ノエル・ジョンソン&マーク・コヤマ「近代国家と経済成長にはどんな関係があるのか:国家行使能力(State Capacity)に関する経済史研究のサーヴェイ」(2017年4月1日)

近年の政治経済学と開発経済学における研究は揃って、経済成長を実現させた国とさせられなかった国を分かつ要因を説明する上で、「国家行使能力」(state capacity)の重要性を強調している。

アブストラクト
「国家行使能力」(State capacity)は、開発経済学や政治経済学で最も議論される概念の1つとなってきている。このサーヴェイでは、近代国家が行使能力を獲得するプロセスについて、経済史研究が重要な洞察を提供していると論じる。ヨーロッパとアジアの様々な国における国家建設のプロセスを検討することで、国家行使能力と経済成長の関係を「解きほぐす」(decompress)ことができる。本稿での分析は、国家建設プロセスが多様な性質を持っていることを強調する。また本稿では、国家行使能力と経済成長を関係づけるメカニズムの解明にとって手助けとなる近年の研究に焦点を当てる。 [1] … Continue reading
キーワード:国家行使能力(state capacity)、経済史、財政行使能力(fiscal capacity)、法的行使能力(legal capacity)、法の支配

目次

1 イントロダクション

今日の最も裕福な国々は、洗練された市場経済と、強力で中央集権的な政府を有している。対照的に、世界の最貧層の暮らす地域は、弱い国家や失敗国家の支配下にあり、市場は機能不全に陥っている。強力な国家を持つ裕福な社会と、弱い国家を持つ貧しい経済への分岐が生じたのは、比較的最近の現象だ。1800年になるまで、世界人口の大半は貧しい状態で暮らしており、ほとんどの地域において政治権威は分散・断片化していた。

1800年以降、先進国は対を成す2つの革命(twin revolution)を経験してきた。今日の富裕国における生活水準は、前近代を生きた人々からすれば想像を絶するものだ。先進国の平均的な個人は、前近代を生きた先祖の10倍から15倍ほど裕福な暮らしをしている。この未曽有の富の増大と並行して、国家の範囲と規模にも顕著な変化が生じた。現在のOECD加盟国の税収は、GDPの20~40%を占めている。対照的に、産業革命以前の社会ではGDPの5%以上の課税に成功することは稀だった。

近年の政治経済学と開発経済学における研究は揃って、経済成長を実現させた国とさせられなかった国を分かつ要因を説明する上で、「国家行使能力」(state capacity)の重要性を強調している。そして、市場の整備と経済成長に貢献する制度の持続性を説明する上で、国家行使能力が果たす役割を指摘している。最富裕国を特徴づけるのは、長期的に持続している中央集権的な政治制度である、という知見は既に確立している(Bockstette et al., 2002; Chanda and Putterman, 2007; Borcan et al., 2014; Besley and Persson, 2009, 2011, 2013; Dincecco and Kat, 2014)。特に貧困が広く蔓延し解決困難となっているのは、これまで中央集権的な政府を持ったことのない国 (Herbst, 2000; Gennaioli and Rainer, 2007; Michalopoulos and Papaioannou, 2013)や、内部分裂している国(Herbst, 2000; Gennaioli and Rainer, 2007; Michalopoulos and Papaioannou, 2013)である。行使能力が弱い国は特に、内戦や国内の紛争に襲われやすい(Blattman and Miguel, 2010; Besley and Persson, 2011)。こうした研究の認識に従えば、国家による略奪行動は経済停滞の原因となりやすいが、よく機能している国家は持続的な経済成長に不可欠な制度枠組みを提供できる。

「国家行使能力」(state capacity)とは、国家による徴税、法と秩序の執行、公共財供給の能力のことである。この概念は、オットー・ヒンツェやヨーゼフ・シュンペーターと結び付けられるドイツの研究伝統に立脚してきた政治学者、財政社会学者(Tilly, 1975, 1990; Skocpol, 1985; Mann, 1986; Ertman, 1997)の研究に起源を持つ [2]原注:ヒンツェのエッセイ(Hintze, 1906, 1975)と、シュンペーターによる、中世の領邦国家(domain state)と近代の租税国家(tax … Continue reading 。最近になってこの概念は開発経済学、国際機関、主流派経済学でも用いられる語彙となった(近年のサーヴェイとして、Bardhan, 2015[3]原注:国家行使能力(state capacity)という概念はまず、東アジアの経済成長において「開発主義国家」(developmental … Continue reading 。本稿では、ヨーロッパとそれ以外の地域における、高い行使能力を持った国家の勃興の歴史的分析を試みる。さらに本稿は、国家行使能力と、近代における経済成長の出現との関係をよりよく理解することを目的としている。

経済史の理解は、国家行使能力の重要性を理解する上で決定的に重要である。歴史的観点から見れば、十分に機能する国家の出現は比較的最近の現象である。前近代社会の多くでは、「国家」という用語すら当時の人からすれば馴染みのないものだった。中世後期以前のヨーロッパでは、ほとんどの地域で国家は存在しなかったのだ。オットー・ヒンツェによれば、封建的支配者は「主権の帰属、つまり国境外〔の権威〕からの独立性と、国境内での排他的権利を欠いていた」(Hintze, 1906, 1975, p. 192)。中世ヨーロッパは、政治権威の断片化、重複・競合する法的管轄権、私的軍事力を特徴としており、近代的な意味での国家の概念に対応するものが現実世界にほとんど存在していなかった(Strayer, 1970)。「国家」(state)という語が(英語において)近代的な意味を獲得したのは、16世紀末になってからだった(Skinner, 2009)。これは単なる意味上の変化ではない。近世になって使われだした「state、l’etat、stato」、あるいはDer Staatという語は、「新しい政治的経験を表現するための言葉」だった(Oakeshott, 2006, p. 361) [4]原注:関連して、マーク・ディンチェッコ(Dincecco, … Continue reading

国家行使能力は、2つの構成要素から成っていると考えられる。まず、高い行使能力を持つ国家は、支配権を主張する領域全土においてルールを強制できなければならない(法的行使能力)。次に、そうした国家は、政策を実行するのに十分な税収を経済から獲得できなければならない(財政行使能力)。国家行使能力は、国家の規模や範囲とは区別されるべきものである。公的セクターが肥大化した非効率な国家は、政策の実行や税徴収において、相対的に実効性が低いかもしれない。さらに、18世紀のイギリスにおいて、国家は経済に関して非常に限定的な役割しか果たしていなかったが、高い行使能力を持っていたという点で歴史学者は合意している。同様に、国家行使能力はある程度の政治的・法的な中央集権化を必要とするが、政治的集権化それ自体と同一視すべきではない。もちろん、多くの法的・財政的決定権が地域の領主に委譲されていた封建社会において、支配者の行使能力は低かった。しかし、政治権威の中央への集中は非効率性を生み出し、国家行使能力を損なう可能性もある(Oates, 1999)。バリー・ワインガスト(Weingast, 1995)が言うように、封建国家は有効な統治と経済発展に資する環境を提供していたのだ。

本稿はまず、近世ヨーロッパの、次いで他の地域の国家発展の歴史を概観するところから議論を始める(セクション2)。国家が高い行使能力を獲得する経路は、ヨーロッパの中でも地域によって異なる。このセクションでは、こうした差異がそれに引き続く経済的・政治的発展にとって重要なインプリケーションを持つ、と論じる。東アジアでは、中国王朝による行使能力への投資の失敗が、1850-1950年に中国の経験した経済的・政治的な大惨事をもたらした一因となった一方、徳川日本における国家行使能力の相対的な高さは、近代化と経済成長のプログラムの成功をお膳立てした。同時期にサハラ以南のアフリカ地域の抱えていた問題の多くは、国家が弱く細分化されていたことに起因していた可能性がある。

セクション2で国家行使能力の向上と近代の経済成長の相関を確かめた後、セクション3では、両者を結び付ける想定可能な因果メカニズムを検討する。このセクションでは、近世ヨーロッパにおける実効的国家(effective state)の勃興によって、市場統合の更なる進展、法の支配の強制力の向上、共有されたナショナル・アイデンティティの確立が実現した歴史上のケーススタディをいくつか挙げる。

セクション4では、なぜ一部の社会だけが実効的国家を確立できたのか、その要因を探る。このセクションでは、国家行使能力に関する経済史の研究と、経済発展の深層的決定因(deep determinants)に関する研究を結びつける。持続的な経済成長の深層的決定因に関する近年の研究から得られる1つの洞察は、地理的特徴と集団レベルの特徴(例えば、人的資本の水準や、民族言語的な細分化の度合い)が、政治制度の発展と有効性を予測する上で重要な指標になるということである。最後にセクション5では、今後の研究課題を指摘して議論を締めくくる。

2 近代国家へ至る複数の経路

ティモシー・ベズレーとトーステン・ペルソンは最近の論文(Besley and Persson, 2011)で、1人当たりGDPと、国家行使能力の指標(1人当たりの税収で定義されることが多い)との間にある、重要な正の相関関係に注目している。この正の相関は、「国家の強度」(state strength)をどのように定義しても、ロバストに観察される。この発見は、国家行使能力という概念を再評価する動きの一環となっている。例えばダロン・アセモグルら(Acemoglu et al., 2014, p. 1)は、「現在、貧困国における政府の『行使能力』の弱さや欠如が、その国家の発展の可能性にとって根本的な障害となっていることが広く認識されている。貧困国のほとんどは、法の執行、秩序、教育、インフラといった基本的な公共財を提供できていないか、提供する意思を欠いている国家である」と指摘している。

このように、国家行使能力が近年重要視されるようになったのは、経済・政治制度が経済成長の決定要因として重要であるとの認識が広まったからである(特に、North and Thomas, 1973; North, 1981, 1990; Acemoglu et al., 2005a; Greif, 2006; Acemoglu and Robinson, 2012を参照)。制度が重要なのは、経済活動の方向性——生産的活動に向かうのか、それとも非生産的活動に向かうのか——を左右する社会的インセンティブを形作るからである。それゆえ、この「制度論的転回」(institutional turn)によって、特定の政策が経済成長に寄与したかどうかよりも、特定の政治・経済的制度がいかにして経済成長の発生に不可欠な前提条件を提供したのか、に注目が向くようになった。この関心はまず西欧に、次いで世界の他の地域にも向けられた [5]原注:共産主義崩壊後、制度に関する研究(特にNorth, 1981, … Continue reading 。しかし、こうした制度に関する研究によって、どのような制度が持続的な経済成長の出現をもたらしたかについてある程度コンセンサスが得られたとしても、今度は、経済成長を促進する制度の採用に成功した社会と失敗した社会を分けた要因はなんなのか、という新たな謎が生まれる。

この問いへの解答の1つとなっているのが、国家行使能力である。強力で団結力があり、〔権力行使に然るべき〕制約が課された国家によって統治される経済は、既得権益を克服し、悲惨な経済政策を回避することができる。一方で、弱い国家が統治する社会は、レントシーキング、汚職、内戦に陥りやすくなる。従って、国家行使能力は、市場を支える制度を補完することで、経済発展に資する環境を整備することができる。アダム・スミスも、平和、正義、軽い税を提供することの重要性を指摘しており、この洞察を理解していたと言えよう(Smith, 1763)。とはいえ、国家行使能力という概念が経済史や開発経済学の最前線で再び論じられるようになったのはここ数年のことである。

近世(1500-1800年)におけるヨーロッパの統治者は、戦争での勝利と国家権力を追求するために、国家行使能力を高めていった。統治者にとって、繁栄と経済発展は権力と勝利を追求するための手段であり、近代的な経済成長を見越して国家行使能力に投資していたわけではなかった。この時代の統治者の政策の多くは、短期的に見れば破滅的なものだった。ハジュン・チャン(Chang, 2002)のような異端派の開発経済学者の主張に反して、この時代に国家主導の「産業政策」が成功したという明確な事例はほとんど存在しない [6]原注:ナポレオン時代から幼児産業保護が行われた可能性を示す分析として、レカ・ユハースの議論(Juhász, 2016)を参照。

アダム・スミスも理解していたように、強い権力を保持した国家は、経済成長を阻害し、経済の停滞をもたらすこともある。国家行使能力の向上と、持続的な経済成長との結びつきは、付随する条件によって左右される。両者が結びつくかどうかは、国家が政策によって、市場や市場を支える制度を補完できるかどうかにかかっていた。20世紀の経験は、法の支配や市場経済が存在しない状態で国家行使能力を高めようとしても、持続的な経済成長は実現できないということを教えてくれる [7]原注:現代の例を上げると、最近の研究では合成コントロール法(synthetic control … Continue reading 。また、「国家の視点に立つ」(seeing like a state)ことに、利点だけでなく、欠点もあることは言うまでもない(Scott, 1999)。

経済発展や政治経済学の議論において、国家行使能力の重要性が認識されるようになったのは歓迎すべきことである。現在、ミクロレベルの政策介入を評価するための実験設計において、経済学者の臨床的役割に注目が集まってる。これと対照的に、国家行使能力への関心の高まりによって、経済学者は、国家形成と政治秩序の問題(歴史についての知識と理解が多くの貢献をしてきた問題)に答えるために、社会科学の幅広い関心事に取り組まなければならなくなっている。

2.1 ヨーロッパにおける国家行使能力への投資

この分野における経済史研究のまずもっての役割は、国家行使能力の長期的向上のデータを提供することにある。ヨーロッパ国家財政データベース(The European State Finance Database)と多数の学者の研究によって、17世紀半ば以降の西ヨーロッパにおける主要諸国の中央政府の歳入増加をデータで追うことが可能となった(Bonney, 1995; Dincecco, 2009; Karaman and Pamuk, 2013)。イングランドのように中央集権化が早期に実現した国家では、中世まで遡って税収データを作成することが可能となっている(Barratt, 1999; O’Brien and Hunt, 1999)。

