ローラン・ベルシー 「暗殺は歴史を変えるか?」(NBERダイジェスト 2008年3月号)

独裁者に対する暗殺の試みが成功した国では、独裁者に対する暗殺の試みが失敗した国に比べると、その後に民主化が進む可能性が13%も高い。

●Laurent Belsie, “Do Assassinations Change History?”(The Digest, No. 3, March 2008)


「暗殺は歴史を変えるか?」という問いは、非常に多岐にわたる要因――政治的、軍事的、社会経済的な要因など――が絡むこともあって、答えるのが相当に厄介な問いである。しかしながら、最新の研究の一つによると、政治的な暗殺(政治家を標的とした暗殺)は一国の歩みを変える可能性があるようだ。

「我々が見出したところによると、独裁国家の元首(独裁者)が暗殺されると、その後にその国の制度は大きく変容する。その一方で、民主主義国家の元首が暗殺されても、その後にその国の制度が大きく変容することはない」と結論付けているのは、ベンジャミン・ジョーンズ(Benjamin Jones)ベンジャミン・オルケン(Benjamin Olken)の二人だ。“Hit Or Miss? The Effect of Assassinations on Institutions and War”(「成功(命中する)か失敗(外れる)か? 暗殺が制度および戦争に及ぼす効果」)と題された彼らの論文(NBERワーキングペーパーの一つ)によると、国家元首の暗殺は、(その国が関わっている)小規模な紛争を激化させる一方で、大規模な紛争の終結を早める可能性があることも見出されている。ジョーンズ&オルケンの二人の論文は、暴力的な手段によって一国の民主化が進む可能性があることを示しているだけでなく、より一般的な結論として、国家元首という一個人が制度や紛争に対して及ぼす重要な役割を明らかにしてもいる。それだけでなく、銃弾が標的に命中するかどうかというような「偶発事」が世の趨勢を左右する上でキーとなる役割を果たす可能性があることも示唆している。

ジョーンズ&オルケンの二人が明らかにしている驚くべき事実の一つは、暗殺というのは思いの外ありふれた現象だということである。彼らの論文では、国家元首――その国で一番大きな権力を手にしている個人――に対して試みられた暗殺だけが対象になっていて、「クーデター」――権力を奪取するために結集した集団による国家元首の殺害――は分析の対象から外されている。それに加えて、国家元首の命を「本気」で狙った試み――武器が実際に使用された例――だけが対象になっている(ちなみに、一番よく使われがちな武器は銃で、「成功率」は高いとのこと。爆弾もよく使われているが、「成功率」はそこまで高くないらしい)。そのように対象を絞っているにもかかわらず、1875年以降に国家元首の命を「本気」で狙った暗殺の試みは世界中で298件にも上るという。そのうちで成功した(標的となった国家元首の命が奪われた)のは、わずか59件――割合でいうと、全体の5分の1――とのことだ。

暗殺の試みの件数でいうと、この数十年の間にかつてないほど増えている。国家元首が暗殺の標的となって命を落とした事件は、1950年以降だと3年ごとに2件は起きているというのだ。とは言え、暗殺の試みが増えている理由の多くは、独立国家の数(ひいては、国家元首の人数)が1世紀前よりも大幅に増えているためである。一人ひとりの国家元首の身の安全に関しては、1世紀前よりもむしろ高まっている。ジョーンズ&オルケンの二人曰く、「国家元首が暗殺の標的となって命を奪われる可能性が一番高かったのは1910年代である。いずれかの国家元首が1年の間に暗殺というかたちで命を落とす確率は、1910年代だとおよそ1%だったが、今現在だとその確率は0.3%を下回る」。

