ケネディが求めた平和への道』)
2 訳注;キューバ危機前後の米ソ間のやり取りに当てはめると、次のようになる。ケネディ大統領率いる米国(プレイヤー1)は、ソ連(プレイヤー2)が挑発的な行動に出ない限りは「協調」路線(軍拡を控える)を貫く姿勢をとっていたが、ソ連がそれまでの(キューバ国内に持ち込むのは、防衛用の兵器だけに限るという)約束を翻して、キューバに攻撃用の核ミサイルを持ち込んだ(「裏切り」に手を染めた)ために、「協調」路線を見直して海上封鎖に乗り出し、キューバに空爆を仕掛ける脅しもかけた。米国側の強気の姿勢を前にして、ソ連は態度を軟化させ、結果的に全面核戦争の危機は回避された。それから数ヵ月して、米国は「寛大にも」自分の側から率先して「協調」的な行動に打って出た。「核実験を禁止する条約を結ばないか」とソ連側に話を持ち掛けたのである。ソ連もその提案に乗っかり(「協調」で応じ)、1963年に部分的核実験停止条約が締結されるに至った。
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