1人当たりの税収は、財政行使能力を示す指標として広く利用されている。図1は、1500年から1900年にかけて、ヨーロッパ諸国の歳入の伸びをプロットしたものである。図1の1つの解釈は、各国での1人当たり税収の増加は、この期間に行使能力がどの国家でも増加したことを示している、というものだ。しかし、図1の集計データには示されていないが、国家権力の増大をもたらした制度は国によって様々である。国ごとに政治史は異なり、近代国家に至る道筋も異なっているのだ。そのため、ヨーロッパ各国の歴史的経験をより深く理解しなければならない。

図1 ヨーロッパ5大国の国民1人当たりの税歳入。出典:Karaman and Pamuk (2013)

1人当たりの税収だけでは、全体像は見えてこない。分権的な財政制度(例えば、民間の徴税請負人 [8]訳注:古代・中世の社会で、国家や封建領主から徴税の仕事を請け負った人々。 )を持つ国家は、財政官僚制を擁する国家と同じくらいの歳入を人々から引き出すことができるからだ。しかし、ここで重要となっているのは、前者〔分権的な財政制度〕の国家は一般的ルール [9]訳注:セクション3.4を参照。 を施行するインセンティブを欠いている一方、後者〔財政官僚制〕の国家はそうしたインセンティブを持っていることである。国家行使能力に関する歴史研究が、財政や法制度の詳細について教えてくれるおかげで、1人当たりの税収という標準的指標の背景にある事情を掘り下げることができる。

国家建設プロセスが複雑であることは、例えばイギリスのケースでは明らかである。財政軍事国家となったイギリスは、18世紀には課税と借入によって莫大な資源を動員できるようになった(Brewer, 1988; Vries, 2015)。イギリス国家が、制度経済学の先行研究で成功例として取り上げられるのは、高い財政行使能力に加えて、主権者の権力への制約、ある程度の法の支配も実現していたからである(North and Weingast, 1989; Barker, 1995; Weingast, 1995; Acemoglu et al., 2005b; Acemoglu and Robinson, 2012)。しかし、イギリスの成功要因は何だっただろうか? なぜイギリスは、高い財政行使能力と法の支配を併せ持った近代国家を建設できたのだろう?

歴史学者は、こうした問いに答える中で、(イギリス全体とまでは言わずとも)少なくともイングランドでは一貫して比較的中央集権的な国家が維持されてきた長い歴史があることの重要性を強調してきた。次のような議論はその典型例である。「17世紀のイングランド政府は(…)幸運にも、政治的統合と、実効的な中央集権的支配の非常に長い伝統を継承した。地域主義的な感情や、州への忠誠心は発達していたが、それでも近世イングランドは単一国家であった。中央政府の支配が及ばない民族的・領土的な空白は存在しなかった」(Prest, 1998, p. 16)。こうした見解によれば、イングランドは、領土と国民の同質性が背景にあったため、中世以降になって統一的な法制度と財政制度を持つことができたということになる [10] … Continue reading 。イングランドを他に類を見ない調和した中世国家にしていたのは、こうした要因だったのである [11] … Continue reading

〔中世イングランドにおける〕議会は国家規模の代表機関(representative body)を有し(これは、フランスやスペインにおける地方の三部会や議会とは対象的であった)、比較的統一的な政治エリートから構成されていた(Mokyr and Nye, 2007)。最近の研究では、中世イングランドの君主が統治のために議会を活用したことが強調されている。デイヴィッド・スタサヴェージ(Stasavage,  2010)は、情報コストの問題から、代表機関は小規模な国家で最もよく機能したと指摘している。イングランドがフランスよりも優位だったのは、その地理的な小ささのためだった。王政国家フランスは、単一の代表機関で統治するには巨大すぎたのである。デボラ・ブコヤニス(Boucoyannis, 2015)は、イングランドにおいて、議会が代表機関として機能するのを確実にしたのは、議会への出席を強制する国王の権力であったと主張している。国家規模の代表議会が形成されたことで、エドワード1世のような支配者は多額の税収を確保することができ、国力においてイングランドに勝っていたフランスの統治者に対抗できるようになったのである。

イングランドで早い時期に財政・法制度の中央集権化が実現したことは、君主権力の抑制を支持する集団の形成を確実にした。これにより、17世紀末のイングランドにおける軍事力の飛躍的な増大が可能となった。ダグラス・ノースとバリー・ワインガスト(North and Weingast, 1989)は、イングランドにおいて1689年以降、憲法上の制約が君主権力を抑制し、以後のイングランド(1707年以降はイギリス)の国家と経済の成功の前提条件となったことを強調しており、これは先駆的な貢献と言える。この見解は、歴史学者から相当の批判を受けた(例えば、Coffman et al., 2013に収録された論考を参照)が、大枠としては依然として影響力を持っている。現在の経済史研究者のコンセンサスでは、この見解を修正し、以下の2点を強調している。まず、イングランド内戦と英連邦の時期(1642-1660年)がイギリスの憲法史と財政史における分水嶺となったこと(O’Brien, 2011; Jha, 2015)。次に、政治エリートと政党の形成が、1690-1720年における政治的均衡を生み出す上で重要な役割を果たしており、これによって王権の権力行使は制限された一方、増税、歳出、借入というそれまでは想像もできなかったような権限が政府に付与されたことである(Carruthers, 1996; Stasavage, 2002, 2003; Cox, 2016)。

図1から明らかなように、名誉革命後に議会が優位となったことは、国家行使能力の飛躍的な向上をもたらした。名誉革命と連合法の後、イギリスは財政軍事国家となり、これまでにない規模で税収が増えるとともに(Hoppit, 2000; O’Brien, 2011)、莫大な政府債務を抱えることになった(Dickson, 1993, 1967; Ventura and Voth, 2015)。さらに、通説では、〔名誉革命が生じた〕1688年以降のイギリスは既存の財産権の保護を強化したとされているが、実際にはむしろ財産権制度の再編(reordere)を行ったのである。イギリスは多くのケースで、既存の封建的・慣習的な財産権を解体・破棄し、商業的農業への投資や、工業目的での土地の開発利用に適した財産権を優遇した(Bogart and Richardson, 2009, 2011[12]原注:ジョン・ブリュワー(Brewer, 1988)は、名誉革命の後に生じたハノーヴァー朝の政体を説明するために、「財政軍事国家」(fiscal-military … Continue reading

ノースとワインガスト(North and Weingast, 1989)は、1688年〔の名誉革命〕こそが、財産権の保護と法の支配の高度化をもたらした憲法上の水位標(watermark)を生み出したとしている。この仮説の多くの要素は、後続の研究によって論駁された。1688年からの1世紀半の間に、規則や法律は一般的ルールに近づいていったが、そのプロセスは多くの挫折を伴っていた。ジョン・ブリュワー(Brewer, 1988)が示したように、1688年以降、イギリスでは物品税が近代化され官僚制の下に置かれたが、他の領域では世襲制が残存し、近代化のプロセスは非常にゆったりとしたものだった(公務員登用のための公開試験は1870年になってようやく導入された)。ビジネスの領域では、1820年の泡沫会社禁止法(Bubble Act)によって株式会社の設立が厳しく制限された。会社設立法が緩まり始めたのは1820年代になってからで、1833年になってようやく株式会社が完全に合法化された(Harris, 2000)。同様に、信教の自由を制限する法律も18世紀を通じて残り続けた(Machin, 1999を参照)。にもかかわらず、イギリスにおける国家行使能力の向上は、ノース、ワインガスト、ジョン・J・ウォリス(North et al., 2009)が「アクセス開放型」秩序と呼ぶものへの全般的移行を伴っていた。

イングランドがこのようにいち早く財政行使能力を発展させることができた理由の1つに、かなり早い時期から、国民の同質性が相対的に高かった点を挙げられる。イングランドとスペインの歴史的経験を比較したハンス・ヨハヒム・フォート(Voth, 2016)は、初期の時点で国民の同質性が低かった地域における国家建設のプロセスは、〔イングランドと〕大きく異なる展開を遂げたと主張している。イングランドが国家行使能力を高めるのに成功したのは、初期の凝集性(cohesion)が高かったことも一因となっていた。私たち(Johnson and Koyama, 2014b)は、フランスがイングランドよりも民間の徴税請負人に長く依存し続けたのは、地域ごとの経済条件がイングランドよりもはるかに不均質だったためだと論じている。つまり、イングランドでは初期の同質性の高さにより、フランスなど他のヨーロッパ諸国よりも早い時期に、民間徴税請負人への依存から、物品税や関税といった直接税に切り替えた方が、君主にとっての費用対効果が高くなったのである。統治者による国家行使能力への投資インセンティブが軍事競争にどう影響するかを考察したニコラ・ジェンナイオーリとハンス・ヨハヒム・フォート(Gennaioli and Voth, 2015)の研究でも、同質性が重視されている。ジェンナイオーリとフォートは、イングランドのように当初から同質性が高かった国家では、1500年以降の軍事競争の激化が、国家行使能力に投資するインセンティブを提供したと主張している。逆に、スペインやポーランドような同質性の低い王国の場合、統治者による中央集権化への投資は、条件的に難しくコストがかさむため、投資のインセンティブが必ずしも創出されず、地方の既得権益を克服しようとする試みは国家全体を不安定にする危険性もあったのである。

中世フランスは、イングランドと対照的に、国王への忠誠によって緩やかに結ばれた、封建的なアパナージュ〔国王が長子以外の親族に与えた領地〕からなる集合体だった(Goubert, 1969; Major, 1994; Collins, 1999)。中世を通じて、戦争や政略結婚により、様々な公国や王国がフランス国王の領地に編入された。1349年のドーフィネ、1477年のブルゴーニュ、1486年のプロヴァンス、1532年のブルターニュ、1678年のフランシュ=コンテなどである。

結果として、国家建設もイングランドとは異なる経緯を辿った。フランスでの国家建設は、地方の権力者の大きな抵抗に直面し、著しく長期化した。フランソワ1世(在位1515-1647)は、王国の中央集権化と統一化を目的とした一連の改革を行ったが、改革後も、国王の直轄課税地であるペイ・デレクション(pays d’élection)と、課税には地方エリートとの交渉が必要となるペイ・デタ(pays d’état)では、異なる財政・法制度が敷かれていた [13]原注:近世フランスにおける法の断片化と、それがもたらしたコストについてはハムシャー(Hamscher, 1976)を参照。 。こうした制度の残存は、フランスの法的・財政的な分断がフランス革命期まで続いたことを意味している(Rosenthal, 1992)。しかし、アレクシ・ド・トクヴィル(Tocqueville, 1998)にまで遡る伝統的見解が強調するように、アンシャン・レジーム期のフランスでは、17世紀に国家行使能力が大幅に向上しており(Bonney, 1999; Collins, 1995; Johnson, 2006; Johnson and Koyama, 2014b)、セクション3.5で論じるように、こうした制度的遺産は、憲法と法の支配の導入の基礎となるナショナル・アイデンティティの形成を促す上で重要な役割を果たした。

プロイセンやハプスブルク帝国でも18世紀ごろに国家行使能力への投資が行われたが、これは支配者層の権力行使に制約が課される時期よりも前のことだった。歴史学者の間では、プロイセンはホーエンツォレルン王朝の意志によって財政軍事国家として確立したとされている(Brewer and Hellmuth, 1999)。プロイセンが強国としての地位を得られたのは、統治者が財政行使能力に投資し、強力な常備軍を設置したことも一因となっている [14] … Continue reading

チャールズ・ティリー(Tilly, 1990)の用語法に従うなら、プロイセンやロシアのような国家は、近代国家に至る経路に関して、より強制的な手段をとる道(coercive path)を選んだと言える。プロイセンは人口が少なかったため、当初は外国人傭兵と現地徴兵制度に頼ることで軍隊の規模を拡大させた。1733年になって、州(カントン)単位での徴兵制度が実施され、各州で一定数の農民に徴兵が義務付けられた(Büsch, 1997)。18世紀のプロイセンは優れた財政軍事国家だったと見なされがちだが、歴史記述においては官僚制化の水準が誇張されていることもある。プロイセン政府は税収を大幅に増やす能力を持っていたが、18世紀末まで徴税請負人への依存を続けていた(Kiser and Schneider, 1994を参照)。

ロシアでは、ピョートル大帝による改革が行われた後、近代国家建設はより強制的な手段をとるようになり、農民は終身徴兵され、貴族は国家への奉仕を義務付けられた(Duffy, 1981; Dukes, 1990[15]原注:したがって、これらの例では、税収の対GDP比は、近世国家の資源動員能力の下限値となる。 。東欧諸国の近代国家に至る経路は〔西欧と〕異なっており、これによって、20世紀に独裁に陥りやすくなったのではないかと、政治学者や歴史社会学者は推測してきた(例えば、Moore, 1966)。

多数の民族・言語集団を支配する大帝国だったハプスブルク帝国も、国家行使能力を高めようとする試みにおいて、同様の障壁に直面した。ハプスブルク帝国における民族・言語の多様性は、近代国家の確立プロセスにおいて〔プロイセンやロシアよりも〕たくさんの問題を引き起こした [16] … Continue reading 。にもかかわらず、ライバルだったイギリス、フランス、プロイセンと同様に、ハプスブルク帝国の支配者たちは、国家行使能力を高めることに成功している。マリア・テレジアとその息子ヨーゼフ2世の治世には、近代国家の基礎を築くための多くの改革が実施された。1749年の大規模な行政再編にはじまり、教会特権の制限や、教会領の課税対象化など、いくつもの試みが実施された。これは、1789年の新しい土地測量に基づいた大規模な税制改革に結実した。法制度も同様に標準化された。1755年には迷信と魔術を禁じる法律が制定され、魔女裁判も廃止され、1768年に封建領主は死刑執行権を喪失した。王権は1776年に司法による拷問を禁止した。こうした一連の改革を、ロバート・ジョン・ウェストン・エヴァンスは「断片的だが、具体的で、驚くほど広範に及んだ」と評している(Evans, 1991, p. 189)。