歴史上の出来事のどれが原因でどれが結果かを分離するのは困難な作業だが、ジョーンズ&オルケンの二人の論文の画期的な点は、暗殺がその後に何らかの変化を引き起こす原因となったかどうかを分析するための手法が発展させられているところだ。ジョーンズ&オルケンの二人の論文では、成功した暗殺の試みと、失敗に終わった暗殺の試みが比較されている。武器が使われた後に――銃から弾が発射された後に/爆弾が爆発した後に――、その暗殺の試みが成功するかどうか(標的となった国家元首の命が奪われるかどうか)は、偶然に左右される面が大きい〔すなわち、暗殺の試みが成功するか失敗するかは、おおむね外生変数と見なすことができる〕。ジョーンズ&オルケンの二人も細かい検証を通じて明らかにしているように、暗殺の標的となった国家元首が運良く生き延びれるかどうか(暗殺の試みが成功するか失敗するか)は、どの武器が使われたかは別として、暗殺の形態だとか、暗殺が試みられた時点でその国が置かれていた状況だとかとは無関係のようだ。失敗に終わった暗殺の試みを、成功した暗殺の試みに対する 「コントロールグループ」(対照群)に据えた上で、暗殺の試みがどう終わったか(成功したか失敗したか)によって国の行く末に違いが生まれたかどうかを問う。それがジョーンズ&オルケンの二人のやり方である。

ジョーンズ&オルケンの二人が見出した結果は、実に驚くべきものだ。独裁者に対する暗殺の試みが成功した国では、独裁者に対する暗殺の試みが失敗した国に比べると、その後に民主化が進む可能性が13%も高いというのだ。さらには、独裁者に対する暗殺の試みが成功した国では、独裁者に対する暗殺の試みが失敗した国に比べると、その後に合法的な手続きを経て権力の移譲が進む可能性が19%も高いという。(独裁者の暗殺が民主化/権力の移譲といった政治制度面の特徴に及ぼす)いずれの効果にしても、一過性のものではなく、十年ないしはそれ以上の期間にわたって長続きするという。

国家元首の暗殺は、紛争に対してもいくらか効果を及ぼすようだ。国家元首が暗殺される(国家元首に対する暗殺の試みが成功する)と、(その国が関わっている)小規模の紛争が激化する一方で、大規模な紛争の終結が早まる可能性があるようなのだ。ところで、国家元首の暗殺がその国の制度に及ぼす効果にしても、紛争に及ぼす効果にしても、暗殺の試みが成功したケースと失敗したケースの違い(差)から導き出されている。例えば、独裁者の暗殺が民主化にプラスに働くとして、その理由は、独裁者が暗殺された(暗殺の試みが成功した)おかげで民主化が進むからなのだろうか。それとも、暗殺の試みが失敗した後に国民に対する抑圧が強化される(暗殺の試みが失敗したせいで民主化から遠ざかる)からなのだろうか。それとも、どちらのメカニズムも同時に働ているのだろうか。そのあたりの事情を正確に識別するのは難しいところがある。

国家元首の暗殺が制度や紛争に及ぼす効果が生み出されているのは、暗殺の試みが成功したおかげなのか、それとも暗殺の試みが失敗したせいなのかを解きほぐすために、ジョーンズ&オルケンの二人は、傾向スコアマッチングと呼ばれる手法を使ってさらなる分析を加えている。その分析の結果はというと、決定的な結論とまでは言えないものの、常識に軍配が上がる格好になっている。すなわち、国家元首の暗殺が制度や紛争に及ぼす効果の多くは、暗殺の試みが成功したおかげで生み出されているようなのだ。とは言え、独裁者に対する暗殺の試みが失敗した後に、民主化から遠のく傾向もいくらか見出せるようだ。生き延びた独裁者が反体制運動に対する締め付けを強める可能性があるためである。

ジョーンズ&オルケンの二人の論文では、民主化/制度変化/戦争に関する独自の理論を裏付ける証拠が提示されているだけでなく、「偶発事」が劇的な変化を引き起こす可能性が強調されている。ジョーンズ&オルケンの二人曰く、「ヒトラーが1939年に(演説するために訪れた)ミュンヘンにあるビアホールにあと13分だけ長く滞在していたとしたら、そこに仕掛けられていた時限爆弾によって命を落としていた可能性が高い。・・・(中略)・・・我々の検証結果は、ちょっとした偶然――弾丸の軌道、爆弾が爆発するタイミング、国家元首のスケジュールのちょっとした変更――が一国の行く末を大きく変える可能性があることを裏付ける証拠ともなっているのだ」。

ジョーンズ&オルケンの二人は、次のように締め括っている。「〔イギリスの政治家である〕ベンジャミン・ディズレーリが問題にしたように、暗殺が『世界の歴史』を変えるかどうかはさておいて、『一国の歴史』を変える可能性はあるようだ」。

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