ヨーゼフ2世は、さらに急進的な中央集権化改革を実施した。専門的な官僚制度が確立され、ドイツ語があらゆる行政分野で公用語となった。官僚はウィーンで訓練を受け、公正にルールを実行するということで定評があった。プロテスタントとユダヤ人への寛容を認める布告が下った。マリア・テレジアの改革が各地方領土の特徴を尊重していたのに対し、ヨーゼフ2世の改革は、バラバラだった領土を統一国家へと統合することを目的としていた。ヨーゼフ2世の政策は部分的にしか成功せず、後継者は彼の急進的な改革から逆行していった。にもかかわらず、ヨーゼフ2世の改革の結果、「少なくとも、ハプスブルク家の世襲地域では、中央政府による法的主権のみが服従を要求できるとの観念が、個別的で属人的な特権に依拠する法概念を掘り崩していった」と指摘する歴史学者もいる(Hutton, 1980)。このように、プロイセンやハプスブルクの近代国家建設のプロセスは、イギリスのそれと異なるものだった。プロイセンやハプスブルク帝国は当初から同質性が低く、実効的な財政・法的機関の設立が困難となっていたため、一般的ルールを執行できる国家機関への移行はイングランドよりも遅れた。20世紀にプロイセンやハプスブルク帝国の地域にある国家が経験した事態には、こうした歴史的経緯が影響していたと考えられる。

一方、スペインは、政府規制と財政圧迫の重荷によって経済の停滞と衰退を招いた権威主義的・専制主義的国家の典型例だと長年考えられてきたが、現在の研究では、中央集権的な国家の建設に失敗することのコストの大きさを示す事例として捉えられるようになっている。

国家行使能力という概念は、スペインの失敗を考える上で光を投げかけてくれる。ジョン・リンチやジョン・エリオットといった歴史学者は、16世紀から17世紀にかけてのスペインの君主が、強大な個人的権限と財産を有していたにもかかわらず、領土内の諸地域に一律に施行される統一的な財政・法制度を構築できなかったことを明らかにした(Elliott, 1992; Lynch, 1992)。君主制スペインでの国家建設の努力は、主にカスティーリャ地方に限定されていたのである。他の地域、例えば16世紀のアラゴンでは、「半独立的な領主が、国王とその家臣に不利益を及ぼすような多くの封建的権利を行使していた。カスティーリャ人は公職から締め出され、法律は独自運用され、課税は地方議会(コルテス)の監視下にあった」(Lynch, 1992, p. 290)。こうした近年の研究の要点をまとめれば、スペイン帝国が最終的に破綻した理由は、伝統的な見解が言うような浪費的な借金や過剰支出ではなく、歳入側にあったと言える。スペインは統一的な財政国家の建設に失敗したのだ(Drelichman and Voth, 2014を参照) [17]原注:過剰な借入がスペインの衰退をもたらしたとする見解は、ケネディ(Kennedy, … Continue reading

この見解を支持する更なる証拠として、スペインを都市共和国家(city republic)の連合体として特徴づけたレジーナ・グラフェ(Grafe, 2012)の研究がある。都市共和国家は地方エリートや地主とともに、近世まで「自由」(liberties)を保持していた。国内の関税障壁は貿易を阻害し、間接税は地方レベルで徴収・支出された。ブルボン朝の即位によってようやく、王国の完全統一が試みられた。グラフェ(Grafe, 2012)は、ステファン・R・エプスタイン(Epstein, 2000)の研究を基に、スペインにおいて中央集権国家が確立されなかったことが、イベリア半島での単一の市場経済の発展を制限し、統一を危機に追いやった核心であると主張している。18世紀には、ブルボン王朝の支配者が増税を試み、国全体に共通税(the contribucìon unica)を課そうとしたが、失敗に終わった(Tortella and Comin, 2001, p. 159)。ジェリー・F・ハフとロビン・グリアーによる最近の研究(Hough and Grier, 2015)は、この分析を拡張し、スペインにおける国家の弱さが、新大陸の植民地で敷いた制度に影響を与えたと考察している。

2.2 ヨーロッパ以外の地域での国家行使能力への投資 

ヨーロッパ以外の国での国家建設プロセスはどのような経緯を辿ったのだろう? シャルル・ド・モンテスキュー(Montesquieu, 1748, 1989)やカール・アウグスト・ウィットフォーゲル(Wittfogel, 1957)に影響を受けた諸研究では、アジアで経済発展が起こらなかったのは、専制的な国家が過剰な課税を行い、財産権を不安定にしたからだとされてきた(例えば、Jones, 1981; Rosenberg and Birdzell, 1986; Landes, 1998)。アジアの大帝国の支配者が、巨大な建築プロジェクトや、途方もない規模の戦争のために莫大な資源を動員できる、非常に強力な力を持っていたことは間違いない。実際、乾隆帝は(公称ではあるが)100万を超える軍隊を率いている。それでも、前近代の帝国の支配者が領土を実効的に「統治」する能力は限定的なものだった。清朝は、前近代の水準で見れば高度に官僚化されていたが、人口や(清朝が領有を主張していた)広大な領土と比べると、官僚機構の規模は非常に小さかった。同様にオスマン帝国も、広大な領土を支配し、基本的には絶対的権力を持っていたが、最盛期においてさえ、帝国内の多くの地域(エジプト、北アフリカ、イラクなど)で高度な自治が行われており、帝国の中核部においてさえも皇帝の裁量権はかなり限定されていた [18] … Continue reading 。さらに、オスマン帝国ではどの時代においても、財政システムは高度に分権化されていた(Balla and Johnson, 2009; Karaman and Pamuk, 2010; Coşgel et al., 2009; Coşgel, 2015)。

同様に、最近の研究では、中国において税収が少なかったことが立証されている(Ma, 2011, 2012, 2013; Rosenthal and Wong, 2011; Sng, 2014; Vries, 2015; Ma and Rubin, 2016)。税収が少なかったことは、清朝の政策が財やサービスの取引における市場の機能を阻害しなかったというプラスの側面も持っている(Pomeranz, 2000; Shiue and Keller, 2007; Li et al., 2013)。しかし、近世中国における国家の実効性については、多くの点で議論の余地が残されている。税収の少なさが、財政行使能力の低さを反映しているのか、儒教イデオロギーへの依存を反映しているのかについては、議論が分かれている。ケント・デンは、当時支配的だった政治的イデオロギーの観点から「アンダー・ガバナンス」(under governance)に言及し、「重税は政治的タブーであり続けていた」としている(Deng, 2015, p. 328)。ジャン=ローラン・ローゼンタールとロイ・ビン・ウォン(Rosenthal and Wong, 2011)も、「中国において国家を維持するための論理は(…)軽い課税の重視と、一般に商業への干渉を避けようとすることにあった」(174)としている [19]原注:ロイ・ビン・ウォン(Wong , 2001, pp. 76–77)も参照。 。一方、トゥアン・フィー・スン(Sng, 2014)は、清王朝における中央政府の税収の少なさは、前近代的なテクノロジーを用いて巨大な帝国を統治する中で王朝の支配者たちが直面した脆弱な政治的均衡を反映している、という説得的な主張を行っている。清は、土地の価値に応じて毎年一定額を収めさせる土地税に依存していた [20] … Continue reading 。土地税を徴収するにあたって、清は地方の役人に大きな裁量を与えていたが、そうした役人は、賄賂を受け取ったり、自己利益のために徴収プロセスを操作したりしていた。スン(Sng, 2014)は、支配者の直面するプリンシパル=エージェント問題が深刻であればあるほど、支配者の税徴収能力は弱まると予測するフォーマル・モデルを構築している [21] … Continue reading 。ピア・ヴリーズ(Vries, 2015)も同様に、清の税収の少なさは、国家行使能力の低さが生み出した政治的均衡を反映しているとの解釈を示している。デビン・マーとジャレッド・ルービン(Ma and Rubin, 2016)による進行中の研究では、こうしたアイデアをより一般的なモデルで定式化し、中国の統治において財政行使能力への投資が行われなかった理由を説明している [22] … Continue reading

18世紀に清王朝が財政軍事国家を築けなかったことで、一般的な中国人が不利益を被ったということを示す証拠はほとんどない。それどころか、康乾盛世(1680-1794)を通じて経済は拡大し続けた。中国の農民は土地の所有権を保証されており(Pomeranz, 2000)、新世界からの作物の輸入と二毛作の実施によって、人口成長に並行した農業生産の増産が可能となった(Yang, 2014)。しかし19世紀に入ると、1830年以降の欧米列強による植民地主義的侵略に対処できず、国内秩序の維持に失敗し、太平天国の乱が勃発するなど、王朝の弱さと脆弱さが露わとなった(Kuhn, 1980を参照)。

日本も、16世紀末の国内平定後には地政学的な競争に直面することもなくなり、近世には財政軍事国家を築くインセンティブがほぼ消失した。しかし、中国とは異なり、日本は19世紀半ばに西洋の脅威に目覚めた際、統治機構を中央集権化し、財政行使能力を高める投資に成功した。日本において国家は、鉄道網の急速な拡大に重要な役割を果たした。ジョン・P・タン(Tang, 2014)の研究は、このインフラ投資が企業資本や経済全体の効率性に因果的な影響を与えたことを示唆している。トゥアン・フィー・スンと森口千晶(Sng and Moriguchi, 2014)、マーク・コヤマら(Koyama et al., 2015)は、日本の地理が比較的コンパクトだったことで、エリートによる近代化政策の調整(コーディネーション)が可能となり、行使能力への投資が成功したと論じている。こうして、日本は西洋の成功した政策を模倣・適応する能力を持った近代国家を迅速に建設することができた。これにより、西欧の帝国主義的侵略の潜在的な脅威からの防衛と、20世紀に急速なキャッチアップ型経済成長を遂げることを可能にした政策の実施が可能になったのである。対照的に、清では、帝国のあまり巨大さゆえに、国家があらゆる地域社会に介入し、地域の秩序を維持し改革政策を実行することが困難となっていた(Kuhn, 2002)。

国家行使能力という概念が提供する分析レンズは、近代東アジアの経済発展のパターンを理解する上でも有用である。東アジアにおける植民地支配の影響についての長年の議論(Kohli, 1994; Haggard et al., 1997)を踏まえた上で、最近の研究では、過去に行われた国家行使能力への投資が現在の〔経済〕状況に与えた影響をより精緻に捉えるために、厳密な計量経済学的手法が用いられている。ダニエル・C・マティングリー(Mattingly, 2015)は、日本の植民地支配が満州の国家建設に及ぼした影響を研究している。日本は満州において、国家行使能力への投資を行った一方で、「収奪的制度」(extractive institution) [23]訳注:ダロン・アセモグルらの用語で、特定の集団が社会から富を収奪するような制度を指し、「包括的制度」(inclusive institution)と対比される。 による統治を行った。〔日本の植民地支配によって〕満州と、近接する内モンゴルの間に国境が引かれ、以前は統一されており同質的だった地域が2つに分割された。マティングリーは、この分割を元に、満州と近接する内モンゴル地域を比較する回帰不連続デザインの自然実験を行った。この自然実験によって、日本の満州統治は、国家行使能力の向上と、経済発展の向上の両者に関連しており、満州地域の優位性は現代まで続いていることが発見された。メリッサ・デルら(Dell et al., 2015)も、回帰不連続デザインを用いて、ベトナムにおける国家建設の影響を調査している。結果、1698年の時点で中国式の官僚国家によって統治されていたベトナム北部の村落は、カンボジア帝国の秩序立っていない世襲的な統治の下に置かれていた地域よりも、今日において国家行使能力や納税の遵守度が高く、より繁栄していることが分かった。

イー・ルーら(Lu et al., 2016)は、より最近の中国の経済史における国家行使能力の重要性を研究している。この研究では、四川省に焦点を当て、長征時の中央紅軍の進路についてのデータを収集することで、国家行使能力を計測している。この研究によると、紅軍の進路になった県〔中国での「県」は省の一つ下の地域単位で、日本の「群」に近い〕では、共産党員の数が多くなっている。紅軍の通ったルートを、地理的要因を統制し、条件付きで外生的なものと見なすなら、長征による共産党員の増加は、当該地域における国家行使能力への影響を通じてのみ、その地域の将来の発展に影響を与えたはずだと想定できる。ルーらは、共産党員の数を国家行使能力の指標として、この指標が、1978年の市場改革の導入後の1人当たりの穀物生産量の伸び、教育達成、地域インフラなどのいくつかの経済発展の指標と正の相関を持つことを発見した。1978年以前では、党員数は穀物生産に負の影響を与えている。ルーらはこの結果について、1978年以降の改革期のように、国家行使能力が市場を補完する場合には、行使能力は発展にプラスの影響を与えるが、国家が市場を直接置き換えようとしている場合には、行使能力は発展にプラスの影響を与えないという議論と整合的であると解釈している。

今日のアフリカ経済を悩ませている経済問題の多くは、国家が脆弱で収奪的であることに起因していると思われる(例えばBates, 2008)。アフリカでの国家建設の歴史を調査した最近の研究の多くは、現代アフリカでの国家の脆弱性が、奴隷貿易とその後の植民地体制における実践に起因するとしている。ネイサン・ナン(Nunn, 2008)や、ナンとレナード・ワンチェコン(Nunn and Wantchekon, 2011)は、奴隷貿易がアフリカの制度に負の因果的影響を与え、不信の文化をもたらし、植民地以前の時代における国家形成にダメージを与えたことを示した。また、植民地体制は、搾取的な課税システムを採用した一方で、行政機構や公共財をほとんど提供していなかった(Herbst, 2000; Frankema, 2010, 2011を参照)。例えば、エウート・フランケマ(Frankema, 2011)は、イギリス領アフリカの財政制度の特徴を、歳入の最大化ではなく、労力の最小化であるとしている。植民地政府がアフリカで得た歳入額は概して少なく、財政官僚機構を構築しようとする取り組みは極めて限定的だった(Frankema and van Waijenburg, 2014)。エリーズ・ヒュエリー(Huillery, 2014)は、フランス領西アフリカでの国家行使能力への投資において同様の失敗が見られることを詳細に論じ、植民地国家が小規模だったことでアフリカの住民が不利益を被ったことを示している [24] … Continue reading 。しかしこれは、植民地国家において財政負担が軽かったことを意味しない。例えば、マーラス・ヴァン・ワイエンブルク(van Waijenburg, 2015)は、植民地時代のフランス領アフリカで強制労働が広く利用されていたことに注意を促している。

他の要因も、アフリカ諸国の弱さや脆さの説明に貢献している。ニコラ・ジェンネイオーリとイリア・ライナー(Gennaioli and Rainer, 2007)や、ステリオス・ミカロプーロス とエリアス・パパイオアヌー(Michalopoulos and Papaioannou, 2017)は、植民地以前の時代における民族レベルの制度が、現代の国家行使能力の水準を決定する上で重要だったことを強調している。ロバート・ベイツ(Bates, 1983)は、植民地時代以前のアフリカでは、貿易の保護・促進のために、生態的区分(ecological divide)に沿って中央集権国家が出現する可能性が高かったと主張しているが、ジェイムズ・フェンスケ(Fenske, 2014)はこの主張を支持する計量経済学的な証拠を提示している。しかし、アフリカとヨーロッパで最も顕著な違いとなっているのは、国家建設のプロセスで戦争が果たした役割である。

近世ヨーロッパ諸国の国家行使能力の向上において、戦争が果たした役割の重要性は様々な研究によって立証されている(例えば、Tilly, 1990; Besley and Persson, 2011, 2013; Dincecco and Prado, 2012; Gennaioli and Voth, 2015; Hoffman, 2015a)。しかし、サハラ以南のアフリカにおいて、戦争は合意に基づいた(concensual)国家や強力な国家の確立には繋がらず、むしろ国家の弱さと結びついていたことが最近の研究で示されている(Dincecco et al., 2015)。新しいデータベースが利用可能となり、フィールド実験などの革新的手法(セクション4.2で挙げられている研究を参照)が開発されるにつれて、サハラ以南のアフリカの大部分の地域で国家が脆弱であり続けていることの原因に焦点を当てた研究が増えていくと期待される。

対照的に、アメリカは19世紀の後半になって、南北戦争をきっかけに国家行使能力を大幅に向上させている。経済学者は伝統的に、19世紀後半にアメリカ経済が驚異的な成長を遂げたため、それに対応する形で国家が台頭したのだと考えてきた(例えば、Glaeser and Shleifer, 2003)。しかし、最近の研究では、19世紀後半に経済成長を加速させたイノベーションの前提条件を構築する上で、国家行使能力がプラスの役割を果たしたことが指摘されている。アセモグルら(Acemoglu et al., 2016)は、国家の「インフラ力」(infrastructural power)の代理変数として郵便局の数を用いている。アセモグルらによれば、全国的な郵便制度の整備が、19世紀後半のアメリカにおいて、イノベーションに必要な制度的条件を提供した。予備的な実証分析では、特許と郵便局の数の間の正の相関が示されている [25] … Continue reading

3 国家行使能力と近代の経済成長

以上の議論によって、国家行使能力の向上と、近代の経済成長の発生を結びつけるメカニズムについてレビューする準備が整った。一見したところ、プレ産業期における国家行使能力と経済成長の関係は全く明らかでない。通常、高い税金と大きな〔公的〕債務は、経済成長をもたらさない。さらに、近代の発展に関する研究では、国家行使能力のもたらす便益として、教育、医療といった公共サービス、道路や電気といった基本的インフラの実効的な供給が挙げられがちである [26]原注:官僚制のパフォーマンスとインフラ支出の決定要因を扱った近年の研究として、イムラン・ラスルとダニエル・ロジャー(Rasul and Rogger, … Continue reading 。しかし、近世ヨーロッパの国家は概して、1800年頃まで教育やインフラに対する大規模な投資を行ってこなかった。ヨーロッパ諸国は、1500年以後、財政能力の向上によってもたらされた歳入をほぼ全て、公共財ではなく戦争に費やしていたのである [27] … Continue reading

3.1 外敵からの保護

国家の最も重要な機能は、おそらくは国防の提供である。これは、他の国家からの攻撃に対する防衛であることがほとんどだ。前近代の政体は、多くの時期において戦争の渦中にあった。近世では、特にロシアやフランスのような好戦的な国家は、平和な時期よりも戦争の時期の方が長かった(Voigtländer and Voth, 2013)。戦争は経済的コストが高く、例えば百年戦争での騎行〔chevauchée。敵地に対する襲撃、略奪、破壊〕のように農地を荒廃させ、包囲に抵抗した町や都市の破壊を伴うことがほとんどだった [28]原注:中世の戦争がいかに破壊的なものだったかは、ジョナサン・サンプション(Sumption,  1990)が刺激的かつ力強い筆致で記述している。 。1700年以後の近世国家が、領土的境界を確立し、戦争による破壊をある程度抑えられたことは、スミス的経済成長を可能にする上で重要な役割を果たした可能性が高いと思われる。

これは、近世以外の時代に関する最近の研究によっても裏付けられている。ジョサイア・オーバー(Ober, 2015)などの古典時代の研究者は、古代ギリシャにおいて持続的な経済成長が実現していた時期があったと主張している。同様に中世ヨーロッパでも、特に北イタリアの都市国家では急激な経済成長が見られた(Fouquet and Broadberry, 2015を参照)。しかし、こうした繁栄した都市国家は、マケドニアやローマ、スペインやフランスの勢力を打ち負かすほどの規模や力を持ち得なかったため、「成長の徒花」(gowth efflorescences)は外部からの侵略によって終わりを告げた [29] … Continue reading 。経済的に成功した社会は侵略者の餌食になりやすかったため、十分な国家行使能力を持たない状態での経済成長は、何らかの助けがなければ持続可能(self-sustaining)ではなかった。この問題は、ゲイリー・コックスら(Cox et al., 2015)が論じる「暴力の罠」(violence trap)に似ている。西ヨーロッパの国家は、行使能力の向上によって、18~19世紀に暴力の罠を逃れることに成功した。

ネーデルラント連邦共和国は近世において最も経済的に繁栄した社会であり、経済史研究者はここに近代の経済成長の起源を見出してきた(de Vries and van der Woude, 1997; van Zanden and van Leeuwen, 2012を参照)。ネーデルラントの経済は17世紀終盤以降に減速したが、これはルイ14世統治下のフランスを相手とする一連の戦争でのしかかった負担によるところが大きい。対照的に、18世紀のイングランドがネーデルラントと同じ羽目に陥ることなく、フランスと第二次百年戦争を戦いながらも同時に産業革命を経験できたのは、間違いなく国家行使能力の向上が重要な消極的役割を果たしたためだった。では、国家は消極的役割を超えて、近代の経済成長の前提条件の創出を促す積極的役割を果たしていたと言えるのだろうか?

3.2 国家と市場の補完性

行使能力の向上と経済成長を結び付けるもう1つのメカニズムは、市場のパフォーマンスと国家行使能力の間にある補完性である。よく機能している市場は、効率的な経済的分配の実現にとって必要なだけでなく、長期の持続的な経済成長にとって不可欠な条件を提供する。しかし、市場は制度が存在しなければ機能しない。市場は、はっきりと定められた財産権、およびその執行を必要としており、請求や紛争を裁定するガバナンス制度に依存している。

ガバナンス制度は、必ずしも国家(限定された領域内で暴力の正当な利用の独占を主張する組織)によって提供される必要はない。歴史的に見ても、国家による執行がなされない状況で、市場アクターが私的な秩序の編成を通じて自らガバナンスメカニズムを発展させていった事例は数多く存在する(Greif, 1989, 2006; Clay, 1997; Clay and Wright, 2005; Leeson, 2014; Stringham, 2015)。中世では、特定の政治権威による取引の執行に依存することなく、かなりの量の貿易が行われていた。〔これらのことを考えれば〕確かに、国家がなくても匿名的な貿易は行えるし、ふるまいのルールや法の支配も生まれてくる。しかし、歴史史料を見ると、産業革命に先立つ重要な数世紀において、商業と貿易は次第に公的秩序の司る制度の支配下に入っていったことが示されている [30]原注:サーヴェイとしては、シェイラ・オギルビーとA・W・カルス(Ogilvie and Carus, … Continue reading 。それゆえ、西ヨーロッパにおける近代の経済成長の始まりを説明する上で、この時期に公的秩序の司る制度が果たした役割の増大を無視してはならない。

強力な国家の台頭は、市場統合を進展させた。経済史家は長らく、中世・近世ヨーロッパの市場が断片化していたことを指摘してきた(Heckscher, 1955; Epstein, 2000)。輸送コストは(特に陸路で)高く、穀物のようなかさばる財を運送すれば、価格は250マイルごとに倍になったので、経済的見返りはほとんどなかった(Masschaele, 1993[31]訳注:恐らく、輸送コストを価格に転嫁することで価格が上昇し、売上が減るために、経済的見返りはほとんどなくなる、という議論と思われる。 。しかし、こうした障壁は技術的問題であるだけでなく、制度的問題でもあった。国内での貿易障壁と通行料の存在は、取引コストを確実に増大させ、ヨーロッパの全ての国で貿易が阻害された(Dincecco, 2010)。

様々な研究で、近世ヨーロッパにおける市場統合の度合いを定量化しようとたくさんの試みがなされてきた(Shiue and Keller, 2007; Bateman, 2011; Chilosi et al., 2013; Bernhofen et al., 2016)。こうした研究は一般に、市場が完全に統合されたのは19世紀に入ってからだと示している。しかし、近世においても、道路や運河のネットワークの改善、17世紀以降の戦争と結びついた暴力の減少といった数々の要因によって、市場統合を進展させる動きが存在した。その中でも最も重要な要因は、地方エリートによるレント獲得の企みを抑圧する上で、フランスやプロイセンといった強力な国家が果たした役割だった。ライン川の通行料徴収とドイツ関税同盟は、このことを示す代表的な2つの事例である。

ライン川流域での貿易において、通行料徴収が貿易を制限する際に果たした役割は、エリ・ヘクシャー(Heckscher, 1955)によって研究されている。ライン川は北海と西ドイツを繋ぐ重要な貿易経路だったため、中世の商業革命期には貿易が非常に盛んになった(Lopez, 1971を参照)。貿易量の増大に伴い、ライン川に接する都市や公国の多くが通行料をとるようになった。当時のドイツの地方支配者や諸侯は、支配下の住民に税を課す能力を欠いていたため、通行税が重要な徴税手段となっていた(Middleton, 2005)。農業生産の生産量は少なく、地方の地主の権力が強かったため、課税は困難であり、都市も領域の支配者からの独立を主張するのに十分な力を保持していた。対照的に、河川の運輸は課税が比較的容易だった。「運び手は貨物の量や価値をうまく隠せない。支払える金がなければ、徴収者は現物で支払わせた」(Clapp, 1907, p. 6)。

中世においても、神聖ローマ帝国皇帝と、ライン川に接する土地を所有していた選帝侯は、通行料を徴収する権利を規制・制限しようとした。しかし、皇帝の力が弱まるにつれ、通行料やその他の料金徴収は増加の一途を辿った(Spaulding, 2011, p. 204)。三十年戦争(1618–1648)の終結後、状況は最悪なものとなった。皇帝権力の衰退によって「ライン川流域の公国の諸侯や権力者の多くは、望むままに水運から富を吸い上げ、自らの蓄えを好きに増やすことができるようになった」(Clapp, 1907, p. 5)。

通行料は高く、気まぐれに変化した。率は公開されておらず、貨物のタイプや「役人の判断と腐敗の度合い」によって変化した(Clapp, 1907, p. 7)。ワインのような奢侈材に課された税率は、安くて腐りやすい財に課された税率より遥かに高かった [32]原注:マインツからケルンへの115マイルの旅路を移動したワインの樽は、32単位のターラー(imperial … Continue reading 。ロバート・スポールディングは、「ほとんどの支配者は通行料の水準を積極的に秘密にしようとした」が、いずれにせよ「実際に支払われた通行料は、船主と通行料徴収者のその場の交渉で決まった」と指摘している(Spaulding, 2011, p. 210)。結果、各通行料徴収者は価格差別を行う裁量を持っていたため、商人はどれくらいの料金を支払わなければならないのかを事前に予測できなくなり、計画を立てるのが非常に難しかった。「河口のロッテルダムから貨物を運ぼうにも、新しい通行料徴収所ができているのか、既存の徴収所ではいくらとられるのか、といったことは分からなかった」(Clapp, 1907, p. 7)。

中世後期には、ライン川流域全体で、料金所は約62箇所あったとされる。16世紀の商人は、バーゼルからケルンまで行くのに31箇所の料金所を通過し、平均で9マイルごとに1回通行料を支払っていた(Heckscher, 1955, p. 57)。1690年代には、ライン川流域で6マイルごとに1つの料金所があったと言われている。料金所の総数は不明である。エドウィン・クラップは、1790年の時点で、ストラスブールからオランダ国境に面したエメリッヒの間だけで、31の料金所があったと報告している。マインツとオランダ国境の間で通行料を徴収する権限を持っていたのは、ハノーファー、マインツ、プファルツ、トリーアの選帝侯、プロイセン国王、ヘッセン=ラインフェルス公、ケルン大聖堂の聖堂参事会だった(Spaulding, 2011, p. 213)。マインツの大司教は、「平均して15km(9マイル)ごとに1つ、計7箇所の料金所を設置して、他のどの支配者よりも多額の金銭を奪っていた」ことで悪名高い(Heckscher, 1955, p. 57)。

こうした〔水路の〕通行料徴収の蔓延がもたらした問題の1つは、貿易商が〔水路〕よりコストのかかる内陸ルートを使うようになったことである。例えば、財を陸路で送った後、ヴェーザー川に沿ってブレーメンまで送る方が、〔本来ならよりコストの低い〕北の直行ルートを使うより安上がりだった(Clapp, 1907, p. 10)。これは二重限界化(double marginalization)問題の典型例である。それぞれの通行料徴収所は、自らの通行料徴収が河川全体の貿易に与える影響を考慮に入れていなかった。そのため、私的な観点からも社会的な観点からも、通行料の率の高騰と、貿易量の過小化がもたらされた。

ライン川流域の財政的に非効率な旧来的体制は、1789年のフランス革命に引き続く出来事によって打ち砕かれた。1794年、フランス軍がラインラントに侵攻し、その後20年に渡ってその土地を占領したのだ。この侵攻は「過去との決定的な断絶であり、何百年も続いた伝統的な制度、古い考え方、行動様式を一掃した」(Diefendorf, 1980, p. 23)。これは、フランスによるドイツ侵攻がアンシャンレジームの収奪的制度を大規模に変革し、持続的な経済成長に必要な条件を創出した、というダロン・アセモグルら(Acemoglu et al., 2011)の議論と整合的である。またこの議論は、ニコラ・ジェンナイオーリとハンス・ヨハヒム・フォート(Gennaioli and Voth, 2015)のフォーマル・モデルとも合致する。このフォーマル・モデルは、地方の権力層によるレントシーキング的制度編成を克服し、財政システムを中央集権化することが、戦争の圧力により一部のヨーロッパ国家(全部ではない)にとってインセンティブ整合的なものになったメカニズムを示している。フランスは、農奴制の廃止、ギルドによる規制の撤廃、ユダヤ人の解放に加え、通行料徴収所のほとんどを廃止し、河川沿いの貿易規制を標準化した(Spaulding, 2011)。これは、税徴収のための近代的な財政官僚制の創出を伴っていた。スポールディングは、「貿易量はライン川全域で劇的に増大した」と述べている。ケルンを経由する貿易量は、1789年にはわずか150万ハンドレッドウェイト(50kg)だったが、1807年には523万9972ハンドレッドウェイトまで増え、これは実に346%の増加だった。マインツでは400%の増加だったとスポールディングは述べている(Spaulding, 2011, p. 217)。この成功は、ナポレオンが敗北した後に制度を継承したプロイセンの行政によっても引き継がれ、19世紀にドイツ経済が拡大するにつれて、ライン川は商業の動脈としてますます重要になっていった。

19世紀のドイツの各州の間の関税障壁の廃止においても、同様の展開が生じた。神聖ローマ帝国は細分化されていたため、近世においては貿易障壁が蔓延した。ドイツ関税同盟の背景にあった思想は、こうした関税障壁を取り除き地域市場を統合するというものだった。ドイツ関税同盟は、この地域の覇権を握っていたプロイセンによって主導され、1818年のプロイセン領域内における関税撤廃を基盤としていた(Huning and Wolf, 2016)。この観点から見れば、ドイツ関税同盟とは、プロイセンが自らの指導の下でドイツを経済的に統一しようとした試みの表れに他ならなかった [33]原注:プロイセンは、中部ドイツ通商同盟(Mitteldeutsche Hanndelsverein)のような競合する関税同盟を分裂させようと躍起になっていた(Ploeckl, 2013, p. … Continue reading 。ヴォルフガング・ケラーとキャロル・シュエ(Keller and Shiue, 2014)は小麦価格のデータを用いて、ドイツ関税同盟の形成によって価格格差が30%も縮まったことを明らかにした。これに加えて、鉄道の導入やその他の制度変革は、市場統合を更に促進した [34]原注:これは、バーデンにおける市場アクセスや投資に対するドイツ関税同盟の影響をミクロレベルで分析したプロークル(Ploeckl, … Continue reading 。以上の2つのケーススタディはともに、近世において国家の力がいかにして市場統合の障壁を打ち負かし、スミス的経済成長への道を準備することができたのかを示す重要な事例となっている。

3.3 実効的な官僚制

マックス・ウェーバー(Weber, 1922, 1968)以来、研究者たちは、実効的で公正な官僚制こそが、1800年以降にヨーロッパで勃興した近代国家をそれ以外の国家と区別する重要な特徴であると主張してきた。しかし、近代的な官僚制の確立と持続的な経済成長の関連性は、必ずしも自明でない。持続的な経済成長は18世紀のイングランド、19世紀の北米で始まったが、どちら国家でも経済成長は近代的な官僚制の発展に先行している。中華帝国は宋朝以降、専門的で能力主義に基づいた官僚制を有していた(Chen et al., 2016)。さらに、共産主義や他の社会主義経済において、計画経済が失敗したことは記憶に新しい [35]原注:フォン・ミーゼス(von Mises, 1922)とハイエク(Hayek, … Continue reading 。官僚制は、広範な情報問題とインセンティブ問題に悩まされる(Tullock, 1965)。同様に、例えばアジアの虎の成長 [36]訳注:アジア四小龍とも。1960年代以降の、韓国、台湾、香港、シンガポールの急激な経済成長を指す において、国家計画や産業政策が決定的な役割を果たしたという主張は、過大評価であることが示されてきた(例えば、Haggard, 2004)。

では、機能的な官僚制と経済成長の間にはどのような関係があるのだろうか? 強調に値する論点はいくつかある。第1に、国家の提供するサービスは実効性を伴う形で供給されなければならない [37]原注:「実効的な供給」(effective … Continue reading 。これは、国家がどれくらいの範囲のサービス提供を求められているのかにかかわらず言えることである。官僚制の質は、たとえ国家活動の範囲が強く制約されていたとしても重要である。第2に、実効的な行政機構を有する国家は、既得権を克服し、政治的・経済的敗者によるレントシーキングに対抗することができる。アセモグルとジェイムズ・ロビンソン(Acemoglu and Robinson, 2000)や、メティン・コスゲルら(Coşgel et al., 2012)の研究は、改革やイノベーションによって経済的敗者になり得る人々の行う妨害工作が、経済成長を妨げる上で大きな役割を果たしてきたことを示してきた。第3の論点は、大きな死荷重を生じさせずに税を徴収する能力に関係している。高い財政行使能力を持つ国家は、相対価格に大きな歪みを生じさせずに歳入を得ることができる(Lindert, 2004)。前近代の政治体制の多くは賦役労働と徴兵に依存していたが、そこから通常の租税へと移行したことも、同様に効率性を増進させた。こうした税徴収が機能するには、官僚制が公正で、それほど腐敗していないことが必要となる [38] … Continue reading

ヨーロッパでは、公的な官僚制は徐々に発展し、19世紀の後半に入ってからようやく頂点を迎えた。しかしそのルーツは深い。ドイツ領では、古い官房学の伝統の発展によって公的な官僚制が出現した(Backhaus and Wagner, 1987)。これは、中世ドイツにおける大学の拡大を基盤にしてる。ダヴィデ・カントーニとノーム・ユフトマン(Cantoni and Yuchtman, 2014)は、14世紀の教会大分裂がどのようにドイツ全土での大学形成のきっかけを作ったのかを詳細に論じている。2人は、こうした大学の卒業生の相当数が、行政機関で働く法学者になったことを示している。さらにジェレミア・ディットマーとラルフ・マイセンツァール(Dittmar and Meisenzahl, 2016)によれば、宗教改革期に義務教育法を採択したドイツの都市は、多くの著名人(その多くは公務員や官僚)を輩出し、1600年から1800年にかけて他の地域より急速に経済成長した [39] … Continue reading 。トマス・エルトマン(Ertman, 2005, p. 170)は、「支配者は、この有能な人材の大きなプールの中から、新しい官僚集団を引き抜いた」と述べている。18世紀までの時期に、スカンジナビアやドイツの各地で、専門性を高めた行政国家が生じた(Ertman, 2005, pp. 169–172を参照)。

こうした北欧や中央ヨーロッパでの行政国家・官僚国家の誕生は、必ずしも近世期に急速な経済成長をもたらしたわけではない(神聖ローマ帝国はこの時期、経済的に停滞し続けていた)が、それが残した遺産は近代において重要であり続けたことが明らかになっている。そしてそれは、今日においても重要な、よき統治(good governance)の文化と伝統に貢献している。サッシャ・ベッカーら(Becker et al., 2016)は、ハプスブルグ帝国のヨーゼフ2世によって実行された官僚制改革が現代に残した遺産を研究している。ベッカーらは回帰不連続デザインという研究手法を用い、近代の東ヨーロッパ諸国を調査することで、ハプスブルグ帝国によって支配された地域が、現代において腐敗が少なく、信頼の水準の高い地域と相関していることを発見した。

3.4 一般的ルールと法の支配

ここまで述べてきたように、国家行使能力の高まりが経済成長を促すとは限らない。高い行使能力を持つ国家は、破壊的な経済政策を追求するかもしれない。重要なのはむしろ、国家による権力行使が法によって制約されている場合に、国家行使能力が経済成長に寄与し得るということである。この理由の1つは、高い行使能力を持つ国家が「一般的ルール」(general rule)を執行する能力を持っているためである。この能力は、社会科学者が「法の支配」という言葉で指すものと密接に結びついている。

「法の支配」という概念自体は非常に古くから存在するが、この言葉を生み出したのはアルバート・ヴェン・ダイシー(Dicey, 1908)である。法の支配は、ダグラス・ノースの研究(North, 1990)や、共産圏の資本主義移行についての議論によって、経済学や政治学の議論の最前線に登場し、その後アセモグル、ロビンソン、サイモン・ジョンソン(Acemoglu et al., 2001, 2005bを参照)の研究において再び脚光を浴びた。アセモグルとロビンソン(Acemoglu and Robinson, 2012)は、法の支配を「包括的制度」(inclusive institution)、あるいは政府権力への制約としばしば関連づけている。これは、(一般的で安定的なルールの重要性を強調する傾向がある)法学領域での法の支配の研究と整合的だ [40] … Continue reading 。ハイエク(Hayek, 1960)は、一般的ルールは予測可能なので、個人はそのルールを念頭に置いて自身の人生を計画することができるようになり、結果、個人の自由が最大化され、支配者の恣意的な権力行使は制約される、と論じている。ノースら(North et al., 2009)は、個人や組織が平等に市場に参入でき、権力者との個人的繋がりの有無に関係なく競争することができるアクセス開放型秩序の台頭という文脈で、法の支配の重要性を論じている。ここではこうした研究者に倣い、社会があらゆる市民に平等に適用される一般的ルールによって統治されている度合いを、法の支配の最小限の定義として採用しよう。

行使能力の低い国家は、一般的ルールを実施、執行できない。高い行使能力を持つ国家は、必ずしも一般的ルールを執行するわけではないが、支配者は行使能力への投資を行うほど、一般的ルールを採用する強いインセンティブに直面しがちであったことを歴史史料は示唆している。これは概して、制度を一般的ルールに近づけることで、中央集権的な財政的・行政的ルールを多様な人々に適用するコストが低下するためだ。この例として、1539年、フランソワ1世(在位期間1515-1547)統治下のフランスで発されたヴィレール=コトレの勅令や、ルイ14世(在位期間1642-1715)の宰相が発したルイ法典(Code Louis)などがある。こうした勅令は、フランスの君主制の力を強めるために発されたが、国内全体で法制度を標準化するという副次的効果を持っていた(Hamscher, 2012[41]原注:ジョンソン(Johnson, 2013)、およびジョンソンとコヤマ(Johnson and Koyama,  2014b)の議論を参照。

3.5 ネーション建設

近世国家は、マンサー・オルソンの印象深いフレーズを用いれば、「定住盗賊」(stationary bandits)に似ている(McGuire and Olson, 1996)。近世国家は税を課し、戦争を行った。そして、国民の支持ではなく、国民の黙認に依存していた。1850年以降の最も成功した近代国家における重要な達成は、課税が徐々に国民の準自発的な遵守に依存するようになっていったことだ。この達成は、国民の大多数が近代国家を正当なものと認知したことによって実現した。国家の正当性は、国民一人一人の信念に依存する。ケネス・シーヴとデイヴィッド・スタサヴェージ(Scheve and Stasavage, 2012)は、戦争への動員が相続税の確立において決定的な役割を果たしたと論じている。戦争は、歳入の必要性を高めるとともに、庶民が兵役で国家に貢献するなら、富裕層は財政的に貢献しなければならない、という感覚をも生み出したからだ。〔国家の〕正当性は、イデオロギーを必要とする。一方で、国民は共有されたイデオロギーの下で互いにコーディネート〔協調〕できなければならない。そのために、国家には目標や目的を公的に表明することが求められる。あるいは、ナショナリズムや宗教といった、〔国家を〕正当化する既存の価値の乗っ取りも必要になるかもしれない。特にナショナリズムは、近代国家の統合において効果的なイデオロギーであった(Gellner, 1983; Anderson, 1991; Hobsbawm, 1991)。

開発経済学者は、選好の異質性(これは、共有されたナショナル・アイデンティティ〔国民意識〕の欠如と同義である場合が多い)が、低調な公共財供給、内戦リスクの高さ、所得の低さと多くの場合結びついてることを指摘してきた(Easterly and Levine, 1997; Alesina et al., 1999, 2003; Arbatli et al., 2015)。対照的に、選好の同質性は公共財供給のコストを下げ、個人の集合的意思決定に基づくコーディネートを容易にする(Buchanan and Tullock, 1962, pp. 113– 116)。こうした議論は、経済史研究者にとって非常に重要なものとなっている [42]原注:ウー・ハオとメラニー・メン・シュエ(Hao and Xue, … Continue reading

このことは、実効的国家の出現が、ある程度の文化・言語・民族の同質性によって初めて可能となることを示唆している。国家建設(state building)は必然的に、ネーション建設(nation building)〔国民国家の建設〕を伴っていたのだ。イギリスやフランスのような最も成功した近代国家は国民国家(ネーション・ステート)として発展していったが、ハプスブルク帝国、オスマン帝国、帝政ロシアといった大規模な多民族国家は成功せず、最終的には崩壊したことを歴史は示している。しかし、文化的、言語的、そしてある程度の民族的同質性はそれ自体、国家の政策によって操作し得る変数でもある [43] … Continue reading 。近年、このことを念頭に置きつつ、国家の行使能力とナショナル・アイデンティティの関係を調査した研究が増えている。

アルバート・アレシナとブライアニ・ライヒ(Alesina and Reich, 2015)は、支配者や支配エリートが人々の選好を同質化するために投資を行う条件を示すモデルを構築している。アレシナとライヒは、民主化の脅威によって、支配者は国民に同質的な選好を植え付けるよう動機づけられたと論じている。このモデルでは、支配者がナショナルな選好を国民に植え付けようとせず、(ヨーロッパの支配者が植民地政策において揃って採用していたような)「分割統治」を好む場合など、いくつかの可能性が許容されている。

義務教育などのネーション建設政策は、国家行使能力がある程度の水準になければ行えない。それゆえ、行使能力を欠く国家では、ネーション建設の試みは限定的なものになるか、行われない可能性が高い。行使能力の低い国家の支配者は、行使能力の高い国家の支配者よりも、分割統治の原理に基づく方法に頼りがちだったと思われる。

3.6 アンシャンレジーム期フランスの財政行使能力とナショナル・アイデンティティ

国家の行使能力への投資とネーション建設の関係は、1800年以降の時期に限られた話ではない。ノエル・ジョンソンの論文(Johnson, 2015)は、アンシャンレジーム期以降の財政行使能力への投資と、ナショナルな政治への支持の拡大が、どのような因果関係を持っていたかについての具体例を提示している。アレクシ・ド・トクヴィルは『旧体制と大革命』で、革命期の民主的・立憲的な改革の多くは、前世紀にブルボン王朝の君主がとっていた、封建体制の制度を弱体化させる種々の政策によって可能になったと論じている。君主制によって国家は、17世紀から18世紀にかけて、財政行使能力と法的行使能力を向上させることができたのである(Root, 1987; Kwass, 2000; Johnson and Koyama, 2014b)。ジョンソン(Johnson, 2015)は、君主制による国家行使能力の拡大の意図せざる帰結の1つとして、新しく導入された諸制度が既存の封建制度に置き換わり、それを時代遅れのものにしたことを挙げている。これにより、貴族と庶民の関心が、地域的な利害から国家制度の改革へと移ることになった。

ジョンソン(Johnson, 2015)は、ルイ14世の財務総監ジャン=バティスト・コルベールによる1664年の改革が、18世紀末のフランス国内で行使能力の地域差となって現れたことを利用して研究を行っている。コルベールは、君主の統治していた地域の約半数を包摂する関税同盟を創設した [44] … Continue reading 。コルベールは重商主義者であり、「五大徴税請負制の領域」(Cinq Grosses Fermes。以下、CGF)として知られる関税地域を創設した。これは、国内取引の促進と、国外取引への課税を第一の目的としていた。CGF内の封建的租税や規制を抑圧するために、王権の権威が最大限利用された。王権税(royal tax)は、関税同盟の境界を跨いで取引される財にも、境界内で取引される財にも課された(例えば、Heckscher, 1955, pp. 103–106; Bosher, 1964を参照)。ジョンソン(Johson, 2015)は、1784年時点でCGF域内で徴収された1人あたりの税は、域外よりも平均で40%高かったと推計している。

ジョンソン (Johson, 2015)は、陳情書(カイエ・ド・ドレアンス)のデータを用いてトクヴィルの仮説を検証している。陳情書は、ルイ16世が1788年、フランス革命に至る騒動の前夜に、フランス中の町に提出を求めた書類である。各身分(聖職者、貴族、その他全員)は、きたる全国三部会で論じてほしい「不満」を〔陳情書に〕書き記した。ベアトリス・ヒスロップ(Hyslop, 1934)は、フランスの200の地域からなる統一陳情書(General Cahiers)を調査し、そこで言及されている地方や、国の様々な制度を網羅するコードを構築した。例えば、ヒスロップは、どの地域の陳情書が、度量衡の統一を求めたのか、あらゆる身分に対する法の平等な適用を要求したのか、封建的義務の廃止を望んだのか、農奴制の廃止を望んだのか、均一的な法律を求めたのか、を記録している。ジョンソン (Johson, 2015)は、各地域の不満に国家的(ナショナル)な利害関心と地域的利害関心がどれだけ含まれているかを反映する指標を調べた。この指標は1から3まであり、1は地域的利害関心を、3は国家的な事柄(例えば、度量衡の統一)への強い利害関心を示している。

図2は、トクヴィルの主張——人は中央主権的な制度の支配下に置かれると、地域的利害からナショナルな事柄へ関心が移るという効果がある―—を裏付けるエビデンスとなっている。この図は、陳情書における国家への帰属表明と、当該地域の置かれた制度的条件(すなわち、君主による強力な制度の下にあったCGFに属しているか、属していないか)の関係性を示したものだ。各ドットは、身分ごとに陳情書がコード化されている都市を示している。実線はCGFの境界を示している。各ピクセルの濃淡は、国家制度への支持を示す指標を、逆距離加重法で算出した値に基づいて色付けされている。色が濃いほど国家制度への支持が強いことを示す。図2から明らかなように、CGFの境界の内と外で、国家制度への支持度合いに歴然とした不連続性がある。ジョンソン(Johnson, 2015)は、回帰不連続デザインの枠組みを用いて、この不連続性は経済的に大きな意味を持ち、様々な地理的、政治的、文化的変数で統制してもロバストに差が出てくることを示している。CGF領域内の都市は、1789年の時点で地方制度よりも国家制度に帰属を表明しており、1817-21年時点では他の地域より豊かでもあった。さらに、この所得差をもたらした原因は、公的な財政制度を利用し、公共財供給に寄与しようとする意思に求めることができる。フランスの場合、絶対君主による財政行使能力の発達は、安定的な経済成長に資するような幅広い包括的な制度に対する一般国民の支持をとりつけるための不可欠なステップだった。

図2:1789年の統一陳情書に基づいたナショナル・アイデンティティの分布。ベアトリス・ヒスロップの研究(Hyslop, 1934)を元に、貴族や第三身分が「王」や「フランス」に強く同一化している地域ほど色を濃くしている。地図中の格子点には、陳情書を送った12の周辺都市の逆距離加重法に基づく値を割り当てている(使用している距離の指数はデフォルトで2となっている)。「五大徴税請負制の領域」(CGF)は赤線で区切り、障壁として扱っている。

以上をまとめると、こうした研究は、ヨーロッパにおいて高い行使能力を持った国家が、様々な経路——戦争などの負のショックに対する経済の強化、国内市場の統合の促進、相対的に公正な官僚制と法の支配の基盤の構築——を通じて経済発展に貢献したことを示すエビデンスを提供している。さらに、国家建設それ自体が自己強化的なプロセスの一環となり、それまでは異質だった集団を、一般的ルールの設定といった共通のゴールに向かって団結するよう促した。しかし、こうしたメカニズムだけでは、国家が最初の時点でどのようにして行使能力を発展させたのかを説明できない。次のセクションでは、国家建設の試みの成功と失敗を決した、深層的な決定因に目を向ける。

4 実効的国家の深層的決定因?

ある社会が実効的国家(基礎的な公共財を、範囲や規模を限定した形で提供できる国家)を建設できるかどうかを決めるのは、どんな要因だろうか? この問題に答えるために、本セクションでは経済成長の経済学と政治経済学の最近の研究成果をレビューし、それが国家行使能力というテーマに取り組む経済史研究者にどんな知見を与え得るかを示す。

4.1 国家の歴史の長さ(state antiquity)

近年の研究成果の多くは、近代における政治・経済的な帰結をもたらした、根底にある深層的決定因(deep determinant)の重要性を強調している。ディエゴ・カミンらの研究(Comin et al., 2010)では、1500年時点における技術発展の水準によって、現代の所得水準を正確に予測できることが示されている。1500年時点で利用可能な技術が揃っていた地域は、何も持っていなかった地域に比べて、1人あたりGDPが5.9倍から13.3倍ほど大きい。エンリコ・スポラオーレとロメイン・ヴァクジアル(Spolaore and Wacziarg, 2013)は、こうした例や、他の長期的な持続性の事例をレビューして、国家が長い歴史を持っていることは、地理や農業移行と並び、近代の発展を説明する上でロバストな要因の1つであることが証明されてきたと指摘している。

経済成長の起源に関する実証研究では、ヴァレリー・ボックステットら(Bockstette et al., 2002)によって開発された国家の歴史の長さの測定方法を、国家行使能力の代理指標にすることが多い。ボックステットら(Bockstette et al., 2002)と後続の研究(Chanda and Putterman, 2007; Putterman and Weil, 2010)は、紀元0年にまで遡り、各近代国家が、50年ごとに区切られた各時期において、部族レベルを超えた規模の政府によってどの程度の範囲を支配されていたか、そしてその国家は一国内的なもの(domestic one)だったのか他国から押しつけられたもの(foreign imposition)だったのかを計算するというシンプルなアイデアを用いている。これは、その国における固有の国家の歴史の長さを測る大雑把な指標となる。ボックステットらは、1500年時点における国家の歴史の長さが、近代の経済成長を最もよく予測できることを突き止めた [45]原注:1500年時点での国家の歴史の長さの代理指標によると、エチオピアは1、中国は0.906、スペインは0.562、アメリカとオーストラリアは0となる。

ルイス・パターマンとデイヴィッド・ウェイル(Putterman and Weil, 2010)は、こうした国家の歴史の長さの測定方法に対して、近代国家を構成する住民の国家史(state history of the populations that comprise modern states)を反映できるように修正を施した。この測定方法は、アメリカやオーストラリアといった、ヨーロッパの植民地主義国による植民がなされた国家の歴史の長さを測定する際には、遥かに優れた手法となっている。そしてこの測定基準は、今日優れたパフォーマンス(これは、行政府の権力行使への制約、土地収用のリスクの低さ、政府の実効性、といった標準的な指標で示される)をあげている政治制度と相関している [46]原注:オアナ・ボルカンら(Borcan et al., … Continue reading [47]原注:ボックステットら(Bockstette et al., … Continue reading

こうした研究は非常に興味深いが、国際比較的な調査に留まっているので、歴史研究がもたらすような国家と経済成長の関係についての豊富な知見がどうしても欠けてしまう。詳細な描像を描くには、よりミクロなレベルの歴史研究が必要であり、国家の歴史と近代における帰結を結びつけるメカニズムやチャンネルにもっと注意を払わなければならない。

4.2 文化

文化は、強調に値する2つ目の要因だ。近年の研究では、文化の重要性が、真剣な科学的研究の対象となる重要な変数として認められてきた。一連の研究からいくつかの知見が引き出せる。第1に、文化的価値観は、ルイジ・ギーソら(Guiso et al., 2006, 2008)、ネイサン・ナンとレオナルド・ワンチェコン(Nunn and Wantchekon,  2011)、ニコ・フォクトレンダーとハンス・ヨハヒム・フォート(Voigtländer and Voth, 2012)、アルバート・アレシナら(Alesina et al., 2013)、ポーリーン・グロージャンとローズ・カッタール(Grosjean and Khattar, 2014)などの研究が示すように、非常に強固に残存し得る。第2に、価値の世代間継承に関する理論的研究でモデル化されているように、文化を残存させる重要なメカニズムは、親が自らの子どもに文化的価値観を植え付けるインセンティブを持っていることだ(Bisin and Verdier, 2001を参照)。第3に、文化的価値観と制度変化の間には補完性があるが、これは制度変革の試みが成功するケースと失敗するケースに分かれる理由を説明する強力な要因になっている可能性がある(Greif, 1994; Tabellini, 2008; Alesina and Giuliano, 2015)。

さらに探求するに値する仮説の1つとして、次のようなものがある。実効的国家の建設には文化的要素があり、自治や政治的独立の歴史は、今日の国家が行使能力を形成する能力を決定する上で重要であり得る、というものだ。この考察に沿った研究はいくつか存在する。グイド・タベッリーニ(Tabellini, 2010)は、包括的な政治制度の伝統が、ヨーロッパにおいて地域レベルで文化を形作ってきた証拠について論じている。ギーソら(Guiso et al.,  2016)は、中世において政治的独立の歴史を持つ北イタリアの都市は、今日の市民資本(civic capital)の水準(人口1人あたりのNPOの数や臓器提供の水準で計測されている)が高いという証拠を提示している。

逆に、このメカニズムは反対方向にも働き得る。専制的で収奪的な制度の遺産は、向社会的な価値観を損なうかもしれない。サラ・ローズら(Lowes et al., 2016)は人類学的なエビデンスと組み合わせる形で、フィールド実験を独創的な仕方で利用し、かつて存在したコンゴのクバ王国は、王国の現代の子孫たちから向社会的規範を明らかにクラウディングアウトさせてしまった(一連のゲーム実験において、かつて国家を持たなかった近隣地域の人々の子孫よりも、盗みを多く働き、貢献が少なかった)と論じている。メラニー・メン・シュエとマーク・コヤマ(Xue and Koyama, 2016)は、清朝中国における迫害の遺産を研究している。この研究は、迫害が地方レベルでの慈善団体の数を減らし、地域的な公共財供給と、政治活動や国家に対する文化的態度に長期的な影響を残したことを明らかにした。文化をより深く、洗練した形で理解できるようになれば、国家の発展において、文化が、どんなときに、どんなところで重要な役割を果たすのかについての理解が深まるだろう。

4.3 市民社会

国家行使能力と、市民社会や社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)に関する研究を結びつける議論がある。ロバート・パットナム(Putnam, 1994)やフランシス・フクヤマ(Fukuyama, 1995)といった社会科学者は、トクヴィル(de Tocqueville, 2000)の洞察を基盤に、リベラルデモクラシーの成功における社会関係資本の重要性を強調してきた。

こうした研究は、社会関係資本の水準と、その社会における政治制度や国家制度の行使能力との関係はいかなるものか、という問題を提起した。ノースら(North et al.,  2009)は、「自然国家」(natural state)から「アクセス開放型秩序」(open-access order)への移行の分析において、アクセス開放型秩序が、国家から独立した組織の出現を可能にする能力を持っていたことを非常に重要視している。これは、独立した組織を抑圧し、市民社会を政治権力にとっての脅威と見なす自然国家とは対照的である。

社会関係資本と国家は、代替性を持つものとしてモデル化されることも多い(例えば、Aghion et al., 2010)。〔しかし〕近年の研究は、実効的国家と社会関係資本の間に重要な補完性があることを指摘している。アセモグルとロビンソン(Acemoglu and Robinson, 2016)は、包括的制度への道のりを説明する際、国家と社会の共進化に焦点を当てている。彼らは、豊かで栄えている市民社会は、国家の発展を成功させるための必要条件であると同時に、重要な補完物でもあると論じている。「国家の行使能力と社会の組織は、相乗効果を生じさせるような仕方で互いに支えあっている」。彼らはこの考察を(セクション2.1で論じた)イギリスの事例に適用して、次のように論じている。「例えばテューダー朝の国家建設は、市民社会が国家を規律する社会規範を持っていたことによって促進された。社会は、国家が正義や救貧のための分配を行うよう求めた。社会が国家に影響を与えるように、国家も社会に影響を与える」 (Acemoglu and Robinson, 2016, p. 15)。ヨーロッパの歴史を通じて、実効的国家は豊かで発展した市民社会や市場経済と共進化してきたと指摘する点で、これは重要な議論である。この考察はまた、市民社会の発展を経験してこなかった社会に、市場や民主的制度を移植する試みが失敗しがちなことを説明する1つの理由も示している。

しかし、社会関係資本と国家の行使能力の関係を明らかにするには、さらなる研究が必要である。 アセモグルら(Acemoglu et al., 2014)によるシエラレオネの族長制度の研究は、少数の族長に支配された地域の社会関係資本の水準が低くなく、むしろ高いことを示し、そうした地域では、結束したエリートが自分たちの地位を強めるために既存の社会関係資本を利用することができると示唆している。シャンカー・サティアナスら(Satyanath et al., 2016)も同様に、社会関係資本の水準の高さを包括的な政治制度へと結びつける単純な因果関係を想定するのはナイーブだと主張している。ドイツでナチスが最も成功を収めたのは、結びつきの密度が非常に高い地域だった。

5 結語

本稿では、経済発展における国家の役割を理解する上で、近年の経済史研究がどのように寄与し得るかをレビューした。開発経済学や政治経済学の研究において、「歴史が重要である」(history matters)との認識は今や常識である。我々は、近代国家の進化、そして国家建設と経済成長の関係を十全に理解するために、歴史を「解きほぐす」ことが重要だと論じてきた。そのために、本稿の分析では、経済史研究の理解が国家建設と経済成長のプロセスに光を投げかけることのできる具体的なチャンネルに焦点を当てた。

最初に得られた知見は、近代国家の成立プロセスは非常に多様であるということだ。イングランドのケーススタディは、王の行政権力を確実に制約することの重要性を示している(North and Weingast, 1989; Acemoglu et al., 2005b)。しかし、王の権力を制約しても、国家の衰退を防げるとは限らない。近世のポーランド・リトアニア共和国では、王の権力を抑制しても国家の衰退を防げず、むしろ衰退を助長してしまった。それゆえ、本稿では、フランス、プロイセン、ハプスブルグ帝国が近代国家建設において辿ったもう1つの経路に注目した。このプロセスは暴力的でコストも高くつくことが多かったが、ライン川の財政管理や関税同盟の誕生といったエビデンスを基に論じたように、後の経済成長に好ましい制度的遺産を残した。

アジアやラテンアメリカなど、ヨーロッパ以外の地域の国家建設に関する比較研究は未だ揺籃期にあるが、こうした研究が現代の政策立案者にも有益な洞察をもたらしてくれると我々は信じている。東アジアの国家は、西洋の軍事力という地政学的脅威に応答する形で近代化した。独立後にサハラ以南のアフリカ諸国が直面した重大な困難の1つが、実効的国家の建設であった。

我々のサーヴェイによって明瞭になった第2の論点は、経済発展と国家建設はともに、長期的かつ段階的なプロセスであるということだ。これは、遠い過去の状況が現代の発展機会にとって重要であり続けていることを意味する。ロバート・ルーカスは名高い論文(Lucas, 1993)で、フィリピンと韓国の比較を行っている。1960年当時はともに貧しかった両国だったが、その後数十年で韓国は6%以上の経済成長を実現した一方、フィリピンの成長率は2%に満たなかった。フィリピンが貧困で喘いでいる間に、韓国が裕福な世界経済に仲間入りしたという事態は、奇跡であると言えるかもしれない。ルーカスは、この奇跡を可能にしたいくつかの政策や制度に注目している。

しかし、両国の間にある根本的な差異は、1960年時点の1人あたりGDPが同等のレベルだったという事実によって見えにくくなってしまっている。特に両国には、国家の中央集権化の歴史において大きな相違点がある。韓国は日本による植民地化と第二次世界大戦による分断以前から、連続的な国家としての長い歴史を持っている。対照的に、フィリピンでは歴史を通じて、政治権力が主要都市であるマニラの周辺を超えたことはほとんどなかった。1960年時点では同じようなGDPだったにもかかわらず、現代経済を構築し持続的な経済成長を実現するという課題において、フィリピンは韓国よりもはるかに困難な状況にあった。〔過去ではなく〕未来に目を向ければ、近代国家がどのように発生し、いかにして財政行使能力と法的行使能力を構築するかについての理解は、経済改革や民営化、汚職対策などのプログラムの実現可能性に光を投げかけるだろうということが示唆される。

ここまで示してきたように、歴史的に観察される国家行使能力と経済成長の繋がりは、偶発的なものである。近代の経済成長の起源は、市場交換と貿易の拡大に見出すことができる。市場交換と貿易の拡大によって、イノベーションに報いるような洗練された複雑な分業がもたらされた。さらにこの市場交換と貿易の拡大は、イノベーションを促進する文化的要因や、潜在的な非経済的要因ももたらした(Howes, 2016; McCloskey, 2016; Mokyr, 2016)。高い行使能力を持つ国家の勃興がこの物語において重要なのは、経済成長やイノベーションの発生を可能にする制度的条件の提供に役立ったからである。あるいは少なくとも、戦争やレントシーキングによる破壊を防ぐための制度的条件の提供に役立ったからである。

19世紀の持続的な経済成長の出現は、強力だが権力行使を制約された国家と関係している。20世紀には国家権力を用いて社会を再編成しようとする野望が追求されたが、それらは失敗に終わったか、少なくとも部分的には挫折した。本稿では近代国家の勃興をポジティブな経済的帰結に結び付ける近年の研究に焦点を当てたが、政府による経済の破壊がどれほど容易であるかを軽視しているという印象は抱いてほしくない(例えば、Shleifer and Vishny, 1998; Easterly, 2001)。国家の行使能力に関する研究と、政府の失敗に関する政治経済学の研究から導かれる洞察を組み合わせることは、今後の研究にとって実りある方向性である。また、19世紀後半以降の公衆衛生や教育に対する投資と近代国家の勃興の関係性(これは、国家の行使能力と長期的な経済成長を結びつける、本稿では扱わなかった2つの重要なチャンネルである)についても、今後の研究に委ねたい。最後になるが、文化、社会関係資本、〔ナショナル〕アイデンティティと国家行使能力の長期的な結びつきに関する研究は始まったばかりであり、更なる研究の発展を期待している。

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〔本稿はExplorations in Economic History誌に掲載された論文であり、マーク・コヤマ教授の許可に基づいて翻訳・公開している。翻訳は、セクション1、3、4、5をkuchinashi74が、セクション2をWARE_bluefieldが担当した。〕

[Noel D. Johnson & Mark Koyama, “States and economic growth: Capacity and constraints“, Explorations in Economic History, 1 April, 2017.]

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1 原注:有益なコメントをくれ、筆者たちと対話してくれたハンス・ヨハヒム・フォート、トゥアン・フィー・スン、ジョン・V・C・ナイに感謝を示したい。セクション4の内容の一部は、ジョンソンの”Taxes, National Identity, and Nation Building: Evidence from France”と重複している。
2 原注:ヒンツェのエッセイ(Hintze, 1906, 1975)と、シュンペーターによる、中世の領邦国家(domain state)と近代の租税国家(tax state)を区別した古典的エッセイ (Schumpeter, 1954, 1918)を見よ。サミュエル・ファイナーの、国家の歴史に関する影響力あるサーヴェイ(Finer, 1999a,b,c)も、傾聴に値する。
3 原注:国家行使能力(state capacity)という概念はまず、東アジアの経済成長において「開発主義国家」(developmental state)の果たした役割に関する論争の文脈で、開発経済学の研究者から注目を集めた(Wade, 1990; Haggard, 2004を参照)。この生まれて間もない分野への理論的貢献としては、ティモシー・ベズレーとトーステン・ペルソン(Besley and Persson, 2009, 2010, 2011)の他にも、マイケル・マクブライドら(McBride et al., 2011)、ヘリオス・ヘレラとセザル・マルティネッリ(Herrera and Martinelli, 2013)などの研究がある。
4 原注:関連して、マーク・ディンチェッコ(Dincecco, 2015)はヨーロッパにおける実効的国家の勃興に関する近年の研究をサーヴェイしている。フィリップ・ホフマンの”Presidential Address to the Economic History Association”も、経済史家に対して、政治がいかにして経済的帰結をもたらすという問題に注目するよう求めており、「私たちは未だ、政府がどんな法、規制、政治を採用するのかを決める要因や、どんな財・サービスを供給するのかについて、ほとんど何も知らない」と述べている(Hoffman, 2015a, p. 305)。
5 原注:共産主義崩壊後、制度に関する研究(特にNorth, 1981, 1990)が影響力を持ったのは、政府の計画に依存する経済が失敗しやすい理由と、民営化や価格メカニズムといった制度をそれ単独で輸入しても効果がない理由を共に説明できたためだと考えられる。
6 原注:ナポレオン時代から幼児産業保護が行われた可能性を示す分析として、レカ・ユハースの議論(Juhász, 2016)を参照。
7 原注:現代の例を上げると、最近の研究では合成コントロール法(synthetic control approach)を用いて、ベネズエラでのチャベス主義的政策(chavezismo)による大規模な経済的被害を測定している(Grier and Maynard, 2016)。
8 訳注:古代・中世の社会で、国家や封建領主から徴税の仕事を請け負った人々。
9 訳注:セクション3.4を参照。
10 原注:アングロ・サクソン人は、9世紀から10世紀にかけて比較的中央集権的な君主制を確立し、これはその後ノルマン人の支配者にほぼそのまま引き継がれた(Campbell, 2000, p. 10)。エドワード1世(在位1275-1307)の時代には、一連の共有された慣習(a common set of customs)が課された(Gras, 1912, 1918)。アングロ・サクソンの法制度は、もともとは断片的・分権的だったが、ノルマン・コンクエストの後、ヘンリー2世(在位1154-1189)の時代になってコモン・ローの下に置かれた(Berman, 1983, pp. 445–458)。これを可能にしたのは、イングランドにおける君主制の強さである(Glaeser and Shleifer, 2002)。J・H・バーカーは、「地方部の慣習が変化に富んでいたのとは対照的に、イングランド全土に共通する法体系であるコモン・ローは、中央集権化の必然的な産物であった」と書いている(Barker, 1995, p. 181)。アーサー・ホーグは、「アンジュー帝国下の君主制の例外的とも言える強さは、コモン・ローを全領域に展開する上で不可欠だった」と述べている(Hogue, 1966, p. 33)。
11 原注:中世イングランドの王政国家は、地理的にコンパクトな政体だった。しかしイングランドにおいても、政府の力は地理的な制約を受けている。王権は、人口密度の高い南東部で最も強く、ノーサンバーランド、コーンウォール、ウェールズ・オブ・マーチといった地域では、緩い統治が続いた。
12 原注:ジョン・ブリュワー(Brewer, 1988)は、名誉革命の後に生じたハノーヴァー朝の政体を説明するために、「財政軍事国家」(fiscal-military state)という用語を編み出した。最近の研究では、この財政軍事国家の起源は、1680年代(Pincus, 2009)、あるいは1640年代(O’Brien, 1988, 2001, 2011)まで遡れるとしている。
13 原注:近世フランスにおける法の断片化と、それがもたらしたコストについてはハムシャー(Hamscher, 1976)を参照。
14 原注:「君主制プロイセンは、軍を持った国家ではなく、国家を持った軍である。国家とはいわば、単なる宿木である」という、繰り返し提示されてきた見解を最初に示したのは、フリードリヒ2世の副官だったゲオルク・ハインリヒ・フォン・ベレンホストである。
15 原注:したがって、これらの例では、税収の対GDP比は、近世国家の資源動員能力の下限値となる。
16 原注:こうした対照性を必要以上に強調するのは避けるべきである。17世紀前半には、ホーエンツォレルン家の領地にはほぼ共通点がなく、文化的にも政治的にも完全に切り離されていた。ブランデンブルクはその土壌の劣悪さから、「神聖ローマ帝国の砂場」と呼ばれていた。プロイセンは1世紀にわたってポーランドに支配され、神聖ローマ帝国の領域外にあった。
17 原注:過剰な借入がスペインの衰退をもたらしたとする見解は、ケネディ(Kennedy, 1987)など従来の議論の多くに見られるが、この見解はマウリシオ・ドレリッチマンとハンス・ヨハヒム・フォート(Drelichman and Voth, 2010, 2011, 2014)によって覆されている。
18 原注:オスマン帝国において皇帝の権力が限定的なものだったという事実は、歴史学の研究で頻繁に論じられてきた。例えば、スタンフォード・J・ショーは次のように述べている。「オスマン帝国のシステムの性質上、スルタンの権力は実態としては非常に限定的だった。第一に、スルタンの権力行使は、帝国の富の搾取、イスラム教や臣民が信仰するその他の宗教の制度・慣習の促進、帝国領土の拡大と防衛、帝国内の秩序の維持に関する範囲に限られていた。したがって、オスマン帝国における人々の生活の重要な部分は、ミレット制だけでなく、ギルド、民間営利団体、宗教団体、帝国社会の営利的な下部構造を成す集団によって、〔帝国から〕自律的に営まれていたのである(…)オスマン帝国政府が実際に、ヨーロッパにおいて伝統的に想定されていたような専制的で中央集権的な権力を確保したのは、19世紀になってからで、西洋の影響を受けた結果だった」(Shaw, 1976, p. 165)。
19 原注:ロイ・ビン・ウォン(Wong , 2001, pp. 76–77)も参照。
20 原注:1850年以降になって、清ではようやく、物品税や、国内関税である釐金税(Likin)が導入された。釐金税は地方レベルで支出された。釐金税は当初、太平天国の乱の鎮圧のための軍事費として導入されたが、清国内での政治的分権化と内部分裂への転換をもたらしたものと考えられている。
21 原注:スンは、「清の課税水準の低さは、儒教の理想である仁政の遵守からの直接的な帰結であると一般的に考えられている。しかし、儒教で推奨されていた税率は10%であったため、清における税収の少なさは、イデオロギー的な信念では十分に説明できない」と指摘している(Sng, 2014)。
22 原注:同様に、一部の研究者は、〔当時の〕中国において国家が穀倉地帯化や洪水救済といった公共財を提供する能力を持っていたことも、康乾盛世(1660-1794)における国家の実効性を示す証拠であると考えている(例えばWong, 1997, 2012)。例えば、ローゼンタール&ウォン(Rosenthal and Wong, 2011)は、「中国は国家として、物質的安全保障や経済成長の促進のために、水路の維持、灌漑のための治水工事の管理、大規模な穀倉備蓄などの事業を実施することができた」と主張している(175)。しかし、こうした取り組みは散発的な失敗を伴い、19世紀の清まで継続されることはなかった、とする見解もある(Vries, 2015)。
23 訳注:ダロン・アセモグルらの用語で、特定の集団が社会から富を収奪するような制度を指し、「包括的制度」(inclusive institution)と対比される。
24 原注:この研究は、アフリカ内のばらつきや同質性の低さも明らかにしている。アフリカにおいて、フランスとイギリスの植民地政府は驚くほど似通っていたが、政府内部でばらつきがあった。イギリスの支配は、西アフリカより東アフリカにおいてより搾取的であり、植民地政府が国家の財政行使能力に投資を行ったのは、モーリシャスだけであった(Frankema, 2011)。
25 原注:その他、アメリカについての最近の研究では、国家の発展が公衆衛生に与える影響について研究されている。ヴェルナー・トレスケン(Troesken, 2015)は、アメリカにおいて、連邦制を保護し、経済的・政治的自由を生み出した憲法規定と公衆衛生との間にはトレードオフがあったと論じている。
26 原注:官僚制のパフォーマンスとインフラ支出の決定要因を扱った近年の研究として、イムラン・ラスルとダニエル・ロジャー(Rasul and Rogger, 2016)、ロビン・バージェスら(Burgess et al., 2015)などの論文がある。
27 原注:国防は公共財と見なされることが多い。しかし、この時期の戦争は支配者から見れば、私的財という側面もあった。支配者は戦争の勝利による栄光を享受していたが、敗戦のコストを負担することはほとんどなかった(Hoffman and Rosenthal, 1997; Hoffman, 2015bを参照)。政府による保険や公共財の供給は一般に欠如していたが、数少ない例外の1つが、イギリスの救貧法だった(Greif and Iyigun, 2013)。
28 原注:中世の戦争がいかに破壊的なものだったかは、ジョナサン・サンプション(Sumption,  1990)が刺激的かつ力強い筆致で記述している。
29 原注:経済史研究者の中には、宋朝中国が11世紀から12世紀に産業革命に匹敵するような革新を達成したが、その繁栄もまた、まず女真族、次いでモンゴルによる外部からの侵攻によって終わった、と考える者もいる(Jones, 2003, 1988を参照)。中国が外部から侵略を受けやすかったことや、そうした侵略が中国の経済成長を断続的なものにする上で果たした役割については、高超禹ら(Ko et al., 2017)が探求している。「成長の徒花」(growth efflorescences)という言葉はジャック・ゴールドストーン(Goldstone, 2002)によって導入されたものである。
30 原注:サーヴェイとしては、シェイラ・オギルビーとA・W・カルス(Ogilvie and Carus, 2014)を参照。これは、将来的に第三者による執行への依存を減らす方向に移行する可能性を排除するわけではない。
31 訳注:恐らく、輸送コストを価格に転嫁することで価格が上昇し、売上が減るために、経済的見返りはほとんどなくなる、という議論と思われる。
32 原注:マインツからケルンへの115マイルの旅路を移動したワインの樽は、32単位のターラー(imperial thalers)を料金所で支払わなければならなかったが、1トンのニシンなら8単位で済んだ(Clapp, 1907, p. 10)。
33 原注:プロイセンは、中部ドイツ通商同盟(Mitteldeutsche Hanndelsverein)のような競合する関税同盟を分裂させようと躍起になっていた(Ploeckl, 2013, p. 389)。フロリアン・プロークル(Ploeckl, 2015)は、この展開を提携の外部性というモデルを用いて分析している。
34 原注:これは、バーデンにおける市場アクセスや投資に対するドイツ関税同盟の影響をミクロレベルで分析したプロークル(Ploeckl, 2013)の議論と整合的である。
35 原注:フォン・ミーゼス(von Mises, 1922)とハイエク(Hayek, 1948)の著作は、官僚制が経済成長や発展を有効に「計画」できないことを明確にした。この論争についての包括的なサーヴェイはローレンス・ホワイト(White, 2012, pp. 326-7)を、インドのような途上国での経済計画の分析についてはホワイト(White, 2012, pp. 246–274)を参照せよ。
36 訳注:アジア四小龍とも。1960年代以降の、韓国、台湾、香港、シンガポールの急激な経済成長を指す
37 原注:「実効的な供給」(effective provision)という言葉は、費用対効果が高く腐敗を伴わない形で公共財が提供されているという意味で用いている。これは、財の公的な供給は技術的な特徴によって左右されるとするポール・サミュエルソン(Samuelson, 1954)の定義とは逆になっている。公共財は、ある程度の排他性といった特徴を持つが、これは制度的に決定されるものだ。歴史上の多くの社会では、ほとんどの時期で、今日公共財と見なされるものの大半が私的に供給されていた。例えば、灯台についてはロナルド・コース(Coase, 1974)の議論を、警察についてはコヤマ(Koyama, 2014)を参照。国家行使能力は、国家の供給するサービスの範囲を決定しないが、国家が供給する責任を負っているサービスをどれくらい実効的に供給できるかを決定する、というのが我々の見解である。
38 原注:賄賂は個人と国家の間の取引に不確実性をもたらすため、腐敗に対する統制はこの物語における決定的に重要な要素となっている。賄賂は、それを払わなければ国家と取引できない小規模な商人や個人に課せられた税であり、独占や巨大なプレイヤーを利する傾向にある(Rose-Ackerman, 1978)。それゆえ、租税官僚制の確立は、国家の経済活動への負の影響を最小化する上で重要な役割を果たしている。
39 原注:因果関係を確定させるために、彼らは宗教革命に至る重要な数十年間におけるペストの発生率を操作変数として用いている。ペストの発生は地方エリートを不安定化させ、プロテスタンティズムと新しい義務教育法を採用する可能性を高めた。
40 原注:例えばロン・フラーは、法の支配に手続き的な定義を与えている。この定義では、(1)あらゆる個人が平等に法に従うという意味での法的平等、(2)法の定義が明確かつ開かれていること、(3)法が長期間安定していること、(4)一般的ルールによって導かれた透明性のある法策定プロセス、(5)司法の独立性、(6)司法や他の法制度へのアクセスが開かれていること、(7)あらゆる個人に画一的に適用されるルール、が要件となる(Fuller, 1969)。
41 原注:ジョンソン(Johnson, 2013)、およびジョンソンとコヤマ(Johnson and Koyama,  2014b)の議論を参照。
42 原注:ウー・ハオとメラニー・メン・シュエ(Hao and Xue, 2016)の近年の研究は、姓氏の距離によって測定された中国における民族的細分化が、20世紀初頭における学校の過小供給と結びついていたことを示している。
43 原注:民族言語的細分化は外生的なものではなく、むしろ過去の発展の産物である。その中には国家による意図的なネーション建設プログラムと結びついている(Alesina and Reich, 2015を参照)ものもれば、ベネディクト・アンダーソン(Anderson, 1991)らナショナリズム研究者が強調するような、印刷メディアの勃興と結びついた自生的な発展の産物もある。
44 原注:〔この原注にはフランス語が用いられているため、翻訳は不正確なものでとなっていることに注意されたい。〕この関税同盟から除外された地域は、アングーモワ、アルトワ、オーヴェルニュ、低ナヴァール、ベアルン、ブルターニュ、カンブレジ、フォワ、ドーフィネ、フランドル、フォレ、フランシュコンテ、ガスコーニュ、ギュイエンヌ、エノー、レ島、オレロン島、ラングドック、リムーザン、リヨン(一部)、マルシェ、プロヴァンス、ルシヨン、ルエルグ、サントンジュ、ヴィヴァレなどである。この関税同盟の中核となっていた地域は、中世後期に作られた5つの徴税請負領域が基となっていた。これらの歴史的な徴税請負領域は、以下の5つとして知られていた。(1)シャンパーニュとノルマンディの通行税、(2)ノルマンディの貿易税、(3)シャンパーニュ、ピカルディ、ノルマンディ、ブルゴーニュの貿易税、(4)リヨンの税関、(5)食料品、薬品、大型商品への関税。1589年、ルネ・ブリュネはこれらの地域を単一の所有者の下に統合することに成功した。この統合は、宗教戦争が非常に活発だった時期に、歳入を切実に必要としていたアンリ3世(在位期間1574-1589)によって実現された(Roux, 1916, pp. 70–73)。このように、「五大徴税請負制の領域」(CGFあるいはFive Big Farms)の境界ができたのは、16世紀の君主たちに借入を増やす必要性があり、徴税請負領域を通じて資金貸し出しを増やしたかったという短期的な欲求があったということで説明できる(Johnson and Koyama, 2014a)。
45 原注:1500年時点での国家の歴史の長さの代理指標によると、エチオピアは1、中国は0.906、スペインは0.562、アメリカとオーストラリアは0となる。
46 原注:オアナ・ボルカンら(Borcan et al., 2014)は、国家の歴史の長さの尺度を、国家と農業の起源にまで遡って拡張した。ボルカンらは、逆U字型の関係を突き止めた。国家の歴史の長さは経済発展と非線形的な関係にあるのだ。歴史の長さは現代の発展と強い正の相関を持っているが、歴史の長さを2乗すると強い負の相関が現れる。これは大陸間だけでなく、大陸内でも当てはまる。非常に長い歴史を持つ現代の国家は、歴史の短い近隣の国家よりもパフォーマンスが低い。興味深いことに、ボルカンらはこの非単調な関係が、1500年には既に生じていたと論じている。
47 原注:ボックステットら(Bockstette et al., 2002)のオリジナルの分析は、最近の国家形成の経験が、遠い過去の国家形成の経験よりも重みづけられるように、測定値を割り引いている。ボルカンら(Borcan et al., 2014)は、全ての時期に等しい重みを割り当てている。
48 訳注:関連する書籍として、ダロン・アセモグル&ジェームズ・ロビンソン『自由の命運』
49 訳注:関連する書籍として、ケネス・シーブ&デイヴィッド・スタサヴェージ『金持ち課税』がある。